なぜ女性専用車両があって男性専用車両はないのか…逆差別を訴える人に知ってほしい公平性という社会的責任
※本稿は、田中世紀『なぜ男女格差はなくならないのか』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。

■男性にも逆差別はあるのか
日本にはさまざまな男女格差があり、その格差の多くは女性への差別から生じている。その差別は女性への既存の評価から生じているわけだが、男性に対しても、社会に共有されている評価があるはずだ。
そうすると男性についても、差別によって不当な扱いを受けている事例が多々あるのではないかという疑問がわく。特に今の日本社会は、形だけでも男女格差を是正しようと急ピッチに対策に努めている段階であり、このプロセスの中で男性の方が不当な扱いを受けているということも、あるのかもしれない。
この、いわゆる「逆差別」の問題について、女性専用車両を使って考えてみよう。
ここでの逆(性)差別とは、現在の男性優位の社会状況の中で、女性に優遇措置をとることにより、相対的に男性への待遇が悪くなることを言う。女性専用車両の例では、この公共サービスにおける女性優遇措置によって、男性が不利益を被っているかどうかが焦点となる。
まずそもそも、女性専用車両はなぜ導入されたのだろうか?
東京メトロからは、「女性専用車の導入により痴漢をはじめとする迷惑行為の抑止を図り、女性のお客様のほか、小学生以下のお客様、おからだの不自由なお客様とその介護者の方に安心してご利用いただくことを目的にしております」との説明がなされている。つまり、女性専用車両はそもそも、女性(とその他の社会的な弱者)を守るために導入されたことがわかる。
■女性専用車両は「差別」だった
しかし、この女性専用車両の導入によって、朝の通勤ラッシュなどの電車内が混雑する時間帯に、女性は比較的混んでいない車両に乗れるが、男性はその便益が得られないとして、不満を募らせている人もいる。確かに一見すると、性別を基準に、男性が不当な扱いを受けている「差別」であるようにも見える。
そこで、この女性専用車両が男性差別に当たるかについて、差別の条件を使って考えてみよう。
まず、女性だけが使える電車車両ということは、集団としての女性と男性を区別しているので、性差別の第一条件はクリアしている。
では、男性に対する社会的評価が存在するか、という第二条件はどうだろうか。
「女性は痴漢をはじめとする迷惑行為の被害を受けやすい」という社会的な評価がある一方で、「男性は痴漢をはじめとする迷惑行為の加害者になりやすい」という社会的な評価がある。これによって女性専用車両が導入されているので、差別の第二条件もクリアしているだろう。女性専用車両は、「男性だから痴漢するだろう」として、男性すべてに一部の男性に対する評価を当てはめることで、男性が特定の車両に乗り込むのを禁止している。
よって、端的に評価するならば、女性専用車両は「差別」に当たることとなる。
■男性は加害者という負のイメージを増幅
「すべての男性が痴漢をする」とは考えていない、誰が加害者になるかわからない中で、「男性の中に加害者がいるだろう」と想定しているだけだ、と反論する人もいるだろう。
しかし、このロジックを一貫させようとすると、誰が結婚し、その後離職するかもわからない中で、「女性の中に離職者がいるだろう」と会社が想定して、女性を男性と同じように雇用しないという選択をすることが、差別には当たらないことになってしまう。
また、「すべての男性が痴漢をする」とは言っていなくても、女性専用車両を導入することで、「男性だから、痴漢をしやすい」という一般的なネガティブ・イメージを強めてしまう側面も少なからずある。

■男性専用車両も差別になる
女性専用車両の導入によって「男性イコール加害者」という社会的なイメージが定着しやすくなってしまうのに対抗して、男性専用車両を導入する試みがある。
ここ数年、国際男性デーの頃に男性専用車両の企画を行っている、NPO法人日本弱者男性センターという団体が存在するが、そのホームページには「『男性=強者』ではなく男性にも弱者がいる事を社会的に周知してもらう事と既に弱者男性となっている方々の生活支援を主な活動としております」とある。男性の中には、社会的な評価(理想の男性像)で苦しんでいる人がいて、その人たちを助けたいということだろう。
また、男性専用車両を導入することで、「ありもしない痴漢をでっちあげ困らせる」といった痴漢の冤罪(えんざい)トラブルが、男性の身に発生することを防ぐことができるという意見もある。
しかし、この男性専用車両の導入もまた、すべての女性が痴漢をするわけでも、痴漢をでっちあげるわけでもない以上、女性専用車両と同じく、理論上は女性への差別になってしまう。
かつては多くの国で導入されていた○○専用車両だが、現在では男女平等意識が広く普及した先進国の大半で姿を消している。近年、極右が台頭するドイツの一部地域などに見られる女性専用車両の再導入を目指す動きについても、車内の安心感が得られるとして一部の女性から支持されることもあるが、多くの人々は「男女を分ける空間を作ることは時代遅れである」と否定的に捉えているようだ。
■専用車両だけではない女性優遇
女性専用車両や男性専用車両を設けることで、男女それぞれの自由や権利は制限されてしまう(男性専用車両の場合、女性の自由と権利が制限される)。さらに、専用車両の導入は、ネガティブなイメージ(男性専用車両ならば女性に対する固定的な一般イメージ)を強化する恐れがある。そのため、こうした「差別」による対策を取るよりも、少数の加害者による犯罪行為の取り締まりに直接的に取り組む方が、より適切かつ建設的な解決策なのかもしれない。
しかし、今の日本にあって、そのような話はキレイ事だと思う人が多いだろう。現状、電車の中で男性が被害者になることは少なく、女性が被害者になることが多い。単純に数の多さを勘案して、女性専用車両の存在は正当化されるべきで、男性専用車両は否定されるべきだと。
実は女性vs.男性の構図は、専用車両だけに見られるものではない。
女子の大学進学率が少ない状況にあって、女子枠を設けることは正当化され、男子枠は必要ないとされる。女性の管理職が少ないことから、女性枠はあって当然とされる一方、男性枠は必要ないとされる。このように、理論上は「差別的」であるにもかかわらず、女性を「優遇」する政策が現在の日本では多くなっている。このような政策はどのようにして正当化されるのだろうか?
■「平等」では「格差」はなくならない
よく指摘されるのは、社会が完全に平等ではない現状において、「公平性」を重視する必要があるという点である。誰が最初に描いたかは諸説あるが、現在では多くの人が、男女平等やその他の「○○に関する平等」を議論する際に、下のイメージ画像を用いることが一般的になっている*1。

