サムエル・ロス博士=2018年7月、沖縄・国東村、ロス氏提供

美ら島の国境なき科学者たち

質の高い論文の割合で東京大を超え、世界9位となった沖縄科学技術大学院大学(OIST)。そこに集う世界各国の科学者たちは異能の人ばかり。そんな彼らを紹介するコラム「美ら島の国境なき科学者たち」は随時掲載します。

減少する日本の生物多様性

ある研究によると、1700年以降、地球上の陸地のおよそ4分の3が、人間活動によって大きく姿を変えたと報告されています。多くの野生生物はそれに伴った影響を受けてきたことになります。

生息地が変化することは、種の絶滅とも密接に結びついています。とりわけ日本は、限られた国土に豊かな固有種が生息している場所。陸生哺乳類と維管束植物(コケ植物以外の多くの陸上植物)の約40%、両生類の約80%が日本固有の種なのです。

しかし現在、環境省のレッドリストには約4000種が絶滅のおそれがあると記されており、各種の保全施策が進む一方で、日本の生物多様性は1970年を境に減少の一途をたどっています。

 こうした状況の中、自然の回復へと歩みを進めようと取り組んでいる研究者がいます。沖縄科学技術大学院大学(OIST)統合群集生態学ユニットで研究するサムエル・ロス博士です。

博士の関心は「生態系のレジリエンス(回復力)」、すなわち、生物多様性と生態系が環境変化にどう応答し、どう耐え抜くのかという問題に向けられています。これまでに、北海道の幌内川で、捕食魚が絶滅した環境下で熱波が生物に与える影響を実験的に検証したり、沖縄で大規模な音声モニタリングシステムを展開して、気候変動が野生生物に及ぼす長期的な変化を追ったりと、日本各地に足を運び、異なる環境がどのように変動に耐えているのかを様々な角度から探っています。

北海道・幌内川沿いに設置された実験装置。自然環境を再現するため川から直接水を引き、熱波を模して一部の水槽を加熱している=北海道・苫小牧市、2019年8月、ロス氏提供

最大の障壁は、共通言語の欠如

ロス博士は、自然保全を前進させる上での最大の障壁 ”共通言語の欠如”にあると語ります。

「ある研究者は特定の生物の行動や解剖学に詳しく、別の研究者は気候変動のモデル化を進め、また別の人は社会や企業への発信を担っています。では、これらの分野をどのようにつなげば、政策と研究が互いに作用する循環を作り出せるのでしょうか?」

 その問いに対して博士が重視しているのが、人と人、分野と分野を丁寧につなぎ合わせることです。根底にあるのは、「地球上の生命を守りたい」という共通の願いにほかなりません。

英国ノッティンガム出身のロス博士は、幼い頃に自然ドキュメンタリーを見たり、祖父母と森へ出掛けたり、モンスターを集める日本のゲームに夢中になったりして過ごしました。こうした経験から、自然界やその背後にある生物学的な仕組みへの愛着、そして日本への関心を早くから育んだといいます。

「私は都会育ちで、にぎやかな街の生活が大好きです。でも、生態学者になりたいという気持ちは、その意味をよく分かっていない頃からずっとありました。自然の中で過ごす時間は、私にとってとても大切な体験で、ポケモンやデジモンを通じて分類学や進化といった考え方にも触れることができたのです。これらのゲームでは、森林、氷河、サバンナなど、多様な生態系に生息するファンタジー生物を集めて育成し、より高い能力を備えた姿へと進化させていくことが中心となっています」

ヤンバルクイナ=沖縄・国東村、2023年、パトリック・クン氏提供

日本で働きたい

博士の「日本で働きたい」という夢がかなったのは2016年でした。OISTのリサーチインターンとして、沖縄本島の24地点に高性能の自動録音機を設置する「OKEON美ら森プロジェクト」の立ち上げに携わりました。

これらのマイクは、設置から10年が経過した現在でも30分ごとに島の音風景を記録し続けています。この膨大なデータを適切に収集・処理するために、ロス博士は物理音響学や機械学習の基礎を学び、さらに“扱いにくい生態データ”に正面から向き合う必要があったといいます。

