元大関琴風のおかみさん「2人は使命があって、病気やけがに遭った」…同郷のUDアドバイザー「桃ちゃん」と語り合う
桃ちゃん(中川桃子さん=36歳)の視覚障害が判明したのは、2度目の白血病治療の途中で目覚めた2017年9月末だった。
しかし、視覚障害者の安全を守る「白(はく)杖(じょう)」をしっかり意識したのはずっと後のことだ。
なかがわ・ももこ
1990年三重県亀山市生まれ。幼少期から看護師に憧れ、小学生の時に読んだフローレンス・ナイチンゲールの伝記に感化される。藤田保健衛生大(現藤田医科大)で白血病と闘病しながら看護師・保健師の資格を取得し、2012年9月、同大病院に入職。
「マイ白杖」持ち、外出も積極的に
「白杖を持つことは『目が見えない』と公言しているようなもの。何でこんなの持たなあかんの」。そんな反発心があった。
転機は点字教室への参加だった。当時住んでいた三重県四日市市には同市障害者福祉センターが月2回開催している教室があった。顔を出すと、年齢や障害の程度に関係なく、皆さんが点字を学びながらワイワイ、ガヤガヤと楽しそうだった。
ある日、仲間に「白杖は持った方がいいよ。歩行中にすれ違う時も、向こうがよけてくれる。何かと便利だからね」とさらっと言われた。素直に「そうか」と受け入れられた。
悩みを共有できる仲間たちからの情報は、「生きていた」。最初は「謎の暗号だった」点字も、50音の法則があると知って面白さに気付き、3か月でマスターした。外出時の移動を支援するガイドヘルパーの存在も初めて知り、夫や家族の同行がなくても外出できるようになる――。

ただ、ガイドヘルパーの同行援護には白杖を持つことが条件だ。桃ちゃんは22年9月から専門家による白杖の歩行訓練を受けた。朝8時から4時間。9月の午前中は「灼(しゃく)熱(ねつ)の暑さ」に感じた。汗だく、ふらふらになりながら、基礎から学んだ。週2回、月20時間を超える特訓だ。その翌月、JR亀山駅近くに引っ越した。駅へのアクセスの良さを生かし、今は外出にも積極的になった。
「そんなわけで、『マイ白杖』を持ったのは、4年ぐらい前です。それまでは借り物でした」と桃ちゃんは照れ笑いする。この話に親方(元大関琴風の中山浩一さん=69歳)が身を乗り出して同調した。
「俺なんか、立って歩けるようになっても10年は杖(つえ)を使わなかった。相撲協会にいたから周囲に弱みを見せたくなかったしね。今は手放せないが(笑)」
「親方が辞めるなら、僕らも辞めます」
なかやま・こういち
1957年津市生まれ。大関琴風時代の82年のデビュー曲「まわり道」は50万枚を売り上げるなど歌謡界でも活躍。石川さゆりさんとのデュエット曲「東京めぐり愛」など「東京三部作」は、84年の日本レコード大賞「企画賞」に輝く。

親方とおかみさん(史枝さん=68歳)は、親方が頸(けい)髄(ずい)損傷で動けなくなった時、相撲部屋を閉めようと覚悟を決め、その気持ちを弟子にストレートに伝えた。
「お前たちに行きたい相撲部屋があれば、俺が責任を持って頼んでやる。転籍して頑張ってほしい」
だが、弟子から予期しない反応が返ってきた。
「親方だから僕たちはこの世界に入りました。親方が辞めるのであれば、僕らも全員、辞めます」
皆、泣いていた。
親方は14歳で入門した自身を思い返した。師匠(佐渡ヶ嶽親方=元横綱琴桜)がいたから自分も横道にそれずに修業を全うすることができた。「それを考えれば、この子たちを辞めさせるわけにはいかない」
誕生日には、若い弟子が1人、代表して病室に来てビデオレターを見せてくれた。プラカードを持った一人一人が、「親方、叱ってください」などと思いを書いていた。「幸い、頭と口は達者だ。やってやるかと思った」
講演活動は「自分を保つための自己暗示」

桃ちゃんは23年9月、亀山市の社会福祉協議会から打診され、同市立昼(ひる)生(お)小学校で初めての出前授業で自身の体験を語った。午後の5時限、6時限を使った2コマの授業だった。
5時限目が終わると児童が叫んだ。「えっ、授業もう終わり? 早!」。居合わせた先生に言われた。「子どものこんな反応、教師でもなかなかないよ」。桃ちゃんは夫妻に「私は褒めてもらうと伸びるタイプ。『自分を保つための自己暗示』だと考えて、今も講演活動を続けられていると思います」と、正直な気持ちを伝えた。

静かに耳を傾けていたおかみさんが言った。
「不幸かと言えば、けがも病気も不幸だけれども、2人は選ばれて、使命があって、病気やけがに遭ったんだなと思った。桃ちゃんのおかげです。ありがとう」(三木修司)
