「ニンニククラッシャー」を最初に使ったのは博多のラーメン店 常に大行列なのに何故郊外に移転したのか「ラー博」伝説(28)
全国のラーメンの名店が出店する「新横浜ラーメン博物館」(ラー博)は、年間80万人以上もの客が訪れる“ラーメンの聖地”です。横浜市の新横浜駅前にオープン後、2024年3月に30年の節目を迎えましたが、これまでに招致したラーメン店は50店以上、延べ入館者数は3000万人を超えます。岩岡洋志館長が、それら名店の「ラーメンと人が織りなす物語」を紡ぎました。それが、新刊『ラー博30年 新横浜ラーメン博物館 あの伝説のラーメン店53』(講談社ビーシー/講談社)です。収録の中から、「ニンニククラッシャー」の先駆者で博多の行列店「ふくちゃんラーメン」を紹介します。
長浜の屋台で修業、キレとコクのあるラーメン
新横浜ラーメン博物館がオープンする1994年の2年前頃、福岡は博多のラーメンを重点的に食べ歩いていました。ラーメンにおいて、博多は極めて重要な地域であったためです。そんな折、「ふくちゃんラーメン」で初めてラーメンを食べたとき、「今までにない新しい味!」と、驚きました。博多の他店と比べて醤油感があり、キレとコクのあるおいしいラーメンだったのですが、私は他の博多ラーメンとは違う味に感じられました。
しかし、歴史を調べると、まぎれもなく博多の老舗ラーメン店だったのです。創業者の福吉光男さんは1955年代、当時長浜にあった「しばらく」で修業を積み、そこで出会った千恵子さんと結婚。その後、独立して、1975年、福岡市早良区(さわらく)の百道(ももち)に店を構えました。屋号の「ふくちゃんラーメン」は、福吉さんの愛称に由来しています。
【「ふくちゃんラーメン」過去のラー博出店期間】
・ラー博初出店:2004年8月3日〜2009年11月24日
・「あの銘店をもう一度」出店:2023年8月29日〜2023年9月18日

ラー博がオープン前から交渉していた福岡の圧倒的な人気店「ふくちゃんラーメン」。ついに2004年、ラー博へ出店
創業者妻の妹夫婦が、繁盛店を引き継ぐ
店は繁盛し、多くの常連客で賑わうも、1979年、福吉さんは病気になり、店を閉めざるを得なくなりました。そこで白羽の矢が立ったのが、妻・千恵子さんの妹・榊美恵子さんのご主人である榊順伸さんでした。順伸さんはラーメンの経験はなく、突然の話に戸惑いましたが、美恵子さんとともに独学でラーメン修業を始めます。

開店は1975年。博多に近い百道で20年やってきたが、路上駐車と交通渋滞に苦悩した
順伸さんは会社が終わると自宅の湯船を釜に、タオルを麺に見立てて特訓をしたそうです。麺上げをする右腕に、湿布を貼っていない日はなかったほどの特訓だったそうです。「ふくちゃん」は、繁盛しているお店でした。「だから自分に代わって“味が落ちた”とは言われたくなかった」―。そんな順伸さん夫婦の思いはカタチとなり、数年後には“順伸さん夫婦のお客さま”がついてきました。
おいしいラーメンを作るため郊外移転を決意
「ふくちゃんラーメン」はその後、ますます繁盛し、常に1〜2時間待ちの長蛇の列。行列が長くなるにつれて、路上駐車による近隣からのクレームは増え、順伸さんにとってストレスへと変わっていきました。「こんな状態じゃとても、おいしいラーメンが作れない」―。悩んだ末に順伸さん夫婦が出した結論は「移転」でした。
当時の店があった百道は人通りも多く好立地。20年間で築き上げた常連さんもいます。にもかかわらず移転を決断したのは、「ラーメンに集中したい」という順伸さん夫婦のラーメンにかける思いでした。移店先は博多から車で30分ほどかかる早良区田隈の閑静な住宅街でした。「ふくちゃん」に行く目的がないと、なかなか行かない場所です。しかし、二代目夫婦はこの場所で新たなスタートを切りました。

百道の店時代の二代目店主の榊順伸さん。車で30分ほど離れた郊外移転を決意
世代交代。父の定位置で麺を上げる重圧
現在、「ふくちゃん」の本店を切り盛りしているのは順伸さんの長男であり、三代目の伸一郎さん。頑固一徹の職人であった父は、息子に対しても一切、ラーメン作りを教えません。「見て覚える」という昔ながらの職人のやり方だったため、伸一郎さんは見よう見まねでラーメン作りを覚えました。