「生態学のデータは、物理学などで扱う整ったデータとは違って、本当に“ぐちゃぐちゃ”なんです。ほかの分野で使われている統計モデルや理論も、そのまま複雑な生態系に適用できることはほとんどありません」

沖縄のビーチでDJを楽しむロス博士。音響研究が音楽制作への興味にもつながったという=沖縄・金武町、2023年9月、アンジェリカ・コルダイエワ氏提供

2023年、ロス博士らは1万3000時間もの録音データを解析し、沖縄の鳥類が、連続して襲来した大型台風にどう反応したのかを明らかにしました。AIを使った機械学習モデルにより、録音の中からどの鳥が鳴いているのかを判別し、台風の前と後で、鳥たちの鳴き声の表れ方や活動がどのように変わったのかを比較しました。

都市部を含め、多くの鳥たちが驚くほどのレジリエンスを示したものの、種ごとの回復力に差がありました。例えば、ウグイスはリュウキュウコノハズクに比べて、録音にその鳴き声が再び記録されるまでに時間がかかったため、回復が遅いことが分かりました。

こうした結果は、気候変動によって台風などの異常気象が頻繁になり、勢力も強まると、一部の鳥類がより大きなリスクにさらされる可能性を示しています。

OISTキャンパス近くのOKEONフィールドサイトにある音声モニタリングステーションを点検するロス博士=沖縄・恩納村、2026年3月、アンドリュー・スコット氏提供

帰還困難区域でも

音声モニタリングの専門家として、ロス博士は福島第1原発事故に伴う帰還困難区域で2015年から続いている展覧会「Don't Follow the Wind」とも協働しています。博士は、2011年の震災後に自然が回復した町や集落の生態系を調べるため、現地にモニタリングネットワークを構築しています。

この取り組みは、立ち入りが難しい区域内で芸術作品をキュレーションし展示するアートプロジェクトとして始まりました。参加した住民やアーティスト、文化関係者は、急激に変化する生態系の中で活動する難しさをすぐに認識し、遠隔で生態系を観測する仕組みへの関心を高めていきました。

これが最終的にロス博士との協働へとつながったのです。生物学的な観点から見ると、このプロジェクトは、人間が突然不在となることに生態系がどう反応するのかに加え、その後の数カ月から数年をかけて今度は人間が徐々に戻ってくる過程でどう変化していくのかを調べる貴重な機会を提供しています。

「このプロジェクトを通じて、アーティストや文化人類学者、機械学習の専門家など、さまざまな方々と協働しています。おかげで、人々が自然をどう理解し、どう関わっているのか。その見方が大きく広がりました」とロス博士は語ります。

展覧会「Don't Follow the Wind」との共同研究で、福島に生態調査用音声モニターを設置するロス博士=福島・双葉郡、2024年6月、ジェイソン・ウェイト氏提供

「さまざまな専門分野や背景を持つ人々と出会い、協働することで、おのずと自分の考え方を調整し、異なるアイデアをつなぐ共通言語を生み出すようになります。こうしたつながりが、複雑な社会生態学的課題に取り組むための強固な基盤になるのです」とロス博士は話します。 

博士にとって、複雑な生態学的課題を理解する上で欠けていた”ミッシング・リンク”として、次第に浮かび上がってきた概念があります。それは「応答の多様性(response diversity)」です。生態系の生物が環境の変化に対してどのように異なる反応を示すのかーー。その違いに着目する考え方です。

例えば、博士が2023年の研究で示した、台風に対するウグイスとリュウキュウコノハズクの反応の違いが、その代表的な例といえます。一般に、応答の多様性が大きいほど、生態系のレジリエンスは高まると考えられています。

しかし、応答の多様性をどのように測定するか、最も関連性の高い環境変化をどう見極めるか、そして得られた測定値をどう活用するかについては、ロス博士と共同研究者らが学術誌『Oikos』で最近発表した生態学者を対象とする調査が示すように、依然として議論の余地が残されています。

