プレミアに来た「賞味期限切れのスーパースター」5名
選手は様々なクラブを渡り歩くものであるが、挑戦はタイミングが大切だ。もしそれを間違えれば、実力以外のところで評価が変わることも。
今回は『Planet Football』から、「プレミアに来るタイミングが賞味期限切れだった5名のスター選手」を特集しよう。
アンドリー・シェフチェンコ(チェルシー)
イタリア・セリエAのレジェンド。しかしイングランド・プレミアリーグでは失敗した男。そんな状況になった男がシェフチェンコだ。
2006年にミランからチェルシーに移籍したとき、モウリーニョ監督は「彼はチャンピオンだ」と話した。しかしすでに彼は衰えが顕著となっており、慣れない場所に行くには厳しかった。
チャリティ・シールド(現コミュニティ・シールド)でゴールを決めたにもかかわらず、彼の定位置はベンチとなった。名誉のために言えば、ウィンストン・ボハルデのように何もせず高い給与を受け取ったわけではないが。
ブランコ(ミドルズブラ)
1989年、1994年のワールドカップで優勝したブラジル代表の一員となったブランコ。ロベルト・カルロスの前任者であり、フリーキックのスペシャリストであった。
ミドルズブラは一時期ベテランを好んで獲得していたが、彼と契約したのは96年。ブランコは32歳と脂の乗った年齢だったが、負傷の問題があったことから2年間まともにプレーしていなかった。
イングランドへやってきたブランコはあまりにカロリーを取りすぎたウエストラインになっていた。リーグカップでの2ゴールで才能は見せたものの…。
ローラン