被爆した女性は「核を持ってなかったら、侵略されるよ」と語った…専門家が次期首相に望む「非核三原則」の修正

■関税交渉にこれほどまで時間がかかったワケ
――一度は合意したかに見えた関税交渉は、合意文書が作られなかったことで赤沢亮正大臣が繰り返しアメリカにわたり、アメリカ側からの要請もあるなどしてようやく「自動車関税引き下げ」の大統領令が署名されました。
【兼原信克氏(以下敬称略)】赤沢大臣は苦労してよく話をまとめたと思いますが、問題は、トランプ政権がこれまでのような国家間の交渉とは違う論理で動いている点にあります。
通常は担当省庁の官僚が細かい数字を積み上げたうえで、責任者が合意を結ぶという順序ですが、トランプ政権の場合はすべてが国内向けのショー化している「政治交渉」。トランプ大統領の狙いは、派手な交渉成果を米国民に見せつけることにあります。
とにかく交渉を有利にまとめたことにして、自身にとっての最良のタイミングで「アメリカにとって素晴らしい合意が成立した!」と発表できればいいと考えているわけです。
赤沢大臣との交渉担当の一人はベッセント財務長官ですが、彼は金融系の担当なので、貿易交渉では、ラトニック商務長官が真摯に対応してくれています。しかし、最終的にはトランプ大統領から「で、アメリカは儲かるのか?」と言われるばかりで、細部が詰まらない。
■安倍政権とトランプの付き合い
――文書化したくないのはお互い様で、日本側も5500億ドルと言われる投資の細部についてはあいまいにしておきたかったようですね。
【兼原】むしろ、細部を詰めようとすればするほど、お互いの認識に齟齬が出てくる状態にありましたからね。USTR(アメリカ合衆国通商代表部)や国務省のスタッフからすれば、話がまったく上から下りてきていないのでしょうから、文書をまとめようにもまとめられなかったのでしょう。
いずれにしても通常の貿易交渉のつもりで考えていてはいけない、ということです。
――兼原さんは第二次安倍政権で内閣官房副長官補と国家安全保障局次長を兼務されています。トランプ政権と安倍政権の付き合いはどのようなものだったのでしょうか。
【兼原】安倍さんは政治未経験だったトランプ大統領の懐に入り込んで、国際政治のイロハなどいろいろ教える信頼関係を築いた。これはご本人の外交能力もありますが、日本の国力をトランプ大統領に認識させたからできたことです。トランプ大統領は、役に立たない同盟国は切り捨ててしまいますから。
■トランプ=豊臣秀吉
【兼原】トランプ大統領の日本に対する認識は1980年代の貿易摩擦の頃のままになっていて、「日本がアメリカの富を奪った」と2017年の時点でも思い込んでいました。確かに1980年当時は世界経済の20%を日本が占めていましたが、現在は4%です。かつて1ドル360円だった円の価値も数倍に切りあがっていて、日本は輸出国から投資国に生まれ変わっています。日本の対米投資残高は既に英国を抜いて世界一です。このようにすでに80年代とは状況が変わっているのだということを、安倍さんは繰り返しトランプ大統領に伝えていました。
「アメリカの製造業を日本が奪ったというけれど、違いますよ。それは今は中国に当てはまります。日本は日本車の工場をアメリカにつくって、アメリカで車をつくっているんだから」などと、その都度言い返して、トランプ大統領の認識を修正していました。
国際政治の場は、いわば大阪城のようなものです。トランプ大統領という豊臣秀吉がいて、安倍さんはその隣に座って、あれやこれやと指南していた。通常なら日本は伊達政宗ぐらいの扱いですから、秀吉から「何かあるか」と言われて初めて発言できるくらいの立場です。ただ、安倍さんは個人的な信頼関係で秀吉にとっての指南役も務めることができたわけです。

