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賃貸マンションの相続税評価をめぐっては、税理士や不動産鑑定士の間で以前から「制度として不合理ではないか」という疑問が指摘されてきました。現行制度では、入居者がいる賃貸マンションほど評価額が引き下げられ、逆に空室で収益を生まない物件の方が高く評価されるという、直感に反する結果が生じます。本記事では、2025年12月に『富裕層の資産承継と相続税 富裕層の相続戦略シリーズ【国内編】』を刊行した八ツ尾順一氏が、その仕組みを具体的に確認しながら、日本の相続税評価が抱える構造的な歪みについて考察します。

賃貸マンションの相続税評価の仕組み

賃貸マンションの評価は、建物と土地を分けて算定されます。

入居者がいる場合、建物には「借家権」が、土地には「貸家建付地」という考え方が適用され、評価額が減額されます。

具体的な算式は次のとおりです。

建物

 固定資産税評価額 ×(1−借家権割合)

土地(貸家建付地)

 自用地評価額 ×(1−借家権割合 × 借地権割合)

(注)借家権割合は、全国で30%です。

なお、借家権割合は全国一律で30%と定められています。

借地権割合は地域ごとに国税局長が定めており、路線価図上ではA〜Gなどの記号で表示されます。たとえば「C」は70%を意味します。

[図表]借地権割合

具体例で見る評価額の差

ここで、簡単な数値を用いて検討してみましょう。

建物の固定資産税評価額:1億円

土地の自用地評価額:2億円

入居者がいる場合

建物:1億円 ×(1−0.3)=7,000万円

土地:2億円 ×(1−0.3 × 0.7)=1億5,800万円

合計すると、評価額は2億2,800万円となります。

入居者がいない場合

一方、空室で誰も入居していない場合、借家権や貸家建付地としての減額は行われません。

建物:1億円

土地:2億円

合計は、3億円です。

この結果、入居者がいる賃貸マンションの方が、評価額は7,200万円も低くなるという逆転現象が生じます。

収益性と評価額が逆転する違和感

一般的な感覚では、入居者がいる賃貸マンションは家賃収入を生み、収益性が高い資産と考えられます。

一方、空室のマンションは収益を生まず、資産価値は相対的に低いと見るのが自然でしょう。

それにもかかわらず、日本の相続税評価では、「収益性が低い物件の方が、収益性の高い物件よりも高く評価される」という、極めて直感に反する結果が制度的に生み出されています。

この点に、多くの専門家が「制度としておかしい」と感じる最大の理由があります。

米国との評価思想の違い

こうした日本の評価方法は、海外と比べると特異です。米国では、賃貸ビルや収益不動産の評価において、収益還元法が重視されます。

長期の賃貸契約が結ばれている

財務基盤の安定したテナントが入居している

将来にわたって安定した賃料収入が見込める

こうした要素があればあるほど、その不動産の評価額は高くなります。「収益を生む資産ほど価値が高い」という考え方は、不動産評価として合理的であり、国際的にも一般的です。

日本特有の「借家権」評価のちぐはぐさ

日本の制度をさらに複雑にしているのが、「借家権」の取り扱いです。貸主側の評価では、借家権が存在することを理由に建物や土地の評価額が引き下げられます。

しかし一方で、借家人側の資産として借家権が評価されることはありません。その理由としては、借家権が権利金などの名称で取引される慣行がほとんどないことが挙げられています。

結果として、

貸主側では「借家権があるから価値が下がる」

借家人側では「資産価値はゼロ」

という、制度的にちぐはぐな取り扱いが生じています。

配偶者居住権との対比で浮かぶ矛盾

この矛盾は、「配偶者居住権」と比較すると、より鮮明になります。

配偶者居住権は、被相続人が所有していた建物に、残された配偶者が無償で居住できる権利で、令和2年4月1日以降の相続から新たに認められました。

この配偶者居住権は、相続税の課税対象となる資産として評価されます。

つまり、

借家人の居住権(借家権)は評価されない

配偶者の居住権は評価される

という扱いの差が存在しているのです。

令和8年度税制改正大綱に見る「歪み是正」への明確な一歩

こうした問題意識は、専門家の間だけにとどまらず、国の税制政策にも反映され始めています。

2025年12月に公表された令和8年度税制改正大綱では、賃貸不動産を中心とした相続税評価について、「実態との乖離」や「過度な節税効果」を問題視し、評価方法の適正化を検討する方針が明記されました。

特に注目されるのは、

・高額不動産を活用した相続税圧縮スキーム

・賃貸化によって形式的に評価額を引き下げる節税構造

・経済合理性と乖離した画一的な借家権割合

といった点が、制度上の課題として公式に言及されたことです。

これは、長年黙認されてきた「不動産を建てれば相続税が下がる」という節税モデルが、制度的な転換点を迎えつつあることを示しています。

節税スキームから「資産価値本位」への転換

これまで富裕層の相続対策では、現金 → 賃貸マンション → 相続税圧縮というスキームが定石とされてきました。

しかし、この構図は、実際の収益性・市場価値・国際的評価思想のいずれとも整合しません。令和8年度税制改正大綱が示す方向性は、こうした制度が生んだ歪みの是正であり、今後は、形式的な評価減 → 実質的な価値評価への転換が進む可能性が高いと考えられます。

将来的には、

・借家権割合の見直し

・貸家建付地評価の再設計

・収益還元的要素の導入

などが、制度改正の検討対象になる可能性があります。

制度全体の再考が求められる時期に

賃貸マンションの相続税評価問題は、単なる節税テクニックの議論ではありません。

それは、

「資産価値とは何か」
「税は何を基準に課すべきか」

という、税制思想そのものの問題です。

収益を生む不動産ほど評価が下がる――この日本独自の評価体系は、租税公平の観点からも、国際的な整合性の点からも、すでに限界に達しつつあります。

令和8年度税制改正大綱は、その転換点を告げる第一歩と位置づけるべきでしょう。今後、賃貸不動産の相続対策は、「建てれば下がる」時代から、「実態に即した評価」時代へと、大きく舵を切ることになる可能性が高いのです。

八ツ尾 順一

大阪学院大学 教授