日本初の和文タイプライター

 1915年6月12日、和文タイプライターの特許が成立した。発明した杉本京太は、翌年に日本タイプライター株式会社を設立し、戦前・戦後を通じて和文タイプを広めていく。

 欧米では1870年代からタイプライターが普及したが、和文タイプライターはなかなか誕生しなかった。歴史研究家の濱田浩一郎さんが、こう語る。

「日本国内でもタイプライターを待望する声はありましたが、日本語にはひらがな・カタカナ・漢字と複雑な文字が多く、海外のタイプライターをそのまま流用することはできません。

 誰かが日本オリジナルの型を造らなければならなかったのです。

 発明した杉本は、大阪活版印刷研究所の主任まで務め、設計や製図もできる人でした。杉本が売り出した和文タイプライターは、官公庁や企業に次々と採用され、書類作成に欠かせないツールとなっていきます」

 パソコンで打ち出される文字と違い、タイプライターで印字される文字には、ある程度、機種ごとに特徴が出た。

 実は、この特性は、1984〜85年にかけて発生したグリコ・森永事件の捜査で活用される。

「グリコ・森永事件は、グリコの社長が拉致されたり、森永や不二家など食品会社が脅迫された大規模犯罪でしたが、その際、犯人は各所に脅迫状を送りつけています。

 犯人は『かい人21面相』を名乗り、『どくいり きけん たべたら 死ぬで』などと常に関西弁を使いました。脅迫状には、日本タイプライター社のパンライターP45型が使われたことがわかっています。

 1台ずつの試し刷りを照らし合わせ、調査を進めた結果、1982年8月31日に出荷された20台のどれかだと判明します。

 警察は1台ずつ調べあげ、ついに1983年1月に東京都千代田区の店で『山下』と名乗る男が購入したことまで割り出します。しかし、そこから先の情報が途絶えてしまったのです」

 ちょうど同じ時期、ワードプロセッサーの普及が加速していた。1978年に東芝が初のワープロを発表して以来、企業だけでなく一般家庭にも浸透しつつあった。

 和文タイプライターは、ワープロの普及と反比例するように衰退していく。タイプ業務は複雑で専門性が高かったため、多くの会社で長期間にわたって残されてきたが、1999年、ついに和文タイプライターは生産停止となる。

写真・朝日新聞