■日本が早急にやるべきこと
――黒田官兵衛のような役目も果たしていたんですね。しかしいよいよ秀吉たるアメリカが「天下の平和を守るために損をするのはごめんだ」と言い出したとなると、各大名も慌てますよね。
【兼原】それはもう大変です。各国はこれまでアメリカが担ってきた安全保障と自由貿易、そして自由、民主主義、法の支配といった価値観を守るために、相応の働きを引き受けなくてはならなくなってきました。アメリカにすがらず、逆にアメリカを支えていかなくてはなりません。何を言ってもアメリカの代わりはいませんし、欧州と日豪韓の経済力を併せれば、いまだアメリカに近い大きさはあるのですから。特にアジアでは、筆頭の同盟国である日本の責任は重いです。
特に重要な安全保障で言えば、欧州はNATOを組んで、アメリカの力をもってロシアを抑えてきました。ところがロシアがウクライナに侵攻しているのに、アメリカは「自分たちで頑張れ」と言い出した。これに驚いたドイツが、防衛費を今後4年間で2倍に増額することを計画しています。

一方、日本は「次の正面は台湾を狙う中国だから、日本も軍事を真面目に考えろ」と言われている状況です。今までのようにアメリカ頼みでは困る。せめてアメリカときちんと連携できるくらいの力を見せてくれと言われているのです。これは当然の流れです。
国民の命を守るためなら、アメリカに言われるまでもなく、できるだけの備えをしておかなければなりません。そのためなら、いくらお金を払ってもいいのです。そのための国家です。
■戦後日本だけやっていない構造変革
――何か起きて被害が出た後になって「もっと準備して抑止力を高めておけば、こうした事態を防げたかもしれないのに」と言っても遅いんですね。
【兼原】近年、国民の安全保障観も変わり始めていて、岸田政権が「防衛費をGDP2%にする」とした際も、国民からの反発はほとんどありませんでした。今後の状況次第では、3%までの引き上げが必要になるかもしれませんし、もっと増えるかもしれません。
ただしこれは、狭い意味での軍事費ではなく、広い意味での安全保障の費用です。たとえば民間の技術や民生品で安全保障に利用できるものをデュアルユースと言いますが、防衛費を上げて安全保障目的で民間の技術開発費を政府が支援すれば、安保と経済を同時に回すこともできる。そういう構造に変えていく必要があるでしょう。
他国ではどこでもやっていることなのに、戦後の日本ではやってこなかった。この点は見直す必要があります。

■核の実践面での協議はまったくできていない
――安全保障で最も心配なのは核抑止の問題です。以前、安倍元首相にインタビューした際に、「トランプはシンゾーのためなら核報復をするという姿を北朝鮮に見せなければならない」と、蜜月アピールの理由を語っていました。「え、トランプが相手だとそんな個人的な関係に頼らないといけないの?」と驚いたのですが……。
【兼原】それは安倍さんが正しいですよ。核のボタンを持っているのは、アメリカ大統領ですから。ただし「相手がトランプ大統領だから」ではなく、相手が誰であっても同じです。
ところが、日本には核の危機が近づいた際、核抑止の実戦面をどうするかということを米国と具体的に議論したことがないのです。安倍さんがいなくなった今、本当にアメリカ大統領が日本のために核を使うかということを真剣に詰める必要があります。核の実戦面の日米協議は焦眉の急です。
もちろん日本は同盟国なのでウクライナとは置かれている状況が違います。日本が攻撃を受ければ、アメリカも報復するという建前にはなっている。ところが核については、運用面、つまり実戦面に関する協議がまったくできていません。
■非核三原則という枷
【兼原】NATOの場合は、戦略核、戦術核、通常兵器まですべての側面でエスカレーションの階段が出来上がっており、核使用のシナリオができています。例えば冷戦中であれば、西ドイツに赤軍(ソ連軍)が入ってくると、たちどころにアメリカの戦術核(B61)がオランダ、ベルギー、ドイツ、イタリア、トルコに配られることになっていました。
現在でも、核運用の手順は周到に準備されています。あるいは韓国の釜山には、アメリカの戦略原潜が寄港しています。韓国に戦略核を持ち込んで、北朝鮮に対して報復の怖さを見せつけることで抑止しているのです。
ところが日本の場合はどうかと言えば、非核三原則の「持たず、作らず、持ち込ませず」を今も堅持していますから、仮に台湾有事でエスカレーションが進み、中国が低出力の戦術核を使いかねない状況になっても、日本にアメリカの核を持ち込むことができないのです。
日本の方がアメリカに対して「核を持ち込まないでください」と言っている以上、アメリカの方から「危ない状況になってきたから戦術核を持って行きましょうか?」と言い出すことはありません。
■「核の傘」は事実上、存在していない
――となると、「核の傘」は事実上、存在しないということですか。
【兼原】実際に何をもってレッドラインとし、何を目標としてどのように核兵器を使うかという実戦面の協議は、日米間でこれまで一度もなされていないのです。特に、台湾有事で中国が恫喝に使うであろう戦術核への対応はゼロです。
安倍さんはこのことに気付いて、取り掛からなければならないと考え「核共有」の議論を進めようとしていましたが、亡くなってしまいました。これはまずいということで、私が所属する笹川平和財団では〈日米同盟における拡大抑止の実効性向上を目指して――「核の傘」を本物に〉という提言をまとめました。
まずは非核三原則の「(アメリカに)持ち込ませず」を「(中国、ロシア、北朝鮮に)撃ち込ませず」に変えて、核の傘を「本物」にするための日米協議を始めなければなりません。実際にアメリカ大統領に話を切り出すのは首相の仕事です。それがなければ何も始まりません。
――なぜそんな大事なことが話し合われずに今日まで来たのでしょうか。
【兼原】日本が世界で唯一の被爆国だから、核の話がタブーになっていたことは間違いありません。ましてや政治家が、核を「使う」といった実戦面の議論をするハードルは高い。しかしこれも国民意識は少しずつ変わり始めています。

