※この記事は2022年03月28日にBLOGOSで公開されたものです

「兄との関係が気になっていました。年が近くて、ずっと一緒にいた気がします。私は虐待だったとは思っていないのですが…」

千穂(仮名、26)は、幼い頃の兄との関係に気になっていたことがある。要因の一つは、性的な接触だった。

「幼稚園のころ、兄から『ベッドに入ってくるように』と言われたんです。そして、服を脱いで抱き合った記憶があります。お互い、そういったことに関心が高かったように思います。まだ、性的な意味はわかっていませんでしたが、お互いに触っていたように思います。思っていたものと違っていたのか、いつからか兄が拒否的になりました。兄は『もういいよ』と言いました。妹と(性的な接触を)したかったわけではなかったのでしょう」

兄に性的接触を求められ続けた幼少期

ただ、裸で触る行為は小学校3年生ごろまでは続いた。

「兄は拗らせた部分がありました。兄が私への接触で違っている感覚を持ちながらも、寝ているときに、胸を触ったことがあると言われたことがありました。お風呂では、『触り合うゲームをしよう』と言ってきました。この頃のことには嫌悪感が残ったのですが、それでも性的な評価を求めていたと思います。幼稚園の頃も、可愛くないと言われることをずっと気にしていました。容姿に欠点があると思っていました」

きょうだい間の性的虐待はときおり耳にする。厚生労働省の「潜在化していた性的虐待の把握および実態に関する調査」(20年度、対象は215の児童相談所と、1894の市町村、回収率は児相57.7%、市町村26%)によると、加害者で最も多いのは「実父」(250件)、そして、「実父以外の父」(161件)、「内縁男性(過去を含む)」(89件)。こられに次いで「兄」(81件)になっている。「異父母の兄」を含めると、98件だ。ただし、経年の比較調査はないため、この件数が多いのかどうか判断するのは難しい。

両親は家庭内別居 家の中からなくなった「居場所」

千穂と兄の間では暴力も含めたきょうだい喧嘩が絶えず、母親もそのことは知っていた。応酬の中で千穂が絶叫すると、近所からは苦情の電話がかかってきた。母親は兄に対し、「喧嘩をやめて」と言ったり、言い争っていたという。

兄と千穂は同じ部屋だった。楽しいことや、本や漫画は共有していた。しかし、兄が千穂を遠ざけるようになったとき、「(部屋から)出て行け」と言った。そのため、部屋を移動した。ただ、当時、両親は家庭内別居で、リビングが事実上の母親の部屋だった。母親も1人になりたかったのか、「来ないで」と言われたため、千穂は家の中に居場所がなくなり、昼間は図書館やスーパーに足を運んだ。家にいるときは、トイレの中に引きこもり、漫画を読んだりしていた。

兄とは性的なコミュニケーションや暴力的な関係からの歪みが生じたものの、中高の時代はよく勉強をした。そのため、学費免除となる特待生ともなった。

「6年間、特待生になりました。それだけ頑張ったんです。中2でホームステイもしましたが、その費用も免除されました。頑張るのは使命だと思ったんです。今の私には無理だと思うくらい頑張りました。遅刻もしませんでしたし、成績は常に上位を維持していました」

「父親と連絡を取るのも禁止」母親との関係も負担に

一方、親子関係も千穂にとっては安心できるものではなかった。父親とは、両親の離婚後、別々に暮らしている。

「父親は自営業でしたが、経済状況が変わって、母に家計の負担がかかりました。理由ははっきりとはわからないですが、物心ついたときから家庭内別居でした。母のことを憎んでいるようでした」

離婚後、母親と同居することになったが、千穂は好かれていないように感じている。

「一緒に寝ていると、柱を蹴ったり、威嚇されたりします。父親に対する不快感、憎しみが現れています。それでも母は、子ども3人をどうにか育てたい気持ちが強いんですね。3人ともに受験を頑張って私立の学校に行かせました。休みの日はどこかへ連れて行ってくれました。タフではあるんですが、毎日のように深夜まで飲酒していました。アルコール依存症ではないかと思うほどです」

