「生きていることには涙はつきもの」島倉千代子さん 中絶3回、実姉の死、孤独闘病20年…“細木数子ドラマ”で描かれなかった「壮絶人生」
4月27日の配信開始と同時に、大きな反響を呼んでいるNetflixドラマ『地獄に堕ちるわよ』。’21年11月に他界したカリスマ占い師・細木数子さん(享年83)の激動の生涯を描いた作品で、細木さんの17歳から66歳までを主演の戸田恵梨香(37)が演じた。
本作で織りなされる濃厚な人間模様は見どころのひとつだが、とりわけ再注目されているのが三浦透子(29)演じた昭和を代表する演歌歌手・島倉千代子さん(享年75)だ。
「ドラマでは橋から身投げしようとした島倉さんを、細木さんが助けたことで2人の関係が始まります。島倉さんは男に騙されて4億円以上の借金を背負い、事情を知った細木さんが後見人に。公私ともにパートナーとなった2人でしたが、島倉さんが細木さんから搾取されていることを知り、訣別するストーリーが描かれました」(ドラマ誌ライター)
’70年代に取り沙汰された借金騒動が題材となっているが、島倉さんが抱えた実際の借金は15億円を超えるほどにまで膨らんだともいわれている。また、ドラマでは描かれなかったものの、その人生は幼い頃から波乱万丈の連続だった。
昭和から平成にかけて本誌が報じた記事をもとに、改めて島倉さんの人生を振り返りたい(以下、《》内は当時の表記のまま)。
■幼少期に負った左手の大怪我、ファンが投げたテープで失明寸前の重傷も
島倉さんは6人きょうだいの四女として、’38年3月に東京・品川区で誕生。7歳の頃に疎開先で左腕を47針も縫う大怪我に見舞われ、一時は暗澹とした日々を送っていたという。左腕の大怪我について、当時36歳だった島倉さんは、本誌’75年1月9日・16日合併号に寄せた手記でこうつづっていた。
《左手の自由が、きかない私にとって、“ひがみ根性”そのものが支えであり、生活のすべてでなかったかしら……最近、ふと、そんな風に、感じるときがあるのです》
《血管を、四本切って、四十七針も縫う大怪我。奇跡的に、助かった私。この怪我を、境にして、私の人生が、大きく変わっていったのです。“ひがみ根性”“劣等感”という言葉で、表したほうが、いいのかもしれません》
だがそんなときに、歌を教えてくれたのが母だったという。前出の手記では《母って、素晴らしい―― 先見の明というのでしょうか。 ――その歌で、身を立てているのですから》と、感謝の気持ちを記していた。
それからは姉と一緒にのど自慢大会の常連となり、次第にプロを目指すようになった島倉さん。
’54年にコロムビア全国歌謡コンクールで優勝したことをきっかけに、一気にスターダムを駆け上がる。’55年発売のデビュー曲『この世の花』は200万枚、’57年発売の代表曲『東京だョおっ母さん』は150万枚の大ヒットを記録し、『NHK紅白歌合戦』への初出場も果たした。
しかし、’61年の公演中にファンが投げたテープが目に当たり、失明寸前の重傷を負うことに。父が他界した’63年には元阪神タイガースの藤本勝巳氏(88)と結婚するが、その後も次々と不幸が島倉さんを襲う。
「周囲の反対を押し切って結婚した島倉さんは、藤本さんとの間に3度子供を授かりましたが、いずれも中絶しています。結局、藤本さんとの結婚生活も5年でピリオドを打つことに。’72年には最愛の母が亡くなり、心の拠り所がなくなっていくなか、失明寸前の自分を救ってくれた眼科医・A氏に心を寄せていきました。
当時の報道によれば、島倉さんは実弟のマネージメントを離れ、目を治療してくれたA氏がオーナーとなっていた芸能事務所に移籍。島倉さんはA氏を深く信頼していて、藤本さんとの結婚の際もアドバイスを求めたとか。A氏もまた、いつでも島倉さんの診察ができるように、島倉さんの自宅に治療道具一式を置くほど気にかけていたそうです」(前出・芸能関係者)
■再婚間近と囁かれるも…島倉さんが借金連帯保証人になった眼科医の“肉声”
島倉さんはA氏と再婚間近とも囁かれていたが……。当時、本誌はA氏を直撃しており、本誌’75年7月3日号ではA氏の肉声がこう残されていた。
《そりゃあ医師ですから、島倉とは知人、友人以上の仲ですよ。こんなことを言うと、また誤解されちゃうけど…。でも、私は、島倉に異性を感じないんです。もし、島倉に女を感じていたら、藤本君以前に、私が結婚していたでしょう。あの結婚のときだって、私は、島倉の相談にのっていたぐらいですからね》
そんなA氏が借金を作って蒸発してしまったのは、この直後だった。前出の芸能関係者は、当時をこう振り返る。
「島倉さんはA氏の借金連帯保証人になっていたことで、6億円ともいわれる多額の借金を背負うことになりました。細木さんと出会ったのは、このときです。細木さんは’77年3月に行われた島倉さんの記者会見に同席し、彼女のマネージメントも手掛けたことで世間に顔が知られることに。
いっぽう、島倉さんは借金返済のためキャバレーやクラブの営業など、スター歌手なら断るような仕事も積極にこなしていました。借金は利子を含めて15億円を超える額にまで膨らみ、ようやく返済できたのが’90年のこと。当時、島倉さんは都内で記者会見を開きましたが、自分を裏切った相手に対する恨み節などを漏らすことは一切ありませんでした」
借金完済までの間には、’87年リリースの代表曲『人生いろいろ』が大ヒットし、再ブレイクを果たした島倉さん。だが、希望の光が見えてきたのも束の間、翌’88年に姉との別れに直面する。
「島倉さんのお姉さんは目黒川に入水し、自ら命を絶ったといいます。遺書には“迷惑かけたけど、みんな仲良くやってよ”とあり、島倉さんのレコードや新聞・雑誌の切り抜きが残されていたそうです。悩みを打ち明けられる人もいなかった島倉さんは、気づけばお姉さんが飛び込んだ川に足が向かっていたこともあったといいます。
さらに’89年には敬愛していた美空ひばりさん(享年52)が亡くなり、’93年には乳がんが発覚。’07年には知人に資産を奪われ、再び多額の借金を背負ったことも。島倉さんはストレスから、“5年ほど声が出なくなった”と明かしていました」(前出・芸能関係者)
そんな島倉さんがこの世を去ったのは、’13年11月のこと。亡くなる3年前に肝臓がんが発覚し、同年に入ってからは肝硬変を併発していたという。
「亡くなる20年以上前から肝臓を悪くしていたようで、自分で注射を打ちながらひっそりと闘病していたと聞きました。ですが、どれだけ体調が悪くても弱音を吐くことはなかったそうです。最期まで歌に対する情熱を燃やし続け、亡くなる3日前に自宅の病床で『からたちの小径』をレコーディングしたエピソードは有名です」(前出・芸能関係者)
どれだけ不運に見舞われても、他人を恨まず、前向きに――。島倉さんは亡くなる5年前の’08年、森昌子(67)との対談で当時70歳を迎えた胸中をこう語っていた。
《これから自分の人生をどうしようと考えたときに、涙が出てくることが多いですよ。残念だけど、人生って、生きているってことには、涙はつきものだと考えているの。でも、涙をこぼしても一生、笑っても一生ならどちらをと取るか。そう考えたとき、やっぱり笑って生きてったほうがいいよね、同じ生きるなら》(本誌’08年11月18号)
島倉さんの心がこもった歌は、令和になったいまも多くの人々に愛されているはずだ。
