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岡山を拠点に活動するシンガーソングライターの沢知恵さんが、岡山市北区表町の「詩人 永瀬清子とハンセン病文学の読書室」で講演しました。

【写真を見る】沢知恵さんが語る「うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史」音楽のもつおそろしい力を再認識(第3回/全3回)

講演の内容は、全3回にまとめています。今回は、第3回です。

ハンセン病療養所の音楽文化

(沢知恵さん)
「2018年、私は岡山大学大学院で、ハンセン病療養所の音楽文化を研究し始めました。

2021年、ハンセン病療養所の園歌について書いた修士論文を提出し、それをわかりやすく書き直したものが、『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史―園歌はうたう』(岩波ブックレット)として刊行されました」

沢知恵著『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史―園歌はうたう』

(沢知恵さん)
「かつて終生隔離の共同体だったハンセン病療養所では、さまざまな音楽文化が花開きました。
同時代の一般社会の影響を受けながら、独自の音楽文化を形成していったのです。

歌舞伎や劇団の音楽、吹奏楽団、管弦楽団、盲人会のハーモニカ・バンド、コーラス、宗教団体の音楽、民謡、カラオケなど。

ハンセン病療養所の音楽は、誰も研究してこなかったことに気づき、昔むかし大学で音楽学を学んだ私は、やってみることにしました。

文学や美術とちがって、音楽にはかたちがありません。時間芸術ですので、よほど意識して記録しないかぎり残りません。

かろうじてあるのが楽譜です。それがハンセン病療養所の園歌でした。校歌のような歌です。

私は全国13か所全てのハンセン病国立療養所を訪ねてフィールド調査を行い、文献調査もして点と点を結び合わせ、計23編の園歌を特定することができました。

ハンセン病療養所では、式典や集会がたくさん行われた時代があります。子どもたちを前に立たせ、大きな声でうたわせました。

長島愛生園入所者自治会の会長、中尾伸治さんは、『礼拝堂[講堂]に向かって、旗を持って、園歌を歌いながら行進した』とおっしゃっていました。

入所者と職員がともに声を合わせて歌いました。明るい行進曲調のメロディーに、時にぞっとするような歌詞が出てきます。

『民族浄化』『一大家族』『別天地』『楽園』

これらの歌詞を歌うことによって、あなたはここの人なんだよ、という帰属意識を植え付けました。『みんな仲間だよ』という連帯感を生み出しました。

言葉をメロディーに乗せ、リズミカルな曲調で歌わせることで、空間を振動させ、身体に思想を刻み込み、その思想を内面化していったのです。

長島愛生園の初代園長、光田健輔は、式典や集会をどこの療養所よりもたくさん行いました。毎月20日を開園記念日として祝い、その度ごとに園歌を歌わせました。

長島愛生園では他にも、少年団歌、婦人会の歌、青年団歌、歓迎の歌など様々な歌が生まれ、歌われました。

中尾さんをはじめ今80代90代の長島愛生園の入所者の皆さんは、それらの歌をニコニコして歌ってくださいました。

『いま歌って、嫌な気持ちはしないですか』とおたずねすると、『嫌やったら歌うとらん(歌ってない)。懐かしのメロディーよ』とおっしゃいました。

約70年ぶりに歌ったそうですが、いっせーのせ、で他の入所者の方と息ぴったりに歌われたんですね。

『叩き込まれたからな』と中尾さんはニコッとされましたが、私はちょっと笑うことができませんでした。
上から押し付けられた、権力による抑圧の歌ではあっても、辛い療養生活を仲間とともに乗り越えた思い出の歌でもあるわけです。

音楽のもつおそろしい力を再認識しました」

まるで讃美歌のような「愛生園挽歌」

(沢知恵さん)
「長島愛生園で出会った歌の中に、《愛生園挽歌》があります。

挽歌は、亡くなった人を見送り、弔う歌です。長島愛生園では、慰霊祭などで歌い継がれてきました。この歌は、他の歌とは違うなと思いました。

『民族浄化』『一大家族』などのおどろおどろしい言葉は出てきません。

曲調も手伝って、賛美歌のようだな、黒人霊歌みたいだな、と思いました。

この歌は残ってほしい、100年先にも誰かに歌われてほしいという願いを込めて、私のアルバム、『花はどこへ行った』に収めました」

沢知恵CD『花はどこへ行った』

(沢知恵さん)
「《愛生園挽歌》は、長島愛生園が開園した次の年の1931年に発表されました。園歌とほぼ同時期です。

作詞した黒川眸(ひとみ)は男の人で、実名ではありません。宮沢賢治と同じ岩手県の生まれです。

東京の全生病院、現在の多磨全生園に入所して、『開拓患者』の一人として長島に来ました」

(沢知恵さん)
「『開拓患者』という言葉を初めて聞いた方もいらっしゃるかもしれませんね。1909年に、日本を5つのブロックに分けて、公立のハンセン病療養所ができました。