父と会うことはあったが、母には内緒だったという。

「母からは会うのも、連絡を取るのも禁止されていましたが、両親が離婚した後でも父とは会っていました。知られるとナーバスになりますし、〝会ってないよね?〟と聞かれることもあります。母は、父のことが理解できないんです」

大学卒業後、ADHDの診断を受ける

両親の不仲はあったものの、千穂の自覚としては、兄からの暴力が最も苦痛だった。こうした経験を踏まえつつ、19年にADHD(注意欠陥・多動症)と診断された。

「学生時代は優等生で通っていましたし、何も問題がありませんでした。でも、大学で環境が変わりました。何もできなくなったんです。適応障害かなと思ったんですが、簡単なことができなくなったんです。指示が入ってこない。大学を卒業して、兄に〝病気なんじゃないの?〟と言われて、精神科に行ったんです。そこで心理検査をしたんです。すると、活動意欲は高いが、なかなかうまくいなないし、辛い思いをしたり、思い切ったことをするかもしれないとのことでした。自分自身を定義するものがなかったので、(診断結果は)よかったです。自分は何者かを知りたかったんで」

就職活動の中で、なかなか条件のあう仕事が見つからなかった。

「偏差値の高い大学に自己推薦で進学したんですが、発達障害の特性もあり、学業成績の低い問題児となったトラウマを引きずっています。留年し、就職にも失敗しました。それまでは優等生であることで周囲から信頼され、人間関係を結んでいたので、落差にショックを受けました。価値のない人間だと思う時があり、自意識や承認欲求の強さに振り回されて、人格や気持ちが安定しませんでした」

アルバイトが見つからず、出会い系サイトで援助交際

千穂はアルバイトを探したが、自分にあう仕事が見つからないでいた。そこで、千穂は、思い切ったことをした。援助交際だ。

「使ったサイトは『ワクワクメール』と『PCMAX』。登録をするとたくさんの返事がきました。書き込みをすると、一挙に30通の返事が来たのです。最初は会うことを保留していましたが、徐々に相手の性格がわかるようになり、なんとなく話が通じて、会ってみようと思ったんです」

千穂が出会った1人目は、30代のデザイナーで個人事務所を持っているという。人と話すのが好きで、普通っぽい人だった。2人目は40代で、性行為自体が目的ではない男性だった。3人目は50代。自称税理士で、話が面白い人だった。

「多くの人は素人を求めていました。だからこそ、性風俗ではなく、出会い系。しかも、業者っぽい人を避けてしました。普段なら、出会い系のようなものを使わないような子と会いたいんです。だから、やりとりの中で、『今、勉強していた』などと返すと、喜んでいました。ただ、気が進まないんです。やりたいわけではないので、気が重い」

母親に言われ続けた「安定」を今は求めていない

就職はするつもりでいるが、なかなか難しい。そのため、職業訓練校に通いながら、勉強をしている。

「ADHDがあり、職業訓練校の課題をこなすのに苦労しています。就職したことがないので、本当に自分がフルタイムで問題なく働ける人材なのか分からず、就職活動をしていても嘘をついて騙しているような気持ちになります。これまでずっと安定を求めてきました。母に言われてきたからです。でも、今求めているのは安定じゃない。自分のことは自分で決めていかないと、のちのち大変なことになることはわかっています。仕事の辞め癖、リタイア癖をなくしていきたいです。今後は、ウェブの会社に入りたい。編集やディレクションをしたいんです」

母親との生活に安心感を持っていたわけではない。しかし、母親が求めた安定を、千穂も求めていたことに気がつく。今は「安定」をではなく、就きたい仕事を探している。そして、自分の気持ちを吐き出したいときには、SNS相談にメッセージを送ることにしている。

「相談時間に送ってはいないんです。なぜなら、自分の気持ちを整理するだけに使っています。返事があったことはありませんが、それで気持ちが少し楽になります」