【私の雑記帳】『財界』主幹・村田博文
どんな事があっても、逃げない、諦めない。このDNA(遺伝子)をずっとつなげていきたいと語る下代さんである。
〝ダイフクらしさ〟の追求
〝ダイフクらしさ〟。この〝らしさ〟は社風となり、相手から信頼される無形の財産となる。
いま、ダイフクの仕事は、北米、アジアとグローバルに広がり、海外の仕事の比率は全体の7割。外国籍の社員も7割を占める。世界の信頼を得ている背景には、この〝ダイフクらしさ〟を守っているからだ。
社会との約束を守る。コロナ危機で世界はとかく荒れぎみになりがちだが、縁の下で踏ん張る仕事に誇りを持つ企業は強い。
勝木敦志さんの変化対応
コロナ危機と向き合って約1年半、経営者として、このコロナ禍をどう思うか? その問いに、「未来が早く来たと思うんですよ」と答えるのはアサヒグループホールディングス社長の勝木敦志さん(1960年3月生まれ)。
主力のビール事業は2020年、業務用が販売自粛の影響で前年比で4割減と打撃を受けた。
「消費者にも多様化が現われ、社会の変化にも柔軟に対応する世代も生まれてきたし、製品やサービスを提供するわたしたちも、人々の健康やウェル・ビーイング(well-being、幸せな暮らし、安寧)を追求する会社でありたい」
そうした価値観を求める若い世代も増えてきた。ミレニアル世代(1981年以降生まれの世代)やZ世代(90年代後半以降から2000年代前半に生まれた世代)の20代から40歳頃までの若い層は『社会』や『サステナビリティ(持続性)』などへの関心が強い。
「もはや、量を追って成長する時代ではない。商品やサービスのイノベーションを含めて、経営の質を高めていきたい」と勝木さん。
どうやって、『質』を高めていくか? という問いに、「それは人材の育成に尽きます」と即答する勝木さんである。
多様性を生かす!
勝木さんは1960年(昭和35年)3月生まれ。北海道出身。84年青山学院大学経営学部卒業後、ニッカウヰスキーに入社。同社はアサヒビール(現アサヒグループホールディングス)の子会社になった関係で、2002年アサヒビールに転籍という経歴。
就職先にニッカウヰスキーを選んだのはなぜか? その問いに、「北海道出身(岩見沢)なので、北海道に拠点のある会社を選びました」ときっぱり。
学生時代は山登りに夢中になり、体を鍛えたせいか、前向きで行動派。アサヒビールに転籍後は経営戦略部門や国際部門で働いた。傍流扱いされ、肩身のせまい思いをさせられるのではと緊張ぎみだったが、「そんなことは全くなかった」という。
当時の社長が、「出身や経歴で差別することはならない」というメッセージを出し、それを徹底する社風だったと転籍時の雰囲気を述懐。
トップの思想を社員たちがしっかり受けとめ、トップダウンとボトムアップを融合させる会社は強い。コロナ危機でもそのことが言える。
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