トレーニングに励む山。今季はCBとボランチで存在感を発揮している。(C)2026 S.FC

写真拡大 (全2枚)

 サンフレッチェ広島アカデミーから順天堂大を経て、広島でプロデビューした山粼大地は、今季からバルトシュ・ガウル監督が指揮を執るチームで開幕スタメンを勝ち取り、存在感を高めつつある。これまでの3年間は悔しさの連続だったという25歳DFの、胸の内に迫ったインタビューの後編をお届けする。

――◆――◆――

 順天堂大でサッカーに打ち込み、「プロでもやれる」という揺るぎない自信をつけた。そして憧れだった広島でプロデビューを飾った山粼だったが、プロの世界はそんなに甘くなかった。

 佐々木翔、荒木隼人、塩谷司。今もなお主力としてチームを支える3バックの壁は大きく、メンバー入りできない日々が続いた。1年目のリーグ戦は11試合に出場したが、そのうちスタメンは4試合のみ。ほとんどが後半終了間際の数分だけだった。

「たくさん試合に出て活躍するイメージを持っていたので、自分が思い描いていた通りではなかったです。甘い世界ではないと改めて痛感しました。ただ、荒木隼人選手もそうだし、佐々木翔選手や塩谷司選手も、Jリーグでトップクラスの選手。互いに特長が違うので、いろいろ盗んで自分のものにしようと取り組んでいました。試合に出られなかったですけど、クオリティの高いトレーニングが積めていたので、成長できたと思っています」
 
 来季こそは――。そう意気込んだ2年目は、さらなる試練が待っていた。3月にトレーニングで右膝を負傷。右膝前十字靭帯再建術、内外側半月板縫合術というふたつの大きな手術を受けた。パリ五輪を目ざす大岩ジャパンのメンバー候補にも名を連ねていたが、ひとつの目標にしていた本大会出場は夢へと消えた。

「トレーニングで接触した瞬間に、前十字だとすぐに分かりました。一度経験しているので。でも、分かりたくなかった。キャンプからコンディションが良くて、感覚も良くなってきたタイミングだったので、『よっしゃ、これから!』という気持ちでした。1年目の悔しさをぶつけるシーズンにしたかったですけど、パリ五輪の可能性も消えてしまって。かなり落ち込みました」

 そんな時に心の支えになったのが、ファン・サポーターの存在だ。

「僕が試合に出ないと分かっていても、3番のユニホームを着て応援してくれる方がいますし、心配してくれる人も、『頑張って』と声をかけてくれる人もいて、嬉しかったです。強くなって絶対に帰ってくる。落ち込むのはやめて、頑張ろうって切り替えました」

 とはいえ、二度目の大きな怪我。精神的なダメージは大きかったのも事実。だからこそホームゲームの試合後はファン・サポーターの前に顔を出すように心掛けた。

「本当にピッチに戻れるのか、不安はありました。(高校時代に)左足をやって、今回は右足。身体のバランスもそうだし、元通りにはならないなと思いました。正直、しんどいことも少なくなかったので、ファン・サポーターの皆さんの前に出て、元気をもらっていました。それに、佐々木翔選手も二度(右膝の前十字靭帯を)怪我しているので、そういった選手がまた活躍していることも支えになりました」
 
 きついリハビリだったことは想像に難くないが、受傷から約1年が経った昨年2月、FUJI FILM SUPER CUPの広島側のベンチに、山粼の姿があった。「まさか自分がメンバーに入るとは思っていなかった」背番号3は、ピッチに立つことはなかったが、それから約2週間後のアジア・チャンピオンズリーグ2のラウンド16・ナムディン戦で公式戦復帰を果たした。ただ、本人の口から出てきたのは、またも悔しさだった。

「全く思い通りのプレーができなかったです。戻ってこられた嬉しさはありましたけど、久々の公式戦で不安もありましたし、いろんな感情がありました」