「おまえのせいだ」なぜ宮内庁幹部は激怒したのか⋯? 皇太子に“天皇一家の不和”へ切り込んだ『皇室記者の危険な質問』
〈「適応障害と診断」「公務復帰もままならない」宮内庁長官が苦言を呈したことも⋯皇太子ご夫妻への批判が“日常化した”平成の特殊事情〉から続く
「宮内庁長官の発言は、本当に“そのまま”受け取っていいのか」。
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異例の苦言の裏側を探るべく、記者は宮内庁幹部に直撃する。だがそこで浮かび上がったのは、皇室の「家族」と「公」をめぐる深い溝と、内部から噴き出した強烈な反発だった。
天皇家を覆っていた平成という時代特有の“空気”を、ジャーナリスト・大木賢一氏の著書『「平成の天皇家」と「令和の天皇家」』(講談社)より一部を抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)

皇太子時代の徳仁天皇 ©getty
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宮内庁長官の真意
定例会見が終わった直後、私はアポを取って一人で長官室に戻り、羽毛田氏に念を押した。
「いま記者室で記事を書き始めて思ったのですが、さきほどの発言は、どう考えても『宮内庁長官が皇太子に苦言』という見出しになってしまいますよ。それ以外の表現はどうしても考えられない。長官はそれでもいいんですか」
羽毛田氏は「まあ、仕方ないですね」と言って、静かに笑うだけだった。
その様子を見て私は、ああ、この人はもとから覚悟しているんだな、と思った。ということは、この発言はあらかじめ天皇、皇后の了解を取ってのことであり、長官が自分の一存で「拝察」の内容を話したかのような見せかけは真実ではないのだろう、と確信した。
「両陛下も心配しておられる」というのも、何を心配しているのかよく分からない不思議な表現で、むしろ「両陛下も不満である」と言った方が、よほどすっきりする。
わざわざ不自然な言い回しをしたところにも、天皇夫妻の本心を穏便な言葉で包もうとする意図が感じられ、かえって発言の真の発案者が誰なのかを物語っているように感じられた。どちらにせよ、この「苦言」の中に明仁天皇夫妻の意思も含まれていることに疑いはなさそうだった。
皇太子への質問を志願
こうした私の理解と推測は、あながち的外れなものだったとは言えない。「週刊文春」2008(平成20)年2月28日号の関連記事の見出しは「『愛子さまに会えない』天皇が長官に託した皇太子への怒り」だった。長官が天皇と話して了解を得た上で発言したのだろう、というのは、当時の宮内記者会でも多くの記者が感じていたことだったと言える。
長官発言の約1週間後、徳仁皇太子の誕生日の記者会見が行われた。その日程はずっと前から決まっており、羽毛田氏の「苦言」が、皇太子のこの日の「回答」を求めてのことであることは明らかだった。
記者会から皇太子への質問事項は、宮内庁との調整を重ねて協議され、あらかじめ5問程度が提出されている。会見当日のわずか1週間前にわき起こった羽毛田氏の「苦言」に対する回答を聞くのなら、事前提出された質問の後の「関連質問」で聞くしかない。
志願して質問に立った私は、長官発言に対する皇太子の感想を尋ね、さらにこのように質問した。
「長官がご自分の一存だけであの発言をされたとは、私には到底思えないんですが、皇室のご家族の、ご家庭内のことをああした公式の場所で発言せざるを得ない、こういう状況が今の皇室のご家庭の中にあるというこの現状をどのように受け止めていらっしゃるのかお聞かせください」
心情的に皇太子の方に同情している私としては、「長官の一存とは思えない」との文言は、長官にも、両親にも文句を言えないであろう皇太子に代わって自分が言って上げようと覚悟した上での表現だった。
その上で、「来ないなら来てほしいと天皇側が自分で皇太子に言えば済むことだろう」との思いをぬぐえない私は、こうして家族の問題を飛び越えて周囲を巻き込んでしまうようなことが現実に起きていることにも質問を及ばせようと思った。
参内に行くのか行かないのか、なぜ行かないかを聞くよりも、わだかまる家族の問題をどう思っているのか聞く方が、記者の意識として正しいと今でも思う。家庭内のことに「公」の組織である宮内庁幹部が巻き込まれるのは正常な姿と言えるのか。
大げさに言えば、平成の皇室がまとってきた「公」の在り方そのものに疑問を投げかけたつもりだった。この質問は、今でも宮内庁のホームページに掲載されている。
「家庭内のことではない」との叱責
返答を求められた徳仁皇太子の回答は予想通りのものだった。
