39日間に及んだ東北道・佐野サービスエリア(SA)のストライキが終結した。

【写真】レシピが引き継がれなかった薄味の「佐野らーめん」

 全面再開となった9月24日朝11時、駆けつけたメディアを前に加藤正樹元総務部長(45)が声を詰まらせながら、こう挨拶した。

「本日、ストライキ状態から従業員が復帰しました。今後、今までよりもレベルアップした従業員一同、全力でがんばりますので皆さんよろしくお願い致します」


全面再開した朝、レストラン前で挨拶する加藤氏(右端)と従業員(9月24日) ©文藝春秋

 お盆から続いていたストライキだった。加藤氏と並んで、頭を下げた従業員たちの制服も、アロハシャツから長袖の秋冬の制服に衣替えしていた。

「週刊文春デジタル」では、この異例のストライキを密着取材していた。そこで目の当たりにしたのは、突然に仕事場を失った従業員の苦悩、そして“敗北”直前まで追い込まれた加藤氏の、従業員を道連れにしたことへの葛藤だった。

発端は商品の納品が止まったこと

 ストライキの現場となった佐野SA(上り線)は、年間170万人もの利用者を誇るSAだ。近年はご当地ラーメンとして有名な「佐野らーめん」がレストランやフードコートの看板メニューとなり、多くのファンを集めていた。

 そんな人気のSAに異変が起こったのは、初夏のことだった。ストライキに至る経緯を振り返っておこう。

「7月頃から取引業者の商品の納入がなくなり、バックヤードには商品がほとんどない異常状態に陥っていたんです。原因はケイセイ・フーズの親会社の不安定な経営状態を銀行が認知して、6月に新規の融資を凍結したことでした。信用がなくなることで取引業者は商品を置くことをリスキーだと考えたのです」(加藤氏)

 加藤氏は昨年5月にケイセイ・フーズに入社。以前に勤務していた商社での経験を活かして、商品紹介のポップに工夫を凝らすなど、さまざまな企画を進めて、現場の士気が上がっている最中の出来事だった。

 ケイセイ・フーズは納入された商品の代金を、それまで翌々月に支払っていたが、商品が納入されない事態となったことから、加藤氏は岸敏夫社長(61)の了解を得た上で、商品の代金を前倒しして支払う覚書を作成。そのことで商品は再び納入されるようになったが、事態は急変する。

「突然、社長から『この覚書を修正したい』と申し入れがありました。私がそれに言い返すと、『俺は社長だ。お前が判断することではない』と言って、一方的に解雇を言い渡されたのです」(加藤氏)

 加藤氏はその日のうちに荷物をまとめて、会社を後にした。「不当解雇」を理由に労働基準監督署に向かい、一人で会社と闘う心積もりでいた。

「会社って潰れるんですよね?」

 ところが、その日の夜になると、加藤氏の解雇を知った従業員から、一本の電話がかかってきた。

「会社って潰れるんですよね? どうせ潰れるなら、加藤さんに付いて行っていいですか?」

 次第に解雇の情報が広がったのか、深夜にもかかわらず、他の従業員からも次々とSNSを通じて連絡が入り始めた。

「もちろん親しくしていた従業員もいましたが、連絡をくれた中には、ジュースを差し入れしたことがあるくらいで、ろくに話したこともない従業員もいた。彼らまで『付いていく』と言い出したことには驚きました」(加藤氏)

 従業員たちが加藤氏の元に集ったのには理由があった。元総支配人のパワハラや、高齢者が働き手の中心にもかかわらず一向に改善がすすまない劣悪な職場環境……従業員に不満が蓄積される中での、加藤氏の不当解雇だったのだ。

 親子3代に渡って佐野SAの売店で働く50代の女性は、記者に切実な心境を打ち明けた。

「佐野SAに30年以上勤務してきました。私の母、それに大学生の娘も働いたことがある思い出の詰まった職場でした。それが昨年春ごろ、岸さんが来てから経営状態が悪化して商品が不足するなど、私たちの仕事にまで影響が出はじめた。こんなことは長く勤めている私にも初めての経験でした」

