専門外の分野の知見から気づきを得ることは多い。ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥さんは「万能細胞ができるまでには何十年かかるかわからない。もしかしたら自分が生きている間は無理かもしれないと考えていた。そんな自分の不安を払拭してくれたのは関係のない分野の専門家だった」という――。

※本稿は、山中 伸弥『夢中が未来をつくる』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。

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ノーベル賞授賞式で、笑顔を見せる山中伸弥京都大教授(中央)=2012年12月10日午後、ストックホルムのコンサートホール(代表撮影) - 写真提供=共同通信社

■自分の研究室に入ってもらうためにしたこと

優秀な学生たちが集まる奈良先端科学技術大学院大学で、研究室のリーダーとして意気揚々と着任したのですが、すぐに大きな課題があることに気づきました。

私が着任したのは12月です。4月になると新学期が始まって全国からたくさんの大学院生がやってきます。

そのときに、はたして私の研究室に大学院生が入ってくれるのだろうかと不安になったのです。

まわりを見回すと、有名な研究室がたくさん並んでいます。ふつうの大学院生だったら、リーダーが着任したばかりの小さな研究室ではなく、有名な研究室を選ぶでしょう。

せっかく自分の研究室をもつことができたのに、学生が来てくれなかったら研究はできません。これは困ったなと思いましたが、そのとき支えになったのが、グラッドストーン研究所のマーレイ先生が語っていた「VW」の教えでした。

何よりもまずビジョンが大切ということで、学生たちが来てくれるような魅力的なビジョンをかかげようと思いいたります。

そうして懸命に考えたのが、次のようなビジョンでした。

「ヒトの体の細胞から、万能細胞をつくる」

■分化した細胞は元に戻らない

万能細胞とは、ほぼ無限に増えて、ありとあらゆる細胞につくり変えられる細胞のことです。

赤ちゃんはお母さんの体からオギャーと生まれてきますが、赤ちゃんの体は「受精卵」という、たった一つの細胞ができるところから始まります。

このときの細胞は、まだ体のどの部分になるか決まっていません。目にも皮膚にも、心臓にもなることが可能です。

一つの受精卵が、やがて2つに増え4つに分裂し、だんだんと育っていくにしたがって、その「役割」は決まっていきます。

あるものは目になり、あるものは耳になり、あるものは足の一部になるなど、どの部分の細胞になるかが決まっていくわけです。これを「分化」と言います。一度分化した細胞は、勝手に元の受精卵にもどることはありません。

つまり受精卵は、体に存在する数百種類、何十兆個の細胞をつくり出す「万能細胞」なのです。

そのころ、ES細胞という、受精卵から細胞を取り出して万能細胞をつくる方法が発見されていました。最初はマウスのES細胞しかできませんでしたが、やがてヒトの細胞からもES細胞ができるようになり、それによって病気を治せる可能性が大きく広がりました。

つまり体のどんな部分にもなれる万能細胞をつくって、具合が悪くなった部分に移植すれば、治らなかった病気を治せるかもしれないのです。

■受精卵を使わずに万能細胞をつくろう

このように無限の能力があるES細胞ですが、人間の受精卵を使うことが問題視されていました。

受精卵は、それが育って命になる最初の細胞です。たとえ研究や医学のためとはいえ、生命の元である受精卵を研究者が使うことがはたしていいことなのかどうか、という議論が起こり、いまでもその問題は議論され続けています。

そこで私は、「受精卵を使わずに、ヒトの体の細胞からES細胞のような万能細胞をつくろう」というビジョンをかかげました。

たとえば皮膚や血液から細胞をとり、タイムマシンで過去にもどったかのように運命が決まる前の万能細胞にもどす。そうすれば、受精卵を使うことなく、ES細胞と同じような万能細胞ができるのではないかと考えたのです。

しかし、その研究が実を結んで万能細胞ができるのに、どのくらいの年月がかかるかは予想もつきません。20年かかるかもしれないし、30年かもしれない。そもそもできるかどうかさえ、わからないのです。

このとき私の頭に浮かんだのが、マーレイ先生から教わった「VW」の教えでした。まだ起きてもいない未来を想像する前に、まず明確なビジョンを描(えが)くことが大切だと思ったのです。

■生涯忘れない大学院生との出会い

そうして、奈良先端科学技術大学院大学で自分の研究室をもてることが決まったとき、「受精卵を使わず、ヒトの体の細胞から万能細胞をつくる」ことを学生に来てもらうための目標、ビジョンにかかげたのです。