ここに野球の試合を見ている3人の人がいる。3人の前にはフェンスがあり、もしサポートするものが何もなければ、おそらく左の人しか試合が見られない。これが日本の男女格差の現実であり、何も政策的なサポートがなければ、男性(最も身長の高い人)が女性(最も身長の低い人)よりも多くの場面で活躍できる(このイメージで言えば、野球の試合が見られる)。
そこで、男女分け隔てなく(差別的でない)男女平等な政策を導入しようというのが左のイメージである(Equality)。
専用車両の話で言えば、「○○専用車両」を導入しない、ということになる。現実の「女性の方が痴漢の被害者になりやすい」という点は考慮せずに、男性(最も身長の高い人)も女性(最も身長の低い人)も分け隔てない、非差別的な政策をとるのである。その結果として、女性は社会で活躍できない状況が続くかもしれないが(野球の試合が見られない)、政策自体は男女平等なので、それなりの正当性はあるということになるだろう。
*1)https://interactioninstitute.org/illustrating-equality-vs-equity/
■「差別」を認め「公平」を実現
これに対し、現実の状況に鑑みて、女性を優遇する政策を取ろうというのが、公平性の実現であり、右側のイメージとなる(Equity)。
過去から現在に至るまで女性が不当に扱われてきたことを念頭に、女性専用車両や女性枠の導入などの差別的な政策をあえて導入することで、公平性の実現を目指そうというものである。現状が不平等であるので、女性(最も身長の低い人)を手厚くサポートすることで、ようやく男性(最も身長の高い人)と同じスタートラインにたてるということである(野球の試合が見られるようになる)。
ここでは、一度みんなが同じスタートラインに立つことができれば、自由な競争の中で、誰かが得をして誰かが損をしても、それ自体は問題ではない。また、当然のことではあるが「スタートライン」が何を意味するかは、施策や人によって異なる。女性枠について言えば、スタートラインとは、入学、就職、昇進の時点で女性を優遇的に扱うことであり、その後は自由な競争をしてもらおうということになる。

■「公平」の実現こそが社会の「正義」
現状、女性として生まれてきた人は、女性というだけで何らかの社会的評価を背負って生きねばならず、その社会的評価は往々にしてその女性を格差の敗者にしてしまう。女性自身は何も悪いことをしていないので、性別(や人種などその他の属性も含めて)に関係なく、誰もが公正な仕組みのもとで、自由な生活を営むことができるようにするのは、社会の集団的責任であり、正義である。

哲学者のジョン・ロールズが「正義は社会制度の第一の美徳である」と言っていたように、社会がうまく機能するために、多くの人がこの「社会的な責任」を持つことは重要かもしれない。
そしてこの「公平性」を重視する政策は、空想上のものではない。実際に、多くの社会で、社会的弱者への救済策としてこのような優遇策が取られている。
女性枠については、政治家に女性が少ないことを考慮して、政治家の女性枠を採用する国も多くある。また、性別以外の属性についても、たとえばアメリカの大学入試では、黒人やヒスパニック・ラテン系などの少数人種に配慮する政策がとられていた*2。多くのDEI政策(多様性政策)の根幹にあるのもこの考え方であり、女性枠などの優遇策は、格差が大きい社会では必要な場合もあるということだろう。
*2)このアファーマティブ・アクション(積極的格差是正措置)は、2023年の米国連邦最高裁判決により現在は禁止されている。
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田中 世紀(たなか・せいき)
オランダ王国フローニンゲン大学助教授
1982年、島根県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は政治学・国際関係論。著書に『やさしくない国ニッポンの政治経済学 日本人は困っている人を助けないのか』(講談社)。主な論文に、“What Explains Low Female Political Representation? Evidence from Survey Experiments in Japan”(共著、Politics & Gender)など。
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(オランダ王国フローニンゲン大学助教授 田中 世紀)
