麻生副総裁

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 第1回【「高市首相」支持で“巨大グループ”結成も…「国力研究会」を無力化させた「元首相」と「次期首相候補」による“抱きつき戦略”の舞台裏】からの続き──。旧岸田派の会長だった元首相・岸田文雄と同派ナンバー2の座長だった林芳正の関係は今なお微妙で、総裁選でも旧岸田派の対応は分かれ、事実上の分裂状態にあった。旧岸田派出身議員の中には林を支持せず、小泉支持に回った元選対委員長・木原誠二のような存在も少なくない。【村田純一/時事通信社解説委員】(全2回の第2回:一部敬称略)

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 ところが、一連の取材で、「国力研究会」への対応をめぐり、岸田と林が水面下で手を握っていたという情報を耳にした。二人は第三者を交えた夜の会合で会い、共に入会することで認識を一致させたという。岸田、林の意向は当然、旧岸田派議員に伝わったはずだ。

麻生副総裁

「国力研に入会しないことで、『反高市』のレッテルを貼られ、党内で対立関係をつくる必要もない。あくまで勉強会ということだから、政局的には何の意味もない。むしろ政局にしないための大人の対応だよ」

 と旧岸田派議員は語る。党内には「旧宏池会はうまいこと考えたな」(中堅)と評価する声もある。

 別の旧岸田派若手議員は「林さんは高市政権の総務相。今、高市政権に反旗を翻すようなことをするはずがないし、首相を支援するのは当然のこと」と話す。

 林の動きに影響されたかどうかは分からないが、元二階派幹部の元総務相・武田良太はグループ(約20人)の会合で国力研に全員参加する方針を鮮明に打ち出した。武田が地元福岡で麻生と対立関係にあるのはよく知られ、武田の対応は気になっていた。5月14日、武田グループの会合で、武田はこう述べた。

武田グループも全員参加

「国力研究会のご案内、私もいただいて、その入会についてどうするべきかという相談もあった。われわれが2月の衆院選で戦った選挙公約の実現に向かって、行動している高市総理を支えるというのが、会の趣旨だと私は思っている。われわれは、国民に対する約束で勝たしてもらった責任がある。これは全党一丸となって取り組む問題と位置付けている。ぜひ、高市総理を支えるためにも全員で参加して、さらなる政策推進に一役買おうではありませんか」

 これも岸田、林と同様の「抱きつき戦略」だろう。林も武田も初会合に顔を見せなかった。無論、国会日程の関係で、出席できなかった発起人や議員が多数いたことも事実ではある。

 自民党総裁選で高市総裁を選んだ以上、自民党議員が高市政権を支援するのは当然だろう。当初、この議連をめぐり、「来年秋の自民党総裁選で高市首相の無投票再選の狙いがある」とか、「入会しないと、秋の人事で干されるのではないか」といった声が自民党内にはあった。

 しかし、みんなで渡れば怖くない。とりあえず名前だけ入会、顔だけは出しておこうという議員が多かったのも確かだ。「総裁選なんて先のことだし、その時にどうするかは分からない」(武田グループ中堅)ものだ。会費は月額300円。安い保険のようなものかもしれない。

麻生が放つ“存在感”

 それでも入会しなかった議員は、初会合時点で70人、その数日後には60人となった。入会者の名簿は発表しない方針という。政局絡みで報じられることを警戒しているからのようだ。

 初会合で、ひな壇には麻生が他の発起人数人と共にデンと座り、存在感を示していた。とはいえ、麻生はこの場で何も発言しなかった。「あくまで勉強会」なので、表向きは控え目にということだろう。沈黙を貫いていた。

「麻生派の勢力拡大が狙い」という党内に広がった臆測を打ち消そうと、懸命なのかもしれない。

 旧安倍派などの裏金問題の影響で、岸田政権の時に派閥は次々に解消され、党内に残っている派閥は麻生派のみ。今年2月の衆院選後、麻生派は60人に増え、影響力を増している。

 副総裁の麻生をはじめ幹事長・鈴木俊一、総務会長・有村治子ら党の要職は麻生派が占め、政調会長・小林鷹之も麻生に近づきつつある。政界を引退した元幹事長・甘利明は麻生派で、若い小林の後見人的な存在だった。

 それはともかく、85歳の重鎮、麻生は黙っていても目立っていた。初会合で講師に招かれた駐日アメリカ大使ジョージ・グラスの講演が終わるや、麻生はすかさず立ち上がってグラスと握手し、しばし談笑する姿があった。

自民党を「支配」するのは誰か?

