「書き続けます。明日が奈落だとしても。」長嶋有が25年間みつめ続ける、ささやかな日常の希望

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芥川賞・大江賞作家、長嶋有さんの最新小説『七、八月のストローク』(講談社)が発売されました。同時期に、第1回大江健三郎賞受賞作『夕子ちゃんの近道』が創元文芸文庫化されて新発売。この2冊の発売と長嶋さんの作家デビュー25周年を記念して、作家・砂村かいりさんに特別エッセイを寄稿いただきました。

話題作『飛距離の長い青春』の著者であり、長嶋さんを25年来追いかけ続けてきたという砂村さんが読み解く、長嶋ワールドの魅力とは?

長嶋作品の驚くべき言語化力

長嶋有がデビュー25周年と聞いて、ヒッと小さく息を呑んだ。

つまり自分は四半世紀、長嶋有作品を追いかけてきたことになる。そのうち5年は自分も思いがけず書き手側になって働いているほどに、それは疑いなく長い年月と言える。

初期の頃から読み続けていると、文学というものへのアプローチやその手法は少しずつ変遷していることが窺えるが、人間や日常生活のささやかなおかしみを掬いあげる精密な描写、独特のユーモアや機知、どこまでも軽やかで自由な文体、柔軟で的確な表現の魅力は変わらない。

人物たちの、一見本筋とは関係なく思える小さな思索がうねりとなって生き物のように脈打つさまは、いつだってページをめくるわたしたちを魅了する。

誰とも共有したことのない地味な発見や、どこにもぶつけたことのない疑問、無価値だと思っていた感覚。そういうものを小説作品に落としこみ、こんなにも言語化してくれた人はかつていただろうか? 長嶋作品を読むことは、そんな驚きと快感の連続でもある。

どの作品も愛してやまないのだが、もしもこめかみに銃口を突きつけられて「どれかひとつだけ選べっ! さもなくば……」と脅されたなら、『泣かない女はいない』を選ぶ。

作家が異性を視点人物にしたときにほぼ必ず生じるリアリティーの問題(それがあったからとて必ずしも優れていないことにはならないのだが)が、まったく感じられなくてとにかく驚いた。なんなら、睦美は過去のどこかに存在した自分自身かと思った。あるいは、今までの人生の中で既に睦美や桶川さんや社長や同僚たちに何度も出会っているような気がした。

下請け会社ならではの文化やローカルルール、社会人同士の連帯と分断、そして大人の分別を持ちすぎたゆえの臆病さで動かせない恋。

読了から何年経っても、ラストシーンが心に焼きついたままである。これは抑制の物語だと思う。人はなぜ、欲望しながらかつそれを抑制してしまうのか。大人になってもわからないことのひとつだ。

ボーナストラック入り新装版

このほど創元文芸文庫より二次文庫化された『夕子ちゃんの近道』もまた、心に独特な印象を残す作品のひとつだ。

フラココ屋というアンティークショップの、2階の倉庫に居候する「僕」と、絶妙な距離感で出入りする人々。ドラマは「僕」以外のところで起きており、なんなら「僕」が彼らを引き立たせるための役割を忠実にまっとうする黒子のようでもあっておもしろい。かと思いきや、終盤で不意に見せる感情の発露に、思いがけず胸を突かれたりする。

ある一字の漢字についてやいやい言い合うシーンで「そういうことか!」と気づいた瞬間の自分の感情が、いまだに忘れられない。化粧しながら「おのれアイシャドーめ」とか「ゲランの尻尾を狙え!」とかつぶやいてしまう女性たちを大量生産した(であろう)罪深き作品でもある。

ボーナストラック(!)も収録されている新装版で、また新たに出会い直す気持ちで彼らと再会したい。

プールにまつわる群像劇

そして最新刊の『七、八月のストローク』は、プールにまつわる鮮やかな群像劇である。

市民プールで、総合体育館のプールで、そして老朽化したマンションの子供プールで、人々は泳いだり泳がなかったりしながら、言葉と一緒に目に見えぬ何かを交換している。その営みの尊さよ。ゆっくりと水を掻くように物語は進み、季節の移ろいとともにもたらされるけっして小さくはない変化が、じわじわと胸に響いてくる。長嶋有作品特有の魅力がここに極まっている。

使用後に硬貨が返ってくるタイプのコインロッカーに「百円玉置き」を設けるべきだなんて、今までいったい誰が言ってくれただろう! 自分自身も、人間工学に基づいていない設計やデザインに出会うとストレスをおぼえてしまうたちなので、これだけでもう「やられた〜」となってしまう。プールサイドへの持ち込み品についてのルールの、「文庫本は持ち込み可」という文言に言葉以上の何かを感じとってしまうおかしさにも、共感を超えて自分のことかと思ってしまう読者は多いはずだ。

とりわけ近年の作品における、定点カメラで誰かの日常を観測しているような圧倒的なリアリティーと生活感は、物語と自分の世界が地続きであると感じさせてくれる、ある種の心強さがある。

いかにも題材になりそうな劇的なエピソードを慎重に忌避しているようにも見えるその手つきは、ただ生きているわたしたちそのものが、仔細に的確に書き起こせば物語になり得る存在であると教えてくれる。多くの小説作品においては取りこぼされがちな、あるいは意図的にカットされることの多い日常の小さなあれこれを丁寧に拾いあげ、「こういうのもありだよ!」と差しだしてくれているようにも思える。