とんこつラーメン特有の臭みのないマイルドな味が「ふくちゃんラーメン」のラーメン
そんなある日、店を仕切っていた父・順伸さんが突如倒れました。世代交代が最悪の事態で訪れました。その2日後、悩み抜いた伸一郎さんは「自分が釜前に立つ」と決意。姉たちは「伸一郎なら大丈夫」と信じ見守りました。そして伸一郎さんは、カウンター向かいの右奥で、麺をゆで、ラーメンを作り始めました。
伸一郎さんによると、「父の隣で10年近く一緒にやってきましたが、突如、父の定位置でやることになり、ものすごい重圧でした。目の前にいるお客さまは、長く通われている常連さんばかり。お客さまの顔を見ることすらできないほどの緊張でした……。最初の1〜2年は常連さんからお叱りの言葉もいただきました。続けていくために、自分ができることはなんだろうと真剣に考えました」―。
定番のニンニククラッシャー。その先駆者だった
そして、伸一郎さんが出した答えは、「そのお客さまのために、一杯ずつ思いを込めてラーメンを作ること」でした。「ふくちゃんラーメン」の麺は昔ながらの博多の麺を使用しています。麺は低加水のため、濃厚なスープを吸い込み相性は抜群です。スープに使われる食材は創業以来、豚頭のみ。本来単一の食材のみで作られるスープはどうしても臭みがでるものですが、「ふくちゃんラーメン」のスープは臭みがなく、そのうえでコクがあります。秘密は、前日の「熟したスープ」と、今日作った「新しいスープ」とのブレンドでした。「新しいスープ」にはキレはあるが、コクがない。そのコクを引き出すのが「熟したスープ」なのです。

コクがあってキレもあるのに、臭みのないスープ。「熟したスープ」と「新しいスープ」のブレンドがその秘密
博多ラーメンで、今や定番となっている生ニンニクですが、クラッシャーで“つぶして食べる”という方法を最初に始めたのが「ふくちゃんラーメン」です。フレッシュなものをその場で食べてもらいたいと、スイス製のレモン絞り器を見つけ、クラッシャーとして使い始めたのでした。

生ニンニクをつぶしてラーメンに加える道具がニンニククラッシャー。その先駆者が「ふくちゃんラーメン」
ラー博出店では、二代目の娘さんが厨房に
新横浜ラーメン博物館への最初の出店は2004年8月でした。ただ、人手の問題があり、出店までには時間がかかりました。そこで白羽の矢が立ったのが、数年前に福岡に戻っていた順伸さんの次女・伸江さん。伸一郎さんの姉でした。伸江さんは念願だった自分の店をオープンし、週末だけ、「ふくちゃんラーメン」を手伝っていました。お母さん(順伸さんの妻)は、苦労して自分の店を持った娘に対して、「横浜へ行ってくれ」とはどうしても言えませんでした。でも、娘の伸江さんは母の表情から、「自分に横浜に行ってほしいのだな」というのがすぐわかったようです。

ラー博への出店では、最初の出店も、30周年企画でも店主・順伸さんの次女・伸江さんが厨房に立った
「あそこまで困っている母を見て、安心させてあげたかった」と、自分の店を閉めて横浜に行く決心をしたそうです。そして長女である姉の美子さんは、妹を少しでも安心させたいという思いから、ご主人の桑原英樹さんに同行をお願いし、伸江さんをサポートしていただきました。私たちは本当に伸江さんに頭が上がりませんし、感謝しかありません。
■ふくちゃんラーメン
[住所]福岡県福岡市早良区田隈2-24-2

広い駐車場のある博多郊外の店に移転してすでに30年以上の「ふくちゃんラーメン」
『ラー博30年 新横浜ラーメン博物館 あの伝説のラーメン店53』

『ラー博30年 新横浜ラーメン博物館 あの伝説のラーメン店53』
『新横浜ラーメン博物館』の情報
住所:横浜市港北区新横浜2−14−21
交通:JR東海道新幹線・JR横浜線の新横浜駅から徒歩5分、横浜市営地下鉄の新横浜駅8番出口から徒歩1分
営業時間:平日11時〜21時、土日祝10時半〜21時
休館日:年末年始(12月31日、1月1日)
入場料:当日入場券大人450円、小・中・高校生・シニア(65歳以上)100円、小学生未満は無料
※障害者手帳をお持ちの方と、同数の付き添いの方は無料
入場フリーパス「6ヶ月パス」500円、「年間パス」800円
新横浜ラーメン博物館:https://www.raumen.co.jp/