沖縄のウグイス=パトリック・クン氏提供

2024年、ロス博士はOIST客員プログラムを通じて応答の多様性に関するシンポジウムを開催し、スイス・チューリヒ大学の オーウェン・ペッチー教授と共同で主導する「Response Diversity Network(応答多様性ネットワーク)」のメンバーが初めて一堂に会しました。

現在、世界中の150人以上の生態学者が参加するこのネットワークは、社会経済学的研究から数理生物学、野外実験に至るまで、多様な生態学研究を結びつけています。

斬新な学際的研究プロジェクトを支援し、研究やイベントへの大規模な資金調達を行うとともに、このネットワークには、まったく異なる分野のあいだに共通言語を整えていくという重要な目標があります。

分野が違えば、「気候応答」という用語一つ取っても意味が変わることがあります。工学や経済学といった人間社会を対象とする分野では、気候応答は気候変動を緩和しようとする社会や個人の行動を指します。

一方、生態学ではこれとはまったく異なり、生物の気候応答とは、例えば気温の変化に対する生理的な反応や行動の変化などを意味します。

新たに結成された「Response Diversity Network(応答多様性ネットワーク)」のメンバーとOISTの研究者らが一堂に会した、2024 年 OIST 応答多様性シンポジウムで歓談する参加者ら。中央はロス博士。=沖縄・恩納村、2024年3月、マイケル・クーパー氏提供

さらに博士は、このネットワークを「現実の世界に意味のある変化を生み出すためのプラットフォーム」にしたいと考えています。生態学者に加え、他分野の研究者、政策立案者、企業などの間に共通言語を作る機会は豊富にあると、ロス博士は指摘します。

「自然にはそれ自体に価値があると思います。ポケモンの影響かもしれませんが、多様な生命の姿はそれだけで重要で、守られるべきものだと思うのです。しかし、経済成長や生活の質を重視する政策立案者や大企業に、そのことを理解してもらうのは簡単ではありません」

 こうした背景から、生態系を最善の形で保全するための研究と、レジリエンス強化に向けた現実的で効果的な介入策の開発との間にある隔たりを埋めるべく、ロス博士らは応答多様性ネットワークを通じて、分野やセクターを超えた専門家をつなぐことを目指しています。

共通言語づくりの一例として、生態系の価値を「自然資本(natural capital)」という概念に置き換えることが挙げられます。これは、生態系が社会にもたらす経済的価値をはかる指標です。

具体的には、自然との触れ合いによるウェルビーイングの向上(仕事の効率向上や医療費の軽減につながる)、食料生産におけるミツバチの計り知れない経済的重要性、脆弱(ぜいじゃく)な単一作物への依存によって深刻化する害虫やウイルス被害に伴う経済的損失などが含まれます。

リュウキュウコノハズク=2023年、パトリック・クン氏提供

「私にとって、科学とは“人”なのです」とロス博士は語ります。

「一人の生態学者として、私の科学と自然への愛を世界と共有することは道徳的義務だと思っています。特に、かつての世代より自然に触れる機会が減っている現状では、なおさら重要です。特定の分野を深く掘り下げ、個々の生態系や手法に詳しい専門家と、私のような人々を結びつけるゼネラリストの両方が必要です。そうして初めて、異なる生態系や研究分野、そして社会のセクターをまたいだ共通言語を見いだし、真に変革をもたらす成果を生み出せるのです」

サムエル・ロス博士(Dr. Samuel Ross)

沖縄科学技術大学院大学(OIST)統合群集生態学ユニット(アーミテージ・デイビッド准教授)所属のスタッフサイエンティスト。英国ノッティンガム出身。14歳で初めて日本を訪れ、2016年にOISTのリサーチインターンとして参加。2021年にアイルランドのトリニティ・カレッジ・ダブリンで自然科学博士号を取得後、同年、OISTに博士研究員(ポスドク)として再参加。2026年9月より京都大学特定准教授(白眉センター・農学研究科兼任)に就任予定。

執筆: OISTサイエンスライター、エイドリアン・スコウ (Adrian Skov)