「17歳で高校中退」「勉強が嫌いだった」実弟だから知っている細木数子が10代で『喫茶店のオーナー』になれた秘密〉から続く

 中学1年で“客引き”として立ち、夜の街で金を動かした少女――それが後の細木数子だった。自著に刻まれた衝撃の過去とは? ノンフィクション作家・溝口敦氏の文庫新刊『細木数子 魔女の履歴書』(講談社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)

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細木数子氏(画像:時事通信社)

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細木数子の半生記『女の履歴書』

 細木は、今は絶版になっている半生記『女の履歴書』の中で、自分が子供のころからどうカネを貯め込んできたか詳しく語っている。ひと言でいえば彼女はまず売春の斡旋、ポン引きでカネを稼ぎ始めた。自ら堂々とわが罪と恥を明示するあたり、『女の履歴書』は天下の奇書といえよう。

 ただし同書が記す年次は信頼性に乏しい。たとえば細木が銀座のクラブ『メルバ』の雇われママになったのは19歳としているが、実際には22歳ごろだった。また静岡市の老舗眼鏡店の跡継ぎ息子Hと結婚したのは21歳としているが、実際には24歳。総じて3歳ぐらいサバを読んでいる。

 以下、『女の履歴書』から幼少期の稼ぎの部分を要約してみよう。

〈細木の実母みつが営む渋谷・百軒店の『娘茶屋』は、なかば公然と従業員婦女が売春し、青線化していた。

 細木は1951(昭和26)年、松濤中学1年のときから店に出て接客した。まだ背が低く、カウンターの下にビールの木箱を置き、その上に乗って客の相手をしたのだ。

 細木は毎夜10時になると、1人で客引きに出掛けた。当時、道玄坂には大映の映画館があった。映画の最終上映が終わるのがちょうど10時で、数子がビルの陰に立っていると、中年の男性が声を掛けてくる。

「きみ、そんなところで何しているの?」

「…………」

 数子は男に追いつかれない程度にゆっくりと歩いて道玄坂を上っていく。『娘茶屋』の前で男が追いつくのを待つ。

「どうしたの、おねえちゃん。なぜ黙ってるんだい。どこへ行くの」

「わたしのうち、このお店なの」

 男は10人中8〜9人まで数子について店に入って来た。店に入ると女給5〜6人が待っていて、一杯飲みながら男と「自主交渉」に移る。『娘茶屋』の隣に『筑波』という連れ込み旅館があった。

 交渉が成立した女給たちはここに客を連れ込む。料金はショートタイムが2時間で1200円。このカネを細木数子と女給が折半する仕組みだった。交渉が始まるのを見届けてから細木はもう一度映画館の方に出ていく〉

中1でポン引き

 中1でポン引きとは、やり手ばあさんも裸足で逃げ出すキャリアだろう。売春防止法の施行は1957(昭和32)年だった。

 当時は施行前だが、売防法には売春の勧誘は6月以下の懲役または1万円以下の罰金、周旋は2年以下の懲役または5万円以下の罰金、管理売春は10年以下の懲役と30万円以下の罰金と規定されている。

 たとえ施行前であっても公認の売春街以外での売春やポン引きは恥ずべき違法行為だった。

 現に細木数子自身が、このポン引きでヒロポン(覚醒剤)中毒の実兄から、「何言ってるんだよ、このパン助が。てめえ、そんなことしてまでお金が欲しいのか」と一喝されたと記している。

 パン助、パンパンは今や死語になったが、戦後しばらくの間、街娼や売春婦を指して使われていた。

 細木自身は現在、生家が置屋まがい(『娘茶屋』が売春婦を抱えていた)だったこと、自らポン引き行為をやったことなどは認めるが、「売春まではやっていない」と主張している。自分は兄が言うような「パン助」ではなかったというのだ。

 おそらく細木自身は売春しなかったのだろうが、ポン引きも売春と五十歩百歩、かえって悪質さは上かもしれない。どっちにしろこういう女性が50年後、公共の電波を使って「30にもなってバッカじゃないの」などと出演者をののしり、人生訓を垂れている。

援助交際の先駆け

 もっとも細木数子ポン引き説には反論がないわけではない。

 細木が更生したのか、一般社会やメディアが売春容認に踏み切ったのか。石が浮かんで、木の葉が沈む現象と言わなければなるまい。

 細木は同書で次のことを認めている。「ショートタイム、ワンターザン」(ショート1000円)といって、アメリカ兵相手のキャッチもやったこと、1955(昭和30)年、高校生のとき、神田のキャバレー『白い手』でホステスとして働き、『娘茶屋』と掛け持ちしたこと、両店で客からもらうチップが1日1000円前後になり、毎日1000円ずつ日掛け積み立てしたこと、この金に加えて『娘茶屋』の常連だった株屋の元副社長の世話で、東京駅近くのガード下、建坪3坪ほどの小さな店を買い取った。

 買ったにもかかわらず「権利金、敷金とも37万円」というのはうなずけない話だが、うち15万円は元副社長から借りたという。

手段はともかく⋯

 2人の関係を勘ぐれば、今のエンコー(援助交際)といったところか。ただし女子高生・細木はホスト遊びやブランド物などのムダ遣いをせず、自立するための開店資金にした。

 手段はともかく、目的はエライのだ。よって彼女は今わが身を振り返ることなく「バカ」と後進を罵倒できる。カネを多く握った者がえらいという拝金主義は、彼女のこれまでを貫く信仰である。

(溝口 敦/Webオリジナル(外部転載))