17歳で高校を飛び出し、喫茶店オーナーへ――その裏には何があったのか。華やかな成功譚の陰で揺らぐ経歴と資金の謎。実弟の証言から、占い師として一世を風靡した細木数子氏の実像に迫る。

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 ノンフィクション作家・溝口敦氏の文庫新刊『細木数子 魔女の履歴書』(講談社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)


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疑惑のミス渋谷

 たしかに殺伐とした時代だった。細木数子は乱れた性関係と暴力のただ中で思春期を過ごした。血を分けた親兄弟に囲まれていたとはいっても、かぎりなく「泥水」に近い環境だった。

 だが、細木数子によれば、彼女はこうした逆境に打ち勝って、早くも商才の片鱗をみせる。すなわち16歳でミス渋谷に選ばれ、17歳で下北沢の成徳女子高校を中退、東京駅の近くに喫茶店『ポニー』を開店した(1955年)という。

 しかしこの「ミス渋谷」もかなり怪しげな情報である。渋谷区政資料センターにミス渋谷の選考を実施した記録は残っていない。

「渋谷区が主催、後援するミスコンは過去も現在も存在しません」(同センター)

 道玄坂センタービル・大西賢治社長も、「ミス渋谷を選んだという話は聞いたことがない。昔、そういうイベントがあったと聞いたことはないし、もちろん行政もやったことがないはずです」と否定する。

 弟の久慶に質すと、

「ミス渋谷は商店会のやつ。新聞に出た。ミス渋谷になったのは事実だよ。私自身が高校生だったから、どういうものだったか覚えていないけど。

 姉が高校を中退したのは勉強が嫌いだったから。生活に困ったからじゃない。店を持てたのはスポンサーがいたからです。お袋のスポンサーが3人くらいいた。といっても嫌らしい関係じゃない。兄弟姉妹に共通のスポンサーがいたんです」

 だが、細木数子自身は『ポニー』の開店資金37万円(現在の約200万円に相当)は自分で貯めたカネという。わずか17歳の小娘がどこで何をして貯めたというのか。

 当時、巡査の初任給はわずか7800円、月給1万円に届くのはようやく1960(昭和35)年のことである。

実兄から「パン助」呼ばわり

 細木数子は、さすがに男女の駆け引きでは歴戦の勇士である。色恋沙汰は彼女がもっとも得意とするテーマらしく、きわめて実用的かつ現実主義的な教訓を垂れている。

 2006年5月2日オンエアの『ズバリ言うわよ!』でも、素人のパネラーが「結婚できる人じゃないと、好きにならない」と発言すると、すかさずこう教えた。

「結婚する相手とじゃないとつき合えないなんて女は男が引いてしまう。上手にたくさんの人とつき合いなさい。いろんなコミュニケーションをして、いろんな目を見たほうがいいと思う」

「いろんな目」にはどういう「目」が含まれているのか気になるところだが、こうした言葉が彼女の数々の体験から発せられていることはまちがいないと見られる。

 細木がわずか17歳で、喫茶店の開店資金37万円をどう貯めたか、大いに疑問である。実はそれと「いろんな目」は大いに関係がありそうなのだ。

「中1で売春斡旋」「夜中に中年男性に声をかけられて⋯」テレビでは放映されない細木数子のありえない“金儲け術”〉へ続く

(溝口 敦/Webオリジナル(外部転載))