米国の廃車置き場で見つけた欧州車 62選(1) ルノーやオースチン、大西洋を渡ったクルマの余生【ジャンクヤード探訪記】
アメ車に囲まれた欧州の輸入車たち
筆者は長年にわたり、米国国内で見つけた興味深いジャンクヤード(廃車置き場)を巡り歩いてきた。
【画像】個性派デザインだけどリーズナブルな60年前の乗用車【フォード・アングリア(105E)を詳しく見る】 全32枚
当然ながら、そこで見つかる車両のほとんどは米国製で、多くはデトロイトのビッグスリーによるものだ。しかし、時折、大西洋の反対側の欧州から持ち込まれた逸品に出会うこともある。今回はその傑作をいくつかピックアップして紹介したい。

全米各地のジャンクヤードで見つけた興味深い欧州車を62台紹介する。
(翻訳者注釈:各車両はレストア用、あるいは部品取り用として保管・販売されているものです。部品の状態や販売状況については取材時点の情報となります。)
オースチン・アメリカ
1968年から1972年の間に、英国製のオースチン・アメリカが6万台近く米国で売れた。このコンパクトカーは2ドアのオースチン1300のバッジエンジニアリング車で、フォルクスワーゲン・ビートルと直接競合していた。フロントバンパーのオーバーライダーがゴムパッドではなく、フロントおよびリアフェンダーのサイドマーカーライトがないことから、この個体が1960年代後半に生産されたものであることがわかる。この1台は、ジョージア州ホワイトにあるオールド・カー・シティ(Old Car City)というジャンクヤードで見つけた。

オースチン・アメリカ
フォルクスワーゲンT1バス
フォルクスワーゲンファンの皆さん、ご注目。この希少な分割式フロントガラス仕様のT1バスは、フェンダーから生えた2本の木によって、文字通り地面から持ち上げられている。これはオールド・カー・シティで見かけた数ある “自動車彫刻” の1つで、幹にマスタングのホイールキャップが埋め込まれた木などもあった。この1台はジョージア州ホワイトのオールド・カー・シティで見つけた。

フォルクスワーゲンT1バス
ナッシュ・メトロポリタン(1959年)
これもまた、比較的現存数の多いクルマだ。1953年から1961年の間に、米国では約8万3000台のナッシュ・メトロポリタンが販売された。この「ベイビー・ナッシュ」は英国製で、現地ではオースチン・メトロポリタンとして知られている。米国のジャンクヤードでは頻繁にこのクルマに出くわし、しばしば驚かされる。どれも今や相当な古さだ。
この1台はおそらく1959年製だろう。同年、初めて開閉式トランクが採用された。内装は風雨でひどく傷んでいるが、ボディは依然として良好な状態だ。サウスダコタ州ハートフォードのオークリーフ・オールド・カーズ(Oakleaf Old Cars)で見つけた。

ナッシュ・メトロポリタン(1959年)
ジャガーXJ-S(1983年)
ジャンクヤードの管理者が車両に製造年を書き込んでくれるのは本当にありがたい。筆者の調査がずっと楽になるからだ。リアフェンダーに書かれている通り、このジャガーXJS HEは1983年モデルで、同年に米国で販売された2705台のうちの1台だ。コロラドの気候が優しかったようで、錆はほとんど見られない。しかし、左側の「XJ-S」のバッジは誰かに持ち去られてしまい、その痕跡がかろうじて確認できる。
20年間の生産期間中、このクーペは世界中で8万4104台販売された。この1台は、コロラド州ウィンザーのマーティン・サプライ(Martin Supply)で見つけた。

ジャガーXJ-S(1983年)
フィアット124スポルトスパイダー(1975年)
このジャンクヤードの欧州車コーナーには、嬉しくなるほど鮮やかな色彩が散りばめられている。今回注目するのは1975年式のフィアット124スポルトスパイダーだが、その背後に控えるフィアットX/19も同様に目を引く。
ピニンファリーナがデザインした124は、1966年から1981年の間に約20万台生産され、その75%が米国で販売された。この車両は経済的なレストアが不可能な状態だが、素晴らしい部品がまだたくさん残っている。これもまた、マーティン・サプライで見つけたものだ。

フィアット124スポルトスパイダー(1975年)
ジャガーMkVII
この時代のジャガーは、通常でも識別が容易ではないが、これほど悲惨な状態だとさらに困難だ。1954年から1956年にかけて生産されたMkVII Mだと考えられるが、車体前部が欠落しているため確信は持てない。もしそうなら、生産台数わずか1万61台のうちの1台ということになる。
「Grace, Space and Pace(優雅さ、広さ、そしてスピード)」というキャッチコピーで発売された高性能ラグジュアリーセダンで、ジャガーXK120と同じ3.4L直列6気筒エンジンを搭載していた。米国では大ヒットを記録した。こちらもマーティン・サプライで見つけた車両だ。