青森、東京、大阪、香川、そして熊本に、道府県連合立で運営されました。
1930年に、初めての『国立』のハンセン病療養所が、岡山の長島愛生園が開設されました。

全生病院の院長だった光田健輔は、長島愛生園の初代院長になることが決まっていて、患者たちに声をかけました。一緒に長島愛生園を『開拓』しようではないか、と。

すると、たくさんの人が手をあげ、その中から81人が選ばれて、『開拓患者』として長島に連れて来られました。
黒川眸は大変なインテリで、熱心なキリスト教徒でした。翻訳書も残しています。

黒川はこの歌を作った次の年に、病気で亡くなってしまいました。25歳の若さでした。

では、《愛生園挽歌》をお聴きください。
作曲したのは園歌と同じ、地元との音楽教育者で軍楽隊にいた光岡米造です。

此の世にありては 共によろこび
尊き御代の 光の内に
此の身の幸をば 共にうたいし
友等は逝けり 遠きみくにに

うき世の苦しみ なげき悩みも
肉のほろびと ともにけ失せて
みたま安けく 友ら憩へる
みくにしのべば 思ひはるけし

遠きみくにの ありか知らねど
よき同胞の 姿見えねど
再びまみえむ 日をぞのぞみつ
我等がこころ おどる嬉しさ

『愛生園挽歌』でした」

「まずはうろうろ、そしてオロオロすること」

(沢知恵さん)
「2025年9月に、岩波書店から『あなた方の島へ―ハンセン病療養所と私』という自伝的エッセーが出ました。

表紙は、私が大島青松園の桟橋で、コンサートに来てくださった皆さんを見送っているシーンです。両手を上げて手を振っています」

沢知恵著『あなたがたの島へ―ハンセン病療養所と私』

(沢知恵さん)
「『あなたがたの島へ』は、もうお気づきのように、永瀬清子の詩からいただきました。
私が生後6ヶ月から現在に至るまで、ハンセン病療養所とどうかかわってきたかについて書きました。

私の曽祖父や高祖母も出てきます。

このたびファミリー・ヒストリーを徹底調査しまして、5代前からハンセン病療養所とのかかわりがあることがわかりました。びっくりです。

『貴方がたの島』と永瀬清子が呼んだ長島、そして大島。

その『あなたがた』という響きが、行くたびに変わっていくんですね。

『あなた』というのは、少し距離を感じますが、『私の島』とか『私たちの島』と言いたくなる時もある。

でも、そうするとまた、いや、やっぱり『あなたがたの島』。揺れ動きます。

私はハンセン病療養所に長く通っていて、その距離の取り方に戸惑い、悩み、身もだえするほど苦しんだ時期もあります。

毎週のようにどこかのハンセン病療養所をうろうろしながら、オロオロするんです。

それがハンセン病療養所とかかわることなんじゃないかな、と思っています。

『人間』とは何かを教えてもらえる大事な場所なんです。

今朝も長島愛生園に行ってきました。

月に1度、最後の日曜日は、大島青松園のプロテスタント教会で、私が世話人となって礼拝をしています。

それ以外の日曜日で行ける時は、月1回、多い時は2回、長島愛生園の教会でオルガンを弾いています。

いよいよハンセン病療養所は終わりの時を迎えています。

永瀬清子が生きていたら、どんなことを思い、どんな風に療養所とかかわるんだろう。

キラキラ光る瀬戸内海を眺めながら、私は『貴方がたの島へ』という詩と対話をしている気がしています。

最後に、私のアルバム『雨ニモマケズ』から、これは永瀬清子がまだハンセン病療養所にかかわる前、戦後間もない時に発表した詩を聴いていただきます。

『美しい国』と言います。

永瀬清子にとって、『美しい』という言葉、概念は、詩を作る上で、また永瀬自身が生きる上で、とても大切にした言葉です。

永瀬清子は、ハンセン病療養所の人たちの美しさを、どのように捉えたか。そのことにも思いを馳せながら、ごいっしょに聴きたいと思います。

そして、ガザ、ウクライナ、ミャンマーなど、争いが止まらない世界各地の人たちを思いながら聴いていただければ幸いです」

沢知恵CD『雨ニモマケズ』

はばかることなくよい思念(おもい)を
私らは語ってよいのですって。
美しいものを美しいと
私らはほめてよいのですって。
失ったものへの悲しみを
心のままに涙ながしてよいのですって。

敵とよぶものはなくなりました。
醜(しゅう)とよんだものも友でした。
私らは語りましょう語りましょう手をとりあって
そしてよい事で心をみたしましょう。

ああ長い長い凍えでした。
涙も外へは出ませんでした。
心をだんだん暖めましょう
夕ぐれて星が一つずつみつかるように
感謝と云う言葉さえ
今やっとみつけました。

私をすなおにするために
あなたのやさしいほほえみが要(い)り
あなたのためには私のが、

ああ夜ふけて空がだんだんにぎやかになるように
瞳はしずかにかがやきあいましょう
よい想いで空をみたしましょう。
心のうちにきらめく星空をもちましょう。

ありがとうございました。

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