入学してきた学生たちに、私といっしょにこの研究をしましょう、そして、この医療を変える可能性を秘めたビジョンのために“ワークハード”しましょうと懸命に自分の研究室をアピールしたことを覚えています。

もちろん、それが何十年かかるかわからないなどという話は、一言もしません。これが実現できたらどんなにすばらしいかだけを、とうとうと語りかけました。

その作戦が成功し、3名の学生が私の研究室に入ってくれました。海保さん、徳澤さん、高橋くんです。私にとっては一生忘れることのできない、初めての大学院生です。さらに助手(現在の助教)の三井さん、技術職員の一阪さん、技術補佐員の瀧川さんが研究室に加わってくれました。この6名のだれ一人欠けても、iPS細胞の開発はできていなかったでしょう。若い力に心から感謝しています。

■ある研究者の意外なひと言

こうして自分の研究室で研究をスタートさせると、すぐにヒトの体の細胞から万能細胞をつくることがいかに難しいかを感じることになります。成功するまでには気の遠くなるような長い道のりがあるように思われ、本当にできるのだろうかという不安にかられることも多々ありました。

そんな思いをくつがえしてくださったのが、植物のバイオサイエンス分野における研究で有名な島本功先生の一言でした。

あるとき、さまざまな分野の研究者たちが集まる場で、ビジョンを語る機会がありました。私は、ヒトの体の細胞から万能細胞をつくるというビジョンを説明したうえで、実現するのはとても難しいと考えていることを正直に話します。

すると、私の話が終わったとき、一人の研究者が話しかけてくださいました。それが、島本先生でした。

先生は私に、こんな話をしてくれました。

「山中さんは、体の細胞から万能細胞をつくるのがずいぶん難しいと言っていたけれども、植物というのは、全身が万能細胞だらけなんですよ」

たとえば植物は、一度切ってしまった木でも、挿し木や接ぎ木をすると、そこから新しい枝がふたたび生えてきます。

また、多くの植物は茎を切ると、最初は鋭利な断面なのですが、そのうち白い細胞の塊が切断面に増えてきます。

■「iPS細胞」の名付けに影響したもの

これがじつは万能細胞で、ここから新しい茎だけではなく根っこや葉っぱ、花もつくられていきます。植物の多くは、切られるだけで、いともかんたんに自分の細胞から万能細胞をつくることができるのです。

山中 伸弥『夢中が未来をつくる』(サンマーク出版)

島本先生からその話を聞いて、目からウロコが落ちたような気がしました。それまで、体の細胞から万能細胞をつくることを勝手に難しいと信じこんでいましたが、もしかしたらそれほど難しくないのでは、という気がしてきたのです。

私の専門とはまったく違う植物の話を聞くことで、自分自身の考えを変えることができ、勝手につくりあげていた心のブレーキをはずすことができました。

それから研究を重ねた結果、ヒトの皮膚細胞に、たった4つの遺伝子を投入することで、ES細胞と同じようにどの細胞にでもなれる万能細胞をつくることに成功したのです。

そして私は、この万能細胞を「iPS細胞(人工多能性幹細胞)」と名づけました。iPSは、induced(誘導された)、Pluripotent(多能性)、Stem cell(幹細胞)の頭文字をとりました。最初の「i」を小文字にしたのは、当時アップル社の携帯型デジタル音楽プレーヤー「iPod」が流行していたからです。

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山中 伸弥(やまなか・しんや)
京都大学iPS細胞研究所名誉所長
1962年大阪生まれ。1987年に神戸大学医学部を卒業後、臨床研修医を経て、1993年に大阪市立大学大学院医学研究科博士課程修了。米国グラッドストーン研究所博士研究員、奈良先端科学技術大学院大学教授、京都大学再生医科学研究所教授などを歴任。2010年より京都大学iPS細胞研究所所長、2022年より同名誉所長。2007年より米国グラッドストーン研究所上席研究員を、2020年より公益財団法人京都大学iPS細胞研究財団理事長を兼務。2006年にマウスの皮膚細胞から、2007年にはヒトの皮膚細胞から人工多能性幹(iPS)細胞の作製成功を発表し、これらの功績により2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞。
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(京都大学iPS細胞研究所名誉所長 山中 伸弥)