「本当に夫には謝ってほしいです(笑)」夫・さまぁ〜ず大竹一樹との“家庭内やりとりの裏側”…中村仁美(46)が語る、結婚16年のリアル
先ごろ出版された初の著書『妻脳vs.夫脳 年上夫のあるある観察記』(光文社)が重版を重ね好評を博している中村仁美さん(46)。フジテレビのアナウンサーを経て、現在はフリーアナウンサーとして、テレビ、ラジオ、雑誌連載など仕事面が多忙な一方で、3人の男の子の母としても奮闘中。
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夫である芸人コンビ「さまぁ〜ず」の大竹一樹さんが自身の番組で披露する、家庭内での抱腹絶倒のエピソードは、時折メディアでも話題に。
今回は著書の話とともに、これまで語られることのなかった中村さんの本音、また仕事や子育て、この先の人生について率直な思いを伺った。

中村仁美さん
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本当に夫には謝ってほしいです(笑)
――男の子3人の育児をされながら、アナウンサーや執筆業を続け、今回ついに初の著書を出版されました。結婚・出産を経てフリーになられてから、早くも8年が経ちます。
中村 結婚したのが2011年3月でしたから、今年で16年目になります。フジテレビを辞めたのが2017年、翌年の1月からフリーアナウンサーとして活動しています。
――『さまぁ〜ず×さまぁ〜ず』(テレビ朝日・BS朝日)での大竹一樹さんの育児トーク、さすがの話芸でいつも楽しく拝見していました。勝手ながら中村さんのご家庭を垣間見ている気分でしたが、世間からは相当「強いお母さん」だと思われていたのではないでしょうか。
中村 さんざん私の文句を言っていましたよね。本当に夫には謝ってほしいです(笑)。ただ、お互いに意見を素直に言い合える関係なので、相手を傷つけようという意図はないんです。それぞれ違う考えがあるのは当然ですから。
育ち盛りの男の子が3人もいると、夫のことは置いておいて、どうしても子供を優先せざるを得ない場面が多くなります。特に夫は繊細でこだわりが強いので(笑)、「俺には何もしてくれない、気にかけてくれない」といった不満が積み重なり、世間の「強い妻」というイメージにつながっていったんだと思います。
――中村さんご自身の言葉で綴られた連載を拝読していると、働きながら育児に奮闘されているお母さんですから、「そりゃあ、たくましくもなるはずだ」と納得する場面が多かったです。
中村 本当ですか! そう言っていただけると、書いた甲斐がありました。今回の本は『STORY』で2021年から連載していた、夫の不思議な行動を綴ったエッセイをまとめたものですが、実は別の媒体では、真面目な育児の話を、テイストを変えて書き分けていたんです。連載を続け、こうして出版に至ったのも、夫や子どもたちが常にネタを提供してくれたおかげ。本当に感謝しています。
仲の良い友人がアナウンサー試験を受けると聞いて、「じゃあ、私も」と
――では、少し遡ってお話を伺わせてください。大学時代は、特にアナウンサーを目指していらしたわけではなかったそうですね。
中村 そうなんです。住居学を学ぶためにお茶の水女子大学に入ったのですが、4年生で研究室に所属するタイミングで、行きたかった研究室がなくなってしまい、目標を失ってしまって。当時は就職もあまり深く考えておらず、いろいろなアルバイトを経験しました。
通産省(当時)で事務のバイトをしていた時は、コーヒーメーカーの使い方が分からず、コーヒーを吹き出してしまったこともあります。職場の方に「ちょっと、中村さ〜ん!」と叱られるというか、呆れられるというか。事務の仕事は自分には難しいかもしれないと感じていました。そんな時、仲の良い友人がアナウンサー試験を受けると聞いて、「じゃあ、私も」と。ちょうどテレビで流れていたアナウンスセミナーのCMを見て、軽い気持ちで足を運んだのが始まりでした。
――そのお友だちはアナウンサーに?
中村 だめでした。
――付き添いで行ったオーディションに自分が受かってしまうという、芸能界でよく耳にするエピソードですね。
中村 でも、彼女は他に受けた会社はほとんど合格。まるでゲームのように、内定をとっていく優秀な子でした。
「とにかくおもしろいものを作ろう!」というその思い一つでした
――アナウンサーの仕事は、その大半がメディアを通じて大衆の目に触れることになりますが、そこに抵抗感などはなかったのでしょうか?
中村 入社してみると、知らないことやできないことがあまりにも多かったので、「頑張って、はやく一人前にならなきゃ」という気持ちが強かったんです。それにとにかく忙しい。ですから、“テレビに出ている”ことはそれほど意識していなかったのかもしれません。
――局アナ時代は、スポーツ報道を志望されていたそうですが、実際にはバラエティ番組の進行やアシスタントを数多く務められました。どの部署も大変だとは思いますが、バラエティはアナウンス技術だけでなく、演者としての才も求められますよね。
中村 バラエティ番組は、毎回同じ結果になることはありません。これをやれば正解という型がなく、アナウンサーに求められる役割もその都度違いました。メインの芸人さんやMCの方によって番組の作り方や進め方が全然違うので、それをいちいち確認するわけにもいかないし、「この人はこういうスタイルなんだな」と瞬時に把握して動くのはとても大変でした。
――バラエティの適性があったからこそ、長く担当されてきたかと思うのですが、この人とはウマが合う、やりやすいという方はいましたか?
中村 私からそんな大それたことは言えません(笑)。全力で追いかけ、流れを壊さないようにと毎回必死でした。私にバラエティの適性があったというより、当時は今より番組が多かったですし、新しいことを始める時に、新人や経験不足のアナウンサーでも使ってくれる懐の深さみたいなものがありました。特にフジテレビは、未熟だったり失敗したりすることをおもしろがってくれる自由な雰囲気の会社だったので、そのおかげで本当にのびのびとやらせてもらいました。
――「局アナは会社員で使い勝手がいいから、色々な番組に呼ばれていただけ」――以前エッセイでそう書かれていたのが非常に潔く印象的でした。実際、アナウンサーというよりは「制作スタッフの一員」という感覚も強かったのでしょうか。
中村 まさにそうです。当時、私がご一緒していたバラエティのスタッフさんは「とにかくおもしろいものを作ろう!」というその思い一つでした。私も、演者さんに気持ちよく仕事をしていただきたいということを最優先に考えていたので、収録が終わればスタッフさんといつも反省会をしていました。
写真=志水隆/文藝春秋
〈「あの忙しさで、よく3人目を考えたね」フリーに転身、3人育児と仕事のはざまで…中村仁美(46)が明かす、3人目出産を決めた理由〉へ続く
(川村 夕祈子)
