北朝鮮の朝鮮新報平壌支局は31日、「女子柔道52キロ級で金メダルを勝ち取ったアン・クメ選手 祖国での決意を現実に」と題し、ロンドン五輪で北朝鮮の金メダル第1号となったアン・クメ(32)について報じた。(画像提供:KPM)

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 北朝鮮の朝鮮新報平壌支局は31日、「女子柔道52キロ級で金メダルを勝ち取ったアン・クメ選手 祖国での決意を現実に」と題し、ロンドン五輪で北朝鮮の金メダル第1号となったアン・クメ(32)について報じた。(画像提供:KPM)

 同紙は、オリンピック競技大会に参加する朝鮮選手団がロンドンに向かって祖国を離れた17日、出国に先立ちアンは「最後に笑う者が勝利者だ」との言葉を残したと紹介。

 アンが金メダルを取得したという便りに接した国内体育部門の関係者たちは、彼女が残した言葉は、金メダル獲得という成果として現れたと述べ、その健闘をたたえた。

 3兄弟の末っ子として育った彼女は1990年、11歳の時に柔道を習っていた姉の影響で、万景台(マンギョンデ)青少年体育学校柔術のサークル練習場に通うようになり、柔道選手への道を歩むことになった。

 1997年7月、牡丹峰(モランボン)体育団に入団した彼女は共和国選手権大会と万景台(マンギョンデ)上体育競技大会など、主な大会で連戦連勝し、52キロ級で国内を制覇した。

 翌年、ロシアのモスクワで開催された第1回世界青年選手権大会に国際競技では初めて参加し、2位となった。2005年のアジア女子柔道選手権大会で1位になり、2006年には功績体育人の称号を授与された。

 彼女が世界的に注目を浴び始めたのは、2006年12月カタルのドーハで開かれた第15次アジア競技大会で、この大会での優勝が契機になった。この大会で世界選手権保有者だった日本と中国の選手たちに圧勝し、柔道専門家たちの予想を完全にひっくり返すなど、派手な登場をした。

 2007年の世界柔道選手権大会で3位になった彼女は、2008年北京オリンピック52キロ級で2位、2010年アジア大会で3位、ワールドカップ・ブカレストで1位、2011年グランプリ・青島で2位になった。そして今年2月にもワールドカップ・ワルシャワで優勝した。

 一方で、アンは2010年10月から、10年余り所属していた牡丹峰体育団を離れて4.25体育団で選手生活をしている。

 リュ・ジュソン監督(45)によれば、アンは同僚選手たちの訓練と競技を第一に気遣い、大事にする選手。名節や休息日、また激しい訓練を行った後には、おいしい料理を自ら作り、差し入れる時もあるという。他の選手たちはそんなアンを柔道選手の模範と評した。ある体育関係者は「息子がいればお嫁さんにしたい女性、長男の嫁にぴったりだ」と述べたという。(編集担当:李信恵・田口宏)