 従業員には当然ながら、「お土産を買うために立ち寄ったのに、なんで商品がないんですか?」などとクレームが届いた。

「お客さんに『申し訳ございません』としか言えず、心が痛みました。そんな中で、加藤さんはスタッフ全員に気を配っていた。その加藤さんがクビになったと聞いて、私にも生活があり悩んだのですが、『今のままでは、職場に残っても仕事にならないな』と思って、ストライキに参加しました」(同前)

 レストランの厨房を担当する勤続30年の男性も、加藤氏に恩を感じていた一人だった。

「今まで厨房は、蒸気がこもって気温は40度以上、湿度は70%を超える環境。昨年のお盆には、1週間で7キロも体重が減った人もいた。このままでは命の危険すら感じるほどでした。そこで今年、加藤さんが動いてくれて、エアコンが設置されたんです。快適とまでは言えませんが、環境が少しでも改善されたことを喜んだ矢先の加藤さんの解雇。ショックを受けました」

 そんな従業員たちの思いから、事は一気に動き始めた。8月14日未明、SA内の店内に貼り紙が出された。

〈佐野SA上り運営会社ケイセイ・フーズ岸敏夫社長の経営方針にはついていけません。これは従業員と取引先のみなさんの総意です。

 解雇された部長と支配人の復職と、経営陣の退陣を求めます〉

 14日午前5時20分、加藤氏は自身のFacebookに、張り紙の写真とともに今回の経緯を公表。佐野SAはストライキに突入した。

 加藤氏は後に、当時の心境について記者にこう語っている。

「普通なら1秒でも無断でお店を閉めたら、高速道路の運営側から契約解除になりますよね。だからストと言っても、3時間もすれば職場に戻れると思っていました。それが全く思った通りにならなかった」

 時はお盆休みの真っ只中。佐野SAではこの期間、売店だけで1日800万円を売り上げる。さらに、フードコート、レストランを合わせると、1日1150万円ほどの売上になるという。一番の稼ぎ時に湧き起こったスト騒動となった。

「私も付いていきます」

 39日間にも及ぶ長いストライキの始まりだった。

 翌8月15日、ストの意志を再確認するため、佐野市内の居酒屋に40名ほどの従業員が初めて集結した。急遽ストをはじめてはみたものの、積極的に労働組合の活動を経験したことがある従業員は皆無で、これから始まる会社との団体交渉も、手探り状態だった。

 16日からは、佐野市内に定員50人ほどの会議室を借りて、従業員は朝から夕方まで話し合った。その後、スト終結まで、市内の会議室を転々としながら従業員たちの会合は連日続くことになる。

「8月19日に行われた初めての団体交渉の場で、経営陣は『退陣を考えている』と言ってきた。しかし、自分たちが退陣する条件として、加藤さんにも一緒に辞任することを求めたのです。従業員の会合でその要求を議論し、その賛否を無記名で投票をした。結果は43対0。この時点で、参加者全員が加藤さんも一緒に戻らなければ意味がないと結論付けました」(ストに参加した従業員)

麺の湯切りが甘い「佐野らーめん」

 19日の夜、降りしきる大雨の中、記者が佐野市内の会議室を訪れると、加藤氏はコンビニ弁当で遅めの夕食をとりながらマスコミ対応に追われていた。

 あるテレビ局の取材では、ケイセイ・フーズの新規融資凍結の証拠となる動画、元総支配人のパワハラの証拠などを提示して劣悪な労働環境だったことを必死に訴えていた。しかし撮影後、スタッフが思わず一言、「オンエアは厳しいかもしれない」と零すと、加藤氏は感情を露わにして、珍しく語気を強めた。

「なんですか? それじゃ何を取材しに来たんですか!」

 加藤氏は項垂れるように肩を落とした。その日以降も労使交渉は難航し、時間だけが経過していった。

 着地点が見えない中、従業員の間にも不安が募った。そんな中、加藤氏は身を削る覚悟を決めていた。

「スト中は会社から従業員に給料が払われません。そのために(自ら用意した)1500万円を組合に供託しました。私にとって1500万円は結構な金額です。でも、会社側が従業員を引き抜いてくるかもしれない。そのためにも、少しの期間であっても従業員の給料を保証したい。自分ができるのはそこまでかなと」(加藤氏)