■被爆した女性からでた衝撃的なコメント
【兼原】3年ほど前に広島テレビから「核持ち込みに賛成」の立場で取材を受けました(2022年5月28日(土)深夜放送の『WATCH〜真相に迫る〜「核とPeace〜揺れるヒロシマの教訓」』)。もちろんアウェーな立場でしたが、驚いたのは広島県民に対する核共有の是非に賛成するか否かのアンケートで、なんと25%が賛成と答えたことです。
さらにVTRでは被爆者の女性が「持ってなかったら侵略されるよ」と話すコメントも使われていて、時代は変わったなと思いました。
ディレクターは上司に叱られたんじゃないかと思ったけれど、特に若い世代は今の安全保障状況を考えて、核議論もタブー視することなく話し合うべきだと感じているのではないでしょうか。政治家は安全保障状況や国民を守ることを第一に考えて、責任を持って核議論に向き合うべきです。

――日米関係の核心のところが抜けていたという怖い話ですね。
【兼原】日米同盟の核心のところを開いてみたら真空だった、ということです。今はトランプ大統領の振る舞いから、「本当にアメリカって大丈夫なの」「何をどこまで約束していたんだっけ」「日米同盟はどうなるのか」という感覚がリアルなものになっているでしょう。中朝露といった核保有国に囲まれている今、少しでも早く議論を始めなければなりません。
国民の生き死にの問題こそが、政治家にとって最も重要であるはずです。そのために国があるのだから、一部からの非難を受けても、きちんと詰めてもらいたい。タブーを破るのは政治家の仕事であり、これ以上逃げ回ることは許されないと思います。
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兼原 信克(かねはら・のぶかつ)
同志社大学特別客員教授
1959年生まれ。山口県出身。1981年、東京大学法学部卒業。同年外務省入省。在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省国際法局長、内閣官房副長官補兼国家安全保障局次長などを経て、2019年退官。20年より現職。18年フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章受勲。著書に『戦略外交原論』『安全保障戦略』(ともに日本経済新聞出版)、『歴史の教訓』(新潮新書)などがある。
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梶原 麻衣子(かじわら・まいこ)
ライター・編集者
1980年埼玉県生まれ、中央大学卒業。IT企業勤務の後、月刊『WiLL』、月刊『Hanada』編集部を経て現在はフリー。雑誌やウェブサイトへの寄稿のほか、書籍編集などを手掛ける。
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(同志社大学特別客員教授 兼原 信克、ライター・編集者 梶原 麻衣子)
