2025年(1月〜12月)、文春オンラインで反響の大きかった記事を発表します。インタビュー部門の第2位は、こちら!(初公開日 2025/11/14)。

【手術前→手術後】リストカットの傷あとが目立たなくなった女性の腕。見た人のほとんどはリストカットだと気づかなくなる

*  *  *

「自傷する人は“かまってちゃん”だろうと思っていました」

 世界で唯一の“リストカットの傷あと特化クリニック”を開いた形成外科医の村松英之さん(50)は、研修医時代にそんな「偏見」を抱えていたという。

 しかしその考えは、開業後に180度変わった。今、日本全国から彼の元を訪れる女性患者たちの意外な姿とは。(全4本の1本目/2本目を読む)


世界で唯一の“リストカットの傷あと特化クリニック”を開いた村松英之医師 ©文藝春秋 撮影・杉山秀樹

◆◆◆

──村松さんのクリニックは「リストカットの傷あとに特化した形成外科」をうたっていますね。全国でも珍しいのでは。

村松 2017年に開業以来、1200人以上の自傷患者さんを診てきました。でも昔は、自傷する人への苦手意識があったんです。

 僕が医者になったのは2000年ですが、最初は総合病院の研修医だったので、夜間は入院患者さんや救急外来に対応する当直勤務がありました。夜なので自傷の患者さんも多かったのですが、交通事故など他の理由で来院する人たちとは印象が違ったんですよね。

「『自傷する人は“かまってちゃん”だろう』と思っていました」

──どんなところが違ったのでしょう。

村松 夜間の救急外来に来るほどなので、たいていは腕を深く切っているんですよ。いわゆる「リストカット」です。気づいた家族があわてて連れてきたり、救急車で運ばれてくるんですが、当のご本人はなぜかスッキリとした表情をしていることが多くて。

 普通、ケガをした患者さんはショックを受けたり泣いたりするのに、僕が見た自傷患者さんにはそういう様子がまったくない人もいました。それが印象的で「なぜ他人事のような顔をしているんだろう」と思ったんです。

──「自分のせいで大ごとになっているのに」と?

村松 正直に言えば、そういう気持ちもあったと思います。当時は医療者側もリストカットへの理解が浅かったし、先輩医師の中には「自傷をやめさせるには、治療時に痛みや恐怖感を与えるべき」と言う人もいました。たとえば「麻酔なしで傷口を縫うほうがいい」みたいな。

──今なら大問題になりそうですが。

村松 そうですね。ただ、自分の周りは形成外科の医師ばかりで、それぐらい知識に乏しかったんです。僕自身も、深い傷を負った患者さんに入院をすすめたら「家に帰せ」と抵抗されたり、医師や看護師への高圧的な態度を目の当たりにしたので「自傷する人は“かまってちゃん”だろう」と思っていました。

──かまってちゃん。

村松 「自傷は、本人の辛さをアピールするための行為だ」という理屈をつけると、僕の中で納得しやすかったんです。自傷すると周囲は驚いて優しくなる。だから「自分に振り向いてほしい、かまってちゃんではないか」と思っていました。

 でも2017年にこのクリニックを開いてから、その印象が180度変わったんです。

開院から半年ほど経つと、リストカットあとに悩む患者さんが増えてきた

──どんなことがあったのですか。

村松 開院当初はケガや事故、ヤケドの傷あとに悩む人を診るつもりでした。でも半年くらい経つと、リストカットの傷あとに悩む患者さんが増えてきて。「きずときずあとのクリニック」という名前なので、ネット検索をしてこの病院名が出てきたんでしょうね。

 それで自傷患者さんに触れる機会が増えたんですが、何人も診察しているときに違和感を持ったんです。それは、みんな身なりがきちんとしていて、真面目だし礼儀正しいんですよ。研修医時代に自分が抱いていたイメージとはまったく違いました。もしかして自分は誤解していたのではと思い、そこから自傷について勉強を始めました。一番驚いたのは「自傷行為にはメリットがある」ということです。

──自分を傷つけることにメリットがある?