 8月16日から、岸社長らがケイセイ・フーズの関連会社の従業員や日雇いスタッフを集めて、売店とフードコートを一部再開、30日にはレストランを含めて全面的に営業を再開させた。SAを訪れて、自分が働いていたお店を遠巻きに見て、落ち込む従業員もいた。

 不慣れなスタッフが急遽配置されたことから、名物の「佐野らーめん」が出るまで50分を要したケースもあったという。記者も食べてみたが、麺の湯切りが甘いためかスープが水っぽく、レシピも引き継がれていないため味も物足りず、以前の「佐野らーめん」の味には程遠い。

 双方の弁護士による交渉も行われたが、9月3日に決裂。それ以降、労使交渉はストップしてしまう。打開策が見当たらないままストは長引き、組合の資金も日に日に減っていく。従業員らの落ち込みは日に日に増すばかりだった。

ストを支えたもう一人の男

 このストには、経営陣の矢面に立つ加藤氏の裏に、もう一人の中心人物がいた。井原永治支配人(51)だ。不安を募らせる従業員の前に立って、ストに関する事務を一手に担っていた。井原氏が語る。

「私がこの会社に入社したのが昨年2月。その3カ月後に入ってきたのが加藤さんでした。加藤さんは本社の担当者、私は現場の責任者という立場でしたが、それでも加藤さんは常に現場に顔を出していたから、話す機会も多かった。そんな中で、職場環境や従業員を大切にする考え方は、自分と似ていると思っていました」

 都内の観光施設で勤務経験のある井原氏は、スト開始後、日々の会合の手配、会合の議事進行も担当していた。

「スト中は、会議室の確保に苦労しました。佐野市内で50人くらいが入る貸し会議室を探して、4カ所の施設を転々としていました。時には事情をお話しして、公民館の会議室を特別に貸してもらったこともありました」(井原氏)

 貸し会議室の鍵を借りて、会議室に一番に入るのも井原氏の日課だ。会場の準備が整うと、ホワイトボードにその日の議題を書き出していく。

 記者が会合の取材に訪れると、会議室に続々と30代から80代までの従業員が集まってくる。孫と同伴で参加している女性、妻のデイサービス送迎後に駆け付ける男性もいた。

 会合が始まると、机を移動させて売店、ホール、厨房、軽食、事務の5つの部署に分かれ、その日のテーマについて話し合った。真剣な表情で労使交渉の経過などについて、メモ帳に記していた。

精神的に追い込まれる従業員たち

 会合の締めは9つの挨拶の復唱。掛け声は、日替わりで各部署の代表マネージャーが務めるのが日課だった。

「いらっしゃいませ」「いらっしゃいませ」

「佐野SA上り線へようこそ」「佐野SA上り線へようこそ」

 従業員たちは、毎日感謝の気持ちを込めて復唱していた。井原氏が語る。

「私の役目は加藤さんの考えていることを冷静にわかりやすく従業員に伝えることでした。加藤さんは裏表がなく、ポジティブなこともネガティブなこともストレートに話すので、従業員が驚いてしまうこともある。そこで、私が全体構造を説明して、『こういうゴールに向かうために、今はこういう手段を取っています』と具体的に説明していきました」

 井原氏によると、スト開始から3週間が経過した9月上旬ごろから、従業員にも疲れが見えて、表情も陰りがでてきたという。従業員からもこんな声を聞くようになる。

「家に帰ると、『いつまでストライキをやってるの?』と聞かれる」

「『お父さん、お願いだから働いて』と繰り返し言われている」

 さらに、精神的に追い込まれて、「もう私は無理です」などと、井原氏に打ち明ける人もいた。

「ストに入った全員が、周囲の人々に応援してもらえる立場でないのは当たり前です。私も、毎日起こったことに一喜一憂するのではなく、目指しているゴールまでの道のりを納得してもらうまで何度も説得することしかできませんでした」(井原氏)

(後編に続く)

《佐野SA再出発へ》“解雇部長”も現場復帰、自費1500万円も協議へ へ続く

(「週刊文春デジタル」編集部/週刊文春デジタル)