「孫はたまにならいいが、毎日は…」年金320万円・退職金2,000万円の63歳祖父母。車で10分の距離に住む娘家族から、“老後の平穏”を守るためにたどり着いた〈絶妙な距離感〉【FPが解説】
FPが老後資金の相談を受ける際、最も注目するのは「収支の数字」です。しかし、どれほど家計簿上の数字が完璧であっても、それだけで「理想の老後」が保証されるわけではありません。実は、経済的に余裕があり、かつ家族仲が良い世帯ほど陥りやすい「体力と時間のオーバーワーク」という落とし穴があります。「資産があるからこそ、家族の集まりや孫への援助といった支出が膨らみやすい」「仲が良いからこそ、子世代からの『助けてほしい』という頼みを断れず、自身の自由な時間を削って、無償の育児労働を引き受けてしまう」。よかれと思って始めた家族への献身が、気づかぬうちに自分自身の心身を蝕み、理想としていたはずの老後を奪ってしまうことも。本記事では、孫ブルーに陥ったAさんの事例から、社会保険労務士法人エニシアFP共同代表の三藤桂子氏が、リタイア後の「自分を守るための境界線」の引き方を考えます。※個人の特定を避けるため、事例の一部を改変しています。
65歳まで働くつもりだったが…
元会社員のAさんは、60歳の定年後も63歳までは再雇用で働いてきました。彼の家計状況は、ゆとりがある部類です。65歳からの老齢年金が夫婦で年額320万円(月額約27万円)、退職金は2,000万円を受け取り、ほかに貯金が800万円ありました。60歳の定年時、住宅ローンが300万円残っていましたが、定年後までローンを残したくないと、残っていた住宅ローン300万円を一括完済したことで、手元には2,500万円が残りました。
Aさんは妻と、65歳までのあと2年間について話し合いました。
「65歳までは働くつもりだったけど、フルタイムで働くのはもう疲れたから辞めたい。満員電車で都内まで通勤するのは、60歳を超えてからは一層しんどい。人混みにはうんざりなんだ。家でのんびり過ごしたいよ。2年間は貯蓄を崩して生活しても、年金の受取りが始まる65歳までに2,000万円は残ると思う。そのあとは年金だけで生活できるだろうから、問題ないよね」。そう妻に本音を伝え、娘たちが自立してからの夫婦の生活費は月20万円前後だったため、妻も納得してくれました。
こうしてAさんは「ようやく家でのんびり本を読める」と、安堵の表情でリタイア生活へ入ったのです。
老後に訪れる「想定外」
総務省の『家計調査(2023年平均)』によると、二人以上の世帯のうち、世帯主が60代・70代以上の貯蓄現在高の一般的な平均は、2,504万円(中央値は1,607万円)。厚生労働省が毎年発表している「令和8年度の年金額改定についてお知らせします」をみると、夫婦世帯の公的年金月額の平均は約23万円です。
Aさんの老後資金と年金は平均以上。住まいも持ち家。Aさんの老後は順風満帆にみえますが、想定外が訪れます。収入や支出の変化、家族の状況によって前提が崩れる家庭は少なくありません。実際に筆者のもとへ寄せられる老後の相談として多いのは、
・新たに起業等して失敗する
・生活水準が高く、変えられない
・子や孫等、身内に想定外の援助
・友人等の金銭トラブル
・介護費用等
など。想定外は資産の有無や多寡だけでは測れないのが、老後の家計の現実です。
「スープの冷めない距離」に住む2人の娘家族
Aさん夫婦には独立して結婚した娘が2人います。2人とも子どもを2人ずつ産んでAさん夫婦には4人の孫ができましたが、親子関係はずっと良好。特に母親と仲が良く、3世帯はそれぞれ車で10分以内の「スープの冷めない距離」に住んでいます。
もともと、母親と娘たちは食事やショッピング、旅行などにたびたび出かけていましたが、孫が生まれてからというもの、娘たちが頻繁に実家へ遊びにくるようになったのです。
「孫はもちろんかわいい。でも、4人の孫が入れ替わり立ち替わりやってくると、家の中はもう戦場です」
小さな子どもの行動は活発なので、静かに読書を楽しもうとしても、孫が来た日はあまりの疲労に、夜を待たずにお風呂上がりには湿布が欠かせなくなりました。本を開いたまま寝落ちする日々。「たまに遊びに来ることはうれしいが、頻繁となると……」。Aさんは望んでいた「のんびりした生活」が、孫たちの活発なエネルギーに侵食されていくジレンマに陥ります。
同じような人がいないのかネットで調べてみると、そこには「孫ブルー」という言葉がありました。孫を愛しているけれど、体力的・精神的な負担に疲弊してしまう高齢者の切実な悩み。Aさんもまた、その当事者になっていたのです。
娘家族とのちょうどいい距離感
そんなある日、娘から「子どもたちの教育費をもっと貯めていきたい。住宅ローンもあるし、仕事に復帰したいけれど、保育園がみつからなくて困っている。お母さんたちに預かってもらえないだろうか」と相談を受けました。
妻は孫を預かることに賛成しましたが、Aさんは咄嗟にこう思いました。
(たまに遊ぶならいいが、毎日となれば責任も重い。万が一のケガも怖い。……自分の時間が完全になくなってしまう)
いったん娘には返事を待ってもらい、妻と相談。そこでAさんが下した決断は、意外なものでした――。
「また、働こうと思う」
Aさんは65歳にして、再就職を決めました。あんなに切望した「なにもしない自由」よりも、適度に外へ出て働き、社会との繋がりを持つ道を選んだのです。無理のない範囲で稼いで貯蓄を増やせば、いざというときに孫へ金銭的な援助もできるだろう――。それは、肉体労働としての「子守り」から、適度な距離を置くためのAさんなりの考えでもありました。
近年、育児介護休業法の改正により、現役世代の育休取得率は上がっています。なかには、保育園に入れない等、育児休業を延長するケースもあるでしょう。保育園に入れられたとしても、保育園の送迎や夕飯、お風呂等、親(祖父母)に頼れる場合、頼りにする子世代も少なくありません。
老後が想定と大きく変わる原因は、金銭トラブルや介護費用だけではないものです。A家のように、「良好すぎる親子関係」によって、親側が子に、時間と体力を無償で提供することをなしくずし的に継続してしまうケースもあります。
Aさんのように「再び働く」ことで解決できる場合もありますが、重要なのは「預ける側の子」と「預かる側の親」が、あらかじめ役割や金銭的な負担、そしてなにより「お互いの生活の境界線」を話し合っておくことです。資産2,000万円という数字以上に、自分たちがどういう距離感で、どんな毎日を送りたいのか。思いやりを持った事前のコミュニケーションこそが、老後の「想定外」を乗り越える備えになるのではないでしょうか。
三藤 桂子
社会保険労務士法人エニシアFP
共同代表