「両陛下の愛子に対するお心配りは、本当に常に有り難く感謝を申し上げております。御所に参内する頻度についてもできる限り心掛けてまいりたいと思っております。家族のプライベートな事柄ですので、これ以上立ち入ってお話しをするのは差し控えたいと思います」
語気を荒くして私を叱責した宮内庁幹部
別の記者が「行かれない(参内しない)理由」について食い下がったが、皇太子は「これは本当に家族の内の事柄ですので、こういった場所での発言は差し控えたいというふうに私は思っております」と言うだけだった。
当然だろう。皇太子は、自分たち一家の参内の有無や頻度、愛子内親王が祖父母に会うとか会わないとかいうことは、家族内のことであって「公」のことではない、家族の中で解決すればよいことだと認識しているのだ。記者会見というのはまさしく「公」の場であり、そうした場所での言及はふさわしくない、とはっきり言っている。
そこには、「家族」や「家庭」というものと、天皇や皇太子が求められる「公」の意識とを区別する意識が見て取れる。また、あらためてよく読んでみると、「家族というプライベートな事柄」について、宮内庁長官自身の記者会見という「公の場」で言及した羽毛田氏への批判にもなっている。
それからほどなくして、私は明仁天皇夫妻の最側近とされる宮内庁幹部の自宅を訪ねた。長官発言の真意と皇太子発言の感想を聞くためだった。
夜の玄関先で誕生日会見での皇太子とのやり取りについて話していると、その幹部は語気を荒くして私を叱責した。
「おまえのせいだ」
「皇太子は、家族のこと、家族のこと、と言っていたが、おまえの質問がそうさせたのだ。皇太子が御所に参内するのは、決して家庭内のことなんかではない。天皇としての在り方を学ぶ大事な場なんだ。それをないがしろにする息子と嫁が悪い。家族とかプライベートなどという言葉を言わせたのはおまえのせいだ」
昭和天皇が在位中、当時の明仁皇太子夫妻が週に1回天皇の元を訪問するのが定例化されていたことはよく知られている。この幹部の念頭にも、そうした前例があったはずで、言うことは分からないではない。天皇となる者が先代と多くの時間を共にして、体験を聞き取り、わが身に吸収していくことは、とてつもなく大きなことだろう。
だが、皇太子はこのとき「家族の内の事柄」「プライベートな事柄」と言っただけであり、決して、ことを軽んじたというわけではない。
後に詳しく述べるが、このころ、天皇夫妻と皇太子一家との間に重大な溝とわだかまりがあるのではないかということは関係者の間で共通認識となっていた。その状態で「参内が少ない」と側近がなじり、皇太子の自覚が足りないと非難するのは、皇太子の側だけを一方的に悪者にしてしまう行為なのではないか。
客観的に考えて、溝を飛び越えて皇太子一家が御所に足を運ぶのは、きわめて気の重いことだっただろう。だが、「行きたくない」と言うわけにもいかない。
明仁天皇の「うち解けて話をするようになることを楽しみに」という言葉も、裏を返せば愛子内親王が自分たちにうち解けていないことを告白しており、両家を包んでいた重い空気感を示している。今の時代に「息子夫婦が毎週一度実家に来る」ことを要求するのはあまりに酷すぎる、とする識者の声もあった。
“特殊すぎる”皇室の論理
家族内のことすらを「公」と断じて、その考えに応じない者を指弾する。この側近が示した態度の根底には、体面上、天皇と皇族の行いのほとんどすべてを「公」だとする価値観があると思う。
これは第2章、第3章で詳しく見る通り、明仁天皇夫妻が、平成という時代を通して確立してきた「体面を重視する平成的な価値観」の帰結の一つだと言えるだろう。
しかしその「公」の論理の陰に、家族間のいさかいという現実が隠されているのであれば、賞賛される「公」の装いは、みせかけだけのフィクションということにもなろう。
皇室は理想のファミリーだとする「公」のフィクションを守ろうとすれば、現実には存在する家族間の軋轢はなかったものとして隠蔽されるしかない。皇太子としては、なかったとされているものに言及するわけにはいかない。
平成のこの時期、奥歯に物の挟まったような言いように終始していた皇室の出来事のすべては、そうした論理の歯車で動いていたように思える。
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「両陛下も心配しておられる」
雅子様はなぜ「適応障害」になったのか。宮内庁長官の異例の発言が波紋を広げた2008年、療養中の皇太子妃とその家族に批判が殺到した「特殊な事情」とは⋯⋯
【下記リンク】「適応障害と診断」「公務復帰もままならない」宮内庁長官が苦言を呈したことも⋯皇太子ご夫妻への批判が“日常化した”平成の特殊事情へ続く
(大木 賢一/Webオリジナル(外部転載))
