「パパは僕たちを捨てた」と…がん克服の笠井アナ語る家族の絆

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「これまで、ありがとう。そして、これからもよろしく!」

スマホの画面を通じて、2階の自室から1階のリビングにいる妻の茅原ますみさん(56)に結婚30年の感謝の言葉を送ったのは、フリーアナウンサーの笠井信輔さん(57)。

「まさか、テレビ電話で30年分のお礼を言うことになるなんて」

コロナ真っただ中の今年6月2日の夕刻。1階の食卓には、妻と息子たちが腕を振るったご馳走が並び、夫から妻に贈られたばかりの30本の真っ赤なバラの花束も。なんともにぎにぎしい雰囲気だが、パパの笠井さんだけリモートでの参加というのは、自ら隔離しての“セルフロックダウン”をしていたためだ。

夫妻にとって、この日は、真珠婚式のお祝いと同時に、もう一つ、大きな意味を持つ。笠井さんが、自身のがん(悪性リンパ腫)を公表したのが昨年12月19日のこと。

あれから半年。この夜、夫婦の記念日を自宅で迎えられた思いを笠井さんは、こう語った。

「主治医の先生から、『復帰は半年から、長引けば1年』と聞いたので、『なんとか結婚記念日の6月までには家に帰る』と、自分で闘病の目標にしていました」 2人は、局は違うが、同期のアナウンサーだ。妻のますみさんは現在はテレビ東京の管理職で、今回の夫の闘病中も、働きながら見舞いに通った。家族が“ワンチーム”となり乗り越えたという、笠井ファミリーのがんとの闘病の1年間を語ってもらった。

「子供ができるまで、僕ら夫婦はまさしく24時間働いてました。母親になった妻は、ワークライフバランスの先駆けという感じで生活スタイルを変えましたが、僕は相変わらずでした」

彼には、忘れられない家族の“事件”がある。

「01年9月11日、アメリカ同時多発テロが起きたとき、妻は『行かないで』と言いました。次男が週に2度も救急車を呼ぶような家族のピンチの時期だったんです。それでも振り切ってアメリカ行きを敢行し、数週間後、山のようなおみやげを抱えて帰宅した僕に、玄関で長男が言いました。『お父さんは、僕たちを捨てた』腰、抜かしましたよ。実は、テレビ中継を見ながら、妻が子供たちに話していたそうなんです。『お父さんは、あなたたちを捨てて、ここでしゃべってるのよ』ただ、妻は父親の悪口を息子に吹き込んだのではなく、その行為で、僕に大切なことを伝えようとしていたんですね」

それから、しみじみとした口調で言った。

「でも、まだ本当に理解していなかった。僕がそうした仕事ぶりをその後も続けていた先に、今度の病もあったのだと思えるんです」

19年9月半ばに、腰痛に襲われたが、

「フリーになる前には会社の重い荷物の整理をしたりしたので、そのせいでのぎっくり腰かと。最初の診断は『前立腺肥大』で治療もスタートしていたんですが、『悪性リンパ腫』の影響だとあとでわかるんです」

笠井さんにがんが見つかるのは、フリー転身からわずか2カ月後の12月初旬のことだった。

ほどなくして入院した笠井さん自身は、一人病院のベッドで何を思っていたのだろう。

「どんなときも、子供たちに『笑顔でいよう』と声をかけ続け、僕の見舞いも笑顔で通してくれた妻には、感謝しかないです。そうそう、蒸しタオルで体も拭いてもらいました。気持ちよかったなぁ。妻だからこそ、ですよね」

やがて病状は改善し、4月30日に退院の日を迎えた。その後も経過は順調で5月には仕事にも復帰。そして6月となり、つらい闘病の支えだった30年目の結婚記念日をリモートながらお祝いできたのは、冒頭で紹介したとおりだ。

「僕は、よい夫、父親ではありませんでした。威厳もないし、大黒柱のタイプでもない。なのに頑固で、仕事ばかりだったそんな僕が病気になって、いわば家族のなかの弱者となった。そこにコロナまで加わりましたまあ、そんな僕の姿を見て、家族も『もっとお父さんを労ろう』と思ったんじゃないでしょうか。変わったんですよ。僕ががんになって、みんな、やさしくなった。息子たちなんて、料理まで始めちゃって」

入院も後半のころ、その思いを妻の前で口にすると、ますみさんは夫に向き直り、言った。 「家族が変わったのは、あなた自身が変わったからよ!」

思わずハッとする笠井さん。大病を経て、ようやく自分の妻子との向き合い方が変わっていたのだと知らされる。互いを思いやるようになり、いつか家族は本当に一つになっていた――。

「女性自身」2020年12月1日・8日合併号 掲載