「世界で最も美しい顔100人」に選ばれ、人気リアリティ番組『テラスハウス』で一躍スターダムへ。そんな華麗な経歴の裏で、林ゆめさんは20代の大半を「会社員」として過ごしていました。「芸能界は、いつ終わるかわからない」。人気がひとり歩きする状況にどこか違和感を抱き、あえてOLとの二足の草鞋を履き続けた彼女。しかし、30歳を目前に、敷かれたレールをみずから降りる決断をします。

【写真】神々しい…「新世代のくびれ女王」の異名も納得のスタイルの林さん(全7枚)

事務所からの独立、そして故郷・富良野での焼肉店オープン。自分の手で確かな手応えを掴みに行く道を選んだ、彼女の転身の裏にあった本音に迫ります。

幼稚園から高校まで全員幼馴染「モテた記憶はほとんどない」

── 2019年から3年連続で「最も美しい顔100人」に選ばれた林さん。地元ではさぞ有名だったのでは?

お目目ぱっちりの幼少期(写真左)

林さん:いえ、それが全然(笑)。幼稚園から高校までは、メンバーがほぼ変わらない田舎で育ちました。全員が幼馴染。見慣れてしまえば、容姿の良し悪しってそれほど意味を持たない気がします。性格もお姉ちゃんの後にずっと隠れているような引っ込み思案で。だから、学校でモテた記憶はありません。

男子バレー部のマネージャーとして活動していたときに他校の人に声をかけられることはありましたが、自分自身、田舎育ちで見た目に無頓着だったし、恋愛に積極的なタイプでもなかったので、ドラマチックな展開もありませんでした。

SNSのDMから始まった芸能生活「副業の感覚だった」

── その後、管理栄養士を目指して大学へ進むも、進路に迷い上京。IT企業での会社員生活が半年を過ぎたころ、人生を変えるDMが届いたそうですね。

林さん:もともと9歳下の妹のお世話が大好きで、小さいころは保育士になりたかったんです。高校生になり、進路を考えたときに「資格のある仕事に就けば将来的に困らないかな」と思って。理系科目が好きだったこともあり、保育園で働く道もある管理栄養士を養成する学科がある大学への進学を決めました。ただ、実際に入学してみたら、そこまで強い興味や熱意があるわけではないかも…と感じる場面がふえてきて。勉強になかなか身が入らず、あらためて進路を決める段階で悩んでしまい…。結局、知り合いを通じて東京のIT企業に就職することになりました。

社会人になって半年ほど経ったころ、プライベートでやっていたSNSにスカウトのDMが突然届いたんです。正直「こんなパターンあるんだ」と驚きましたが、「土日だけでいいなら」と、ちょっとした副業感覚で始めたのが、芸能界入りのきっかけでした。

高校時代の初々しい林さん(写真右)

知名度だけが独り歩きする「違和感」と、捨てなかった会社員生活

── そこから、芸能とOLの二足のわらじ生活がスタートしたのですね。

林さん:はい。賃貸物件を借りるときも、きちんとした会社で働いていることで審査がすんなり通ったので、やっぱり社会的な身分が保証されている状態は大事だと思ったんです。芸能活動は副業感覚で始めたこともあり、会社をすぐに辞めることは考えていませんでした。

当時の事務所はグラビアが強かったのですが、「そこで絶対に売れてやる」と大きな目標を掲げて強い意志のもと活動していたわけではなくて。とにかくいただいた仕事や経験に一つひとつ向き合って必死に頑張っていて、気づいたらここまできていた…という感じでした。

── そんななか、2020年に『テラスハウス』へ出演。一気に全国区になりました。

林さん:『テラスハウス』も欠かさず観ていたわけではなく、どんな番組か詳しく知らないまま出演していたんです…。でも、それがきっかけでSNSのフォロワーが20万人くらい増え、合計40万人ほどになりました。そこからは、街中で話しかけられることも増えて。

そのぶん、誹謗中傷のメッセージもたくさん届きました。SNSに届くコメントやDMはすべて目を通すようにしているのですが、7割くらいは悪口のようなもので。家族や友人の支えがなかったら、耐えられなかったかもしれません。

番組の影響力のすごさを実感したいっぽうで、自分自身としては芸能活動を始めたころと変わらず、一つひとつの仕事や経験に実直に向き合っていきたいという気持ちで活動していて。人気や知名度が先に広がっていくことに、戸惑いを感じることもありました。

だから、芸能活動を始めてからも、6年間OLを続けてきました。少しでも興味を持ったことはやってみたい性分で、軽い気持ちで始めたからこそ、急に終わってしまうんじゃないかという不安もあって。逃げ道というか、避難先を常に作っていたような気がします。

「現状維持」への恐怖。30歳目前で気づいた自分の足場

── 芸能活動自体は順調に見えたなか、2025年5月に所属事務所を独立。なぜ、そのタイミングだったのですか?

林さん:当時の私は「30歳」目前で、その年齢が私には大きな壁のように感じていて。28歳を過ぎたころから「このままだと、ひたすら現状維持になってしまう」ような気がしたんです。だったら、自分自身での責任で、ステップアップしたいと思い、独立を決めました。

── 好奇心旺盛で素敵です。独立してみて、実際のところいかがですか?

林さん:はじめはマネージャーさんもいなくて、メールのやりとりなどの事務作業もすべて自分で担っていました。今年の1月に写真集を発売したのですが、その写真のセレクトやレタッチの指示なども全部自分で担当したんです。膨大な作業量で、とにかく大変でした…。でも私、ヒマなのがイヤなんです(笑)。なるべくずっと仕事をしていたいタイプだから、慌ただしい今の毎日は自分に合っていると思います。

焼肉店は「親孝行」であり、自分自身の「後ろめたさ」への答え

── 忙しいくらいがちょうどいいんですね。昨年12月には、芸能以外の活動の第一歩として、地元・富良野で焼肉店「和牛焼肉 にくだらけ富良野」をオープンさせたそうですね。30歳で焼肉店オーナーとはすごいです。

林さん:実はずっと、地元に帰るきっかけがほしかったんです。もちろん、東京も好きなんですけど、やっぱり大好きな地元でも仕事がしたかった。それに、親孝行の意味合いもあって。姉も妹もすでに実家を出ているので、私が定期的に帰ってあげたいなって思っているんです。現在も拠点はまだ東京ですが、月に1回、1週間ぐらいは地元で過ごしていて、自分の理想とする働き方に近づけていると思います。いろんな経験をしたなかで地元に根ざした仕事へ回帰することを決断できた今は、どんな経験も無駄じゃなかったと感じます。もし将来に不安を感じたり迷ったりしている人がいたら、それは伝えたいですね。

思えば、目の前に現れたレールにのっかってきた人生でした。だからこそ、いま自分の足でしっかり立って、両親や地元に恩返ししてるんだって実感できるのがうれしいんです。いくつになっても、自分の足で人生をリスタートするのに遅いことはないんだなって思います。

華やかな光を浴びながらも、どこか冷めた目で「自分の足場」を探し続けていた林さん。彼女が選んだのは、東京での現状維持ではなく、愛する地元に根を張るという、不器用で真っ直ぐな再出発でした。

「これでいいのかな」と迷いながら、正解がわからないまま進む日があってもいい。でも、林さんのように自分の「違和感」に正直になったとき、景色は変わり始めます。たとえ遠回りでも、自分の足で踏み出した一歩は、いつか誰かへの「恩返し」に繋がっていく。今日、あなたが「自分らしくあるために」手放したい迷いは何ですか?

取材・文:髙木章圭 写真:林 ゆめ