ジャガーMkVII
MG MGB(1974年)
NHTSA(米国道路交通安全局)の規制に準拠するために取り付けられた大きなゴム製オーバーライダーから判断すると、このMGBは1974年製だ。同年の終わり頃には、これらはフルラバーバンパーに置き換えられることになる。これは米国でのみ義務付けられていたものの、生産コストを削減するため、すべての市場でクロームがゴムに置き換えられることになった。これもマーティン・サプライで見つけたものだ。

MG MGB(1974年)
フォード・アングリア(100E)
この英国製フォード・アングリア100Eは、まるで誰かが缶切りで切り刻んだかのような状態だ。ドアの形状を見てほしい。この奇妙なクルマを作った人物は、ナッシュ・メトロポリタンのスタイルを再現しようとしたのではないかとさえ思えてくる。1953年から1959年の間に、10万台以上が生産された。この1台は、アイダホ州ウェンデルのL&Lクラシック・オート(L&L Classic Auto)で見つけた。

フォード・アングリア(100E)
キャデラック・カテラ
筆者と同様、多くの人がキャデラック・カテラのことをすっかり忘れていたのではないだろうか。1996年から2001年の間の販売台数が10万台に満たなかったことを考えれば、それも不思議ではない。オペル/ヴォグゾール・オメガをベースに、ドイツのゼネラルモーターズによって生産され、英国製の3.0L V6エンジンを搭載していた。欧州ではそこそこの売れ行きを見せたが、米国では不発に終わった。
この個体は、最も成功した年である1997年に登録された2万5411台のうちの1台だ。これもL&Lクラシック・オートからの1台である。

キャデラック・カテラ
オペルGT
1929年から2017年までゼネラルモーターズ傘下にあったドイツの自動車メーカー、オペルは、1965年のフランクフルトとパリのモーターショーでGTコンセプトカーを披露し、注目を集めた。好評を博し、3年後に量産が開始された。
1968年から1973年にかけて、この魅力的なファストバックは10万3463台が生産され、特に米国で人気を得た。米国ではビュイックの販売店を通じて販売されていた。L&Lクラシック・オートからの1台だ。

オペルGT
フォード・コルティナ
この英国製の2代目フォード・コルティナのような、比較的人気のない欧州輸入車は、部品を1つも外されることなく、何年もジャンクヤードに放置されることがある。しかし、驚くべきことに、この1台からは錆びていないフェンダーが1枚提供されたようだ。
2代目コルティナは1967年から1970年にかけて米国で販売され、6万台の販売台数を記録した。それなりの数字に聞こえるかもしれないが、1960年代後半に年間35万台以上を安定して売り上げていたライバル、フォルクスワーゲン・ビートルには遠く及ばない。この1台もL&Lクラシック・オートからの紹介だ。

フォード・コルティナ
サーブ96(1969年)
96は、1961年から1973年にかけて米国で販売され、同国で初めて大量に売れたサーブ車だ。この1台は1969年製で、欧州フォードの1498cc V4エンジンを搭載している。スウェーデン国内では20年間にわたって50万台が生産された。こちらもL&Lクラシック・オートにて。

サーブ96(1969年)
ルノー・ル・カー
ル・カーはフランス製ルノー5をベースに、AMCの1300店舗のディーラー網を通じて販売された。当時「フレンチ・ラビット」とよく呼ばれたこのクルマは、ホンダ・シビックやフォルクスワーゲン・ゴルフ、その他の輸入サブコンパクト車から市場シェアを奪うはずだったが、大ヒットにはならなかった。この個体は、コロラド州ラ・ハラにあるアーネスト・オート・レッキング(Ernest Auto Wrecking)で発見した。

ルノー・ル・カー
カプリMk1
1970年から1977年にかけて、フォードは欧州製のカプリを米国で50万台も販売した。欧州とは異なり、フォードのエンブレムは付けられず、単に『カプリ』としてブランド化され、リンカーン・マーキュリーのディーラーを通じて販売された。このような初代モデルは当初、1.6L 4気筒エンジンのみが設定されていた。しかし、1972年にV6エンジンが導入され、そのスポーティな外観に見合う性能が備わるようになった。これもアーネスト・オート・レッキングで見つけた1台だ。
(翻訳者注釈:この記事は「2」へ続きます。)

カプリ(初代)