よくある映画や人気のドラマの主人公にはなれないけれど、長嶋有作品の主要人物にならなれる気がする。社会的に尊ばれたりインパクトを与えたり大活躍したりしなくても、存在を肯定されていると感じられる。そんなささやかな希望のようなものを抱かせてくれる作品群である。

まるで人物たちが自分の耳元で会話しているかのような、生の感触が伝わる台詞のおもしろさも卓抜だ。わかりやすさを重視するあまり不自然に整えたり説明を詰めこんだりはせず、現代人の話し言葉をそのままトレースするようなスタイルには、わたし自身も書き手として少なからず影響を受けている。

深い詩情が漂う俳句

そんな長嶋有は、詩才をいかんなく見せつける俳人でもある。

竜胆や銀行強盗は白昼に

月面で月の女にもてて困る

とりあえず裸の方を口説きけり

(すごく高い!)値札の文字はヘルベチカ

こんなぶっ飛んだ設定や詩的飛躍で笑わせてくれる句も良いし、

ブランコしか座るところのない冬日

蜘蛛というより蜘蛛の都合をみておりぬ

夏服で楽譜めくってあげる役

どの椅子に座ってもよい夏だった

深い詩情が漂う句にも静かに圧倒される。ありふれた風景に潜む機微を見逃さない着眼や独特の感覚を韻文に持ちこみ、五七五の詩型に嵌めこむとこうなるのか、とただただ感嘆するばかりだ。

短詩型文学への眼差しは小説作品にも反映され、わたしたちは作中で池田澄子や山口誓子の俳句に出会う。自句「水筒の麦茶を家で飲んでおり」をさりげなく物語に紛れこませ、「〜って誰かの俳句があったなと思いながら」などと視点人物に言わせる茶目っ気を発揮したりもする。ここでもまた、「やられた〜」となってしまう。

そんな稀有な俳句の数々が堪能できる句集『春のお辞儀』は家宝である。

公開句会「東京マッハ」の観覧に参じた日のことを懐かしく思いだす。俳句が生まれる瞬間に立ち会う体験は、なかなかできるものではない。ライブイベントならではの、有意義でスリリングな時間を存分に堪能した。

女性漫画家によるコミカライズ

6人の女性漫画家によりコミカライズされたアンソロジー『いろんな私が本当の私』も、ファンにはたまらない作品だ。

個人的に短編の中で最も好きな「三十歳」から始まるし(最高でした)、元素周期表をモチーフにした「舟」の世界観を漫画にした功績は大きすぎる。『もう生まれたくない』からはいったいどこを切り取るのだろう……? からの、ここか──! と叫びたくなる説得力。読みどころが多すぎて、長嶋有作品の副読本として必携の1冊と言える。

漫画オリジナルの台詞だが、「ガムと締切はよくのびるんだよ」(『今も未来も変わらない』)は、同じ作家の身としてはぜひ頻繁に使いたくなっ……てはいけません。

作中に出てくる言葉の出典は…

そんなふうに多角的な愉しみを与えてくれる長嶋有の、印象的な言葉がある。

書き続けます。明日が奈落だとしても。

緊急事態宣言下で子育てをする夫婦の物語『ルーティーンズ』に出てくる言葉だ。

小説家である夫が新人賞を獲った文芸誌に寄せた「受賞のことば」からの引用として書かれているが、これは作者が文學界新人賞を受賞した際、実際に書いた言葉そのものでもある。

明日が奈落だとしても。

現在、どちらかというと疫病でも自然災害でも他国からの攻撃でもなく、なぜか自国政府によって命の危機を感じる日々を過ごしている。毎日毎晩、全国各地でデモが起こるほどに、その危機感は強度と角度を広げている。朝目覚めても、世界は少しもよくなっていないばかりか、悪いニュースの衝撃をさらに悪いニュースが上書きしてゆく。

もちろん体感は人によるが、基本的人権の尊重が憲法から削除されるかもしれない今、個人的にはもはや奈落がすぐそこに迫っていると感じている。あるいはもう既に奈落なのかもしれない。それだけに、久しぶりに触れたこの厳かな誓いのフレーズが深く深く刺さった。

「書き続けます」は、受け取り手に合わせて差し替え可能だ。

描き続けます。

弾き続けます。

撮り続けます。

作り続けます。

もちろんクリエイティブな職に就いている人ばかりではないし、続けたいことが生業であるとも限らない。

歌い続けます。

踊り続けます。

走り続けます。

跳び続けます。

読み続けます。

焼き続けます。

売り続けます。

直し続けます。

教え続けます。

守り続けます。

握り続けます。

調べ続けます。

磨き続けます。

続けたいこと。つまるところそれが、余分な贅肉を最大限まで切り落としたあとに残るシンプルな願望なのだろう。

特別な生業がなくたって構わない。ただみんなで、生きてゆきたい。

生き続けます。明日が奈落だとしても。

そんなふうに心の中で言い換えて、じわりと涙が出た。

ただ暮らす、子育て夫婦の日常を描いて「見事なラストシーン」が生まれる理由…『トゥデイズ』書評