村松 これは自傷行為の本質の話ですが、自傷にはストレスを和らげる効果があります。

 患者さんはよく「頭の中が嵐になる」と言いますが、死にたいくらい辛い感情、怒り、悲しみ、絶望に襲われて、頭の中がワーッと混乱状態になってしまう。そのときリストカットなどで体を傷つけると、βエンドルフィンやエンケファリンなどの神経伝達物質が出て、スッと楽になるんです。

 これは痛みや辛さから自分を守る、いわゆる脳内麻薬です。マラソンのランナーズハイや妊婦さんの出産時にも同じような現象が起きます。

──では、自傷することで辛さから逃げられる?

村松 そうです。心が辛さに耐え切れないとき、自分の体を傷つけると脳内麻薬が出る。そうすることで「死にたいほどの現実」を一時的に生き延びられるんです。これは精神科医の松本俊彦先生から学びました。

──他に、自傷による作用はありますか。

村松 自傷後は表情が穏やかになったりします。脳内麻薬の効果で、それまで険しくしんどい顔をしていた人が、微笑むような穏やかな表情になることがあるんです。

──では、研修医時代に見た「自傷患者さんのスッキリとした顔」というのは……?

村松 まさにそれです。リストカットするときに切るのは、皮膚だけはありません。心の中の辛い感情を切り離しているんです。「私にひどいことは何も起きていない」「大丈夫」と、自分自身をだます意味もある。それを知って「深夜に急患で来た患者さんたちはそういうことだったのか!」と、目からウロコが落ちました。

──心の防衛反応なんですね。

村松 自傷によって記憶の解離が見られるケースもあります。これはうちの患者さんの話ですが、ご両親が亡くなったことが大きなストレスになり「両親が死んでから1、2年の記憶がない、ただ、腕にたくさん傷ができていた」と。その方は、親の死というストレスに襲われるたびに腕を切り、それを何度も繰り返して「死のショックが和らいだ頃、ようやく記憶を取り戻した」と言っていました。

「僕は中学時代、ずっと死にたかった」

──自傷にはそんな側面もあるのですね。

村松 ええ。世間の人は「自殺」と「自傷」を同じものだと思っていますが、まったく違うものです。自殺が死ぬための行為だとすると、自傷は生きるための行為。本人は「死にたい」と思って自分を傷つけていても、それは現実を生き抜くためなんです。

 こうして自傷のことを学ぶうちに、僕も自分の過去で思い出すことがありました。僕は中学時代、ずっと死にたかったんです。

──死にたかった。

村松 僕が小学生の頃、父は会社経営に失敗して、仕事もせずにフラフラしていました、その後、母の経営するスナックに金儲け目的の違法賭博ポーカーゲーム機を入れたんです。ある夜、テレビのニュースを見ていたら「経営者夫婦が逮捕」と、両親の名前が出て。

──それは驚きますね。

村松 両親は釈放後に離婚し、僕は父と弟の3人暮らしになりました。中学になると勉強についていけず成績は落ちまくり、学校ではパシリ。不良グループから金品を巻き上げられたり、酒やタバコを買いに行かされたり。それが本当に嫌で、毎日「死にたい」と思っていました。

 裏山でビール瓶を投げたり、ゲームに没頭しましたが、ストレスは消えず鬱屈の日々でした。当時「リストカット」という手段を知っていたら、僕もやっていたと思うんです。

 それを思い出したら、自傷する人を「かまってちゃん」と決めつけていた自分は無知だと気づきました。そして、患者さんと話すとき「僕も家庭と学校での人間関係に悩んでいた。あなたと同じようにリストカットしていたかもしれない」と思うようになったんです。自傷する人への偏見が、完全になくなった瞬間でした。

(前島 環夏)