「そうか、これを党内に見せたかったのか」と思わずにはいられなかった。緊密な日米同盟関係をしっかり支え、党内も支配。麻生にすれば絶頂の思いだったのではなかろうか。

 少し余談をはさむが、この日の国力研の前、自民党本部である議員に取材しようと、入り口玄関付近で待っていたら、麻生が党本部内から出て来た。番記者数人がぞろぞろぶら下がり、麻生が車に乗り込み党本部を出るまで見送るというシーンがあった。若い麻生番記者の姿を見ながら、麻生もかつての副総裁・金丸信のような大物になったなあと感慨にふけった。

 旧宮沢派(宏池会)に所属していた麻生が若いころ、旧竹下派(経世会)全盛の時に、なぜか夜の金丸邸から出て来たことがある。金丸側近議員が集まる金丸邸に多数の記者が張り込んでいた時で、私も現認した。「なんで麻生が金丸邸から出て来るんだ」と当時は不思議に思っていた。いつか聞いてみたいと思う。

 余談はこれぐらいにしておこう。国力研は当初、高市政権を後押しする「党内主流派」グループの結成という思惑があったとみて間違いない。

 しかし旧岸田派、武田グループの参加によって、その思惑は崩れ去った。とはいうものの、結果として党内の「麻生支配」の姿を浮き彫りにしたのではないかとも思う。

船田元の“諫言”

 同じ副総裁というポストだから、麻生と金丸の人物像が一緒だと言いたいのではない。思想、信条、政治姿勢、メディアへの対応は全く違う。「俺と金丸を一緒にするんじゃねえ」と麻生は言うに違いない。

 忘れてならないのは、国力研に参加しなかった議員の存在だ。前首相・石破茂をはじめ石破政権の閣僚や党幹部らの何人かは入会しなかった。

 前防衛相・中谷元、前総務相・村上誠一郎、前幹事長・森山裕……。まだ判明していない議員は多数いるが、最後に自民党のベテラン・船田元が5月24日、Facebookに発信した言葉を要約して締めくくろうと思う。次の通りだ。

「先週は自民党内で『国力研究会』という話題が持ちきりだった。高市総理が目指す政策を実現すべく、後押しをしていこうという趣旨である。また党内基盤の弱い総理の足元を固めて行こうという考えも含まれるようだ」

「自民党に所属し、高市総理のもとで選挙を戦い、国会議員に当選した立場であれば、その政権を支えていくことは当然の責務である。また党内でなかなか一致しない政策を真剣に議論し、党の結束を高めることも、しっかり取り組まなければならない」

党内議論を抑制するのか?

「しかしながら今回の国力研究会では、高市総理シンパを形成することが強調され、入会したかしないかでレッテル貼りが行われたり、敵と味方を区別する道具に使われるとしたら、それは如何なものだろうか。入会した8割の議員を優遇して、入会しなかった議員を冷遇しては、自民党にとって良くないし、高市総理自身にとっても決してプラスにならないのではないか」

「今回の動きは新派閥結成とまではいかないが、新たなグルーピングであることは間違いない。ただそこに入るか入らないかで議員の評価が決まるのだとしたら、派閥解消の趣旨は蔑ろにされてしまう」

「私は以上のような理由で、今回の国力研究会には参加しないことにしたが、この会が自民党内の自由闊達な議論を抑制することがないように、心から望んでいる」

 当初、国力研は高市首相を巡る「踏み絵」と目されていた。親高市か反高市か、自民党の国会議員に旗幟鮮明にしろと迫っているとの観測が乱れ飛んでいた。

 ところが結論から言えば、国力研は少なくとも政局的には有名無実化してしまった。一体、自民党内でどんな暗闘が繰り広げられたのか。

 第1回【「高市首相」支持で“巨大グループ”結成も…「国力研究会」を無力化させた「元首相」と「次期首相候補」による“抱きつき戦略”の舞台裏】では、“反高市派”のウルトラCについて詳しくお伝えする──。

村田純一(むらた・じゅんいち)
1986年、時事通信社入社。90年から政治部。海部政権で首相番。平河クラブで自民党の小渕恵三幹事長、小沢一郎竹下派会長代行らを取材。民社党、公明党を担当後、羽田政権、村山政権で首相官邸を取材。96年経済部で経団連など財界担当。97年政治部に戻り、山崎拓政調会長番。選挙班長、防衛庁担当などを経て、2001年8月からワシントン特派員。05年2月帰国。外務省キャップ、政治部次長、福岡支社長などを経て20年7月より時事総合研究所代表取締役。23年6月より現職(時事総研研究員兼務)

デイリー新潮編集部