かつては蜜月関係にあったイスラエルとイラン、現在の対立は友好関係の裏返し
中東情勢の緊張が続いているが、イスラエルとイランの対立は今や抜き差しならない宿敵の構図として定着している。連日のように報じられる軍事的な威嚇や報復の連鎖を目にすれば、両国がかつて固いきずなで結ばれた蜜月関係にあったという事実は、現代の視点からは想像しがたい歴史の逆説に映るかもしれない。
しかし、1979年のイランイスラム革命以前の約30年間、両国は中東における戦略的なパートナーであり、実利に基づく強固な同盟関係を築いていたのである。
このかつての友好関係を支えていたのは、イスラエルの初代首相ダヴィド・ベン=グリオンが提唱した「周辺事態論(周辺同盟策)」という外交戦略であった。建国直後のイスラエルは周囲を敵対的なアラブ諸国に囲まれており、国家の生存をかけてアラブ圏の外側に位置する非アラブ国家との連携を模索していた。
一方、当時のイランを統治していたパフラヴィー朝のモハンマド・レザ・シャーもまた、アラブ民族主義の台頭やソ連の南下政策に脅威を感じており、近代化を急ぐ中で技術力を持つイスラエルとの関係を重視した。こうして、宗教やイデオロギーを超えた共通の敵に対する安全保障上の利益が両国を急接近させたのである。
当時の協力関係は多岐にわたった。イランはイスラエルにとって不可欠なエネルギー源である石油を供給し、イスラエルはその対価として軍事顧問の派遣や兵器の提供、農業技術の供与を行った。特に諜報分野での協力は密接で、イスラエルのモサドとイランのサバク(情報機関)は情報を共有し、地域の不安定化要因を監視する共同体制を敷いていた。
両国間に正式な外交関係こそなかったものの、テヘランには事実上の代表部が置かれ、空路が結ばれるなど、両国は信頼関係を築いていた。
イスラエルを「小サタン」
しかし、この蜜月は1979年のイスラム革命によって劇的な終えんを迎える。ホメイニ師率いる革命政権は、パフラヴィー朝の親欧米路線を否定し、イスラエルを「小サタン」と呼んで国家の正当性を否定する強硬姿勢に転換した。かつての戦略的協力は、イスラムの価値観と反帝国主義を掲げる宗教的な対抗意識へと塗り替えられ、かつての盟友は一転して不倶(ふぐ)戴天の敵となった。
現在の激化する対立は、かつての友好関係の裏返しとも言える。戦略的な利害が一致していた時代から、イデオロギーと地域覇権をめぐる闘争の時代へと移り変わったのである。
歴史を振り返れば、国家間の関係が不変ではなく、地政学的な力学によって容易に変容し得るものであることが浮き彫りになる。かつての蜜月を知ることは、現在の中東情勢を単なる宗教対立として片付けるのではなく、政治的実利と理念の相克という多層的な視点で理解するための重要な鍵となるであろう。
文/和田大樹 内外タイムス
