仕事のデキるリーダーは、なぜ「文学」を好むのか…山口周氏が解説する「娯楽」ではない超実践的な使い方
※本稿は、山口周『コンテキスト・リーダーシップ』(光文社新書)の一部を再編集したものです。

■なぜ上司の話を部下は理解できないのか
組織内にいる人は、事実を事実のまま捉えるのではなく、自分なりに意味づけてナラティブを編集します。レンシス・リッカート特別大学の組織心理学者、カール・ワイクは「センス・メイキング」というコンセプトを提唱し、人間のこのような営みを理論化しました。
ワイクによれば、人々は客観的な「事実」をそのまま受け取っているのではなく、曖昧さや不確実性に満ちた状況を前にして、自分たちなりの「解釈」を積み重ねることで現実を立ち上げています。つまり、現実そのものがあらかじめ与えられているのではなく、私たちの意味づけの過程を通じて「現実」が形作られていく、ということです。
私たちにとって、一つ一つの出来事の意味は、その瞬間には明らかになりません。現場で起きることは断片的で、情報は不足し、判断の材料も揃っていません。そのため、多くの場合、私たちは事後的に、それら一つ一つの出来事をつなぎ合わせ、「こういうことだったのだ」という物語を編み上げ、それを他者と共有することで意味づけしていきます。
ここで留意しなければならないのは、リーダーが、目の前の不確実で断片的な観察から、辻褄の合う物語を紡ぎ出すのと同じように、メンバーもまた、メンバー各自の人生経験や世界観と辻褄の合うように物語を紡ぎ出すということです。
リーダーとメンバーのあいだで物語に齟齬がある場合、あるいはメンバー同士のあいだで齟齬がある場合、リーダーの語るビジョンやストーリーは辻褄の合うものには思えず、メンバーの腹落ちは期待できません。
■観察→解釈→行動
では、どのようにして、リーダーとメンバーとのあいだで生まれる「物語の不整合」、いうなれば「コンテキストのコンフリクト」を解消できるのでしょうか?
カール・ワイクの「センス・メイキング」によれば、私たちは観察→解釈→行動という三つのステップを通じて物語を作っています。組織全体として同じコンテキストの理解に至るためには、この三つのステップを意識的に共有することが欠かせません。その際、各プロセスでのリーダーとメンバーの対話が極めて重要な役割を果たします。
例えば、「観察」の段階では、事実やデータを共有するだけでなく、リーダーとメンバーが同じ現場を体験し、その場で感じたこと、自分がどのように解釈したかを率直に言葉にし合うことが大切です。数字や報告書から得られる情報だけでは、微妙なニュアンスや感情の動きは共有されません。現場をともに見ることで、「何を見たか」の理解を揃えることができます。

この「観察」のステップにおいて、ともすると忘れられがちなのが、リーダーが持っている視野や視座の共有という点です。現場で何を見たのかに加え、なぜそれを重要と考えるのか、どのような背景や文脈の中で捉えているのかを共有することで、メンバーは単なる事実認識にとどまらず、より深い理解と一貫した判断基準を持つことができます。
■「なぜそう考えたのか」を語る
次に「解釈」の段階では、同じ事実を見ても人によって意味づけが異なることを前提に、対話を通じてその違いを可視化します。
マーケティングを理論として体系的にまとめたフィリップ・コトラーは、香港のシューズメーカーがポリネシアに市場進出した際、「誰も靴を履いていない」という状況について、あるセールスマンが「まったく市場が存在しない」と報告したのに対して、別のセールスマンが「巨大な市場が存在する」と報告したというエピソードを紹介しています。「誰も靴を履いていない」という事実は変わりませんが、それをどう解釈するか、意味づけするかには多義性があるのです。
したがって、リーダーは、自らの解釈の前提や使っているフレームを明示し、メンバーにも「なぜそう考えたのか」を語ってもらう必要があります。このプロセスは意見を一本化するためだけでなく、異なる視点を組織の知として蓄えるためにも不可欠です。
■リーダーとは意味をつくる存在
第三に「行動」の段階では、合意形成を待つのではなく、小さな実験をリーダーとメンバーが協力して実行します。そして、その結果を再び対話によって振り返り、「どの解釈が現実と合致していたか」「何を修正すべきか」をともに検討します。
ワイクの理論の中核には「行為が理解を生み出す(Enactment)」という考えがあります。状況は受動的に観察するだけでは捉えられず、行動によって初めてその輪郭が浮かび上がります。行動と学習を結びつけるこの対話の繰り返しによって、組織全体のコンテキスト理解は徐々に揃っていきます。
観察・解釈・行動の3三つのステップは、単なる作業手順ではなく、リーダーとメンバーが対話を通じて共通の物語を育てるための循環です。この循環を意識的に回し続けることが、組織におけるコンテキストの共有を可能にするのです。
言い換えれば、リーダーとは単なる意思決定者ではなく、「意味を作る存在=Sence Maker」であるべきだ、ということです。
■なぜ文学を読む必要があるのか
人は、その人なりの物語を生きており、周囲の人々の言葉や行動だけでなく、場合によっては自分の言葉や行動すら、コンテキストに応じてあとから意味づけします。したがって、コンテキストを理解し、操作しようとするならば、他者が、どのようにして「行為や言葉の連鎖」から意味づけして物語を生成するかのパターンを、どれだけ知っているかが重要な素養となります。

だからこそ「文学」は人生を生きる上で大きな武器になるのです。よく「文学など架空の物語で、現実には役に立たない」といった趣旨のことを言う人がいますが、ここまでの説明を読めば、この指摘がいかに人間洞察に欠けた底の浅いものか、よくわかると思います。
私たちが「現実の世界」と考えているのは、私たちによって意味づけされた、私たち個人の「現実という名の物語」なのです。そしてリーダーは、周囲の人々にとっての「現実という物語」を生み出し、その物語の中での当事者の役割を意味づけることが求められます。
いうなれば、文学とは、単なる娯楽や空想ではなく、人間が他者を理解し、自分の生きる世界を意味づけるための一種の「思考実験の場」だということです。小説を読むとき、私たちは登場人物の行為や言葉の背後にある感情や動機を想像し、無意識に「もし自分ならどう感じるか」「この人物はなぜこのような行動をするのか」と、自分なりに物語を補完しています。
■読んでいるのは本当に同じ本か
文学は書かれた時点で完成しているわけではありません。書き上げられた文学というのは一種の割符のようなもので、作者が割符の半分を差し出し、残りの割符の半分を読者が作り出すことによって、その読者ならではの物語として初めて成立するのです。
『モモ』や『はてしない物語』で知られるミヒャエル・エンデは「親愛なる読者への44の質問」という著作で、「数人の人が同じ本を読んでいるとき、読まれているのは本当に同じ本でしょうか?」という質問を投げかけています。

たとえ同じ文章を読み、同じ順序でページをめくったとしても、そこから立ち上がる「物語」は一人ひとり異なっている、ということをエンデは言っているのです。それは、読者がこれまでに経験してきた出来事、抱いている価値観、心の奥底に潜む恐れや願望といったものが、読み取られた言葉と化学反応を起こし、まったく別の情景や感情を立ち上げるからです。
だからこそ、文学を読むことは「他者の物語を借りながら、自分自身の物語を豊かに編み直す」行為なのです。そしてこの能力は、現実世界において人を理解し、関係を築き、状況を動かすための最も重要な力の一つとなります。リーダーや交渉者、教育者、さらには日常の人間関係においても、相手の物語に寄り添い、その物語をともに再構築できる力を持つ人こそが、他者の心を動かし、現実を動かすことができるのです。
ゆえに、文学は単なる「現実逃避の娯楽」ではなく、むしろ現実を読解し、編集するための強力な訓練場であり、時に剣以上に鋭く、盾以上に頼れる武器となるのです。
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山口 周(やまぐち・しゅう)
独立研究者・著述家/パブリックスピーカー
1970年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ等を経て現在は独立研究者・著述家・パブリックスピーカーとして活動。神奈川県葉山町在住。著書に『ニュータイプの時代』など多数。
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(独立研究者・著述家/パブリックスピーカー 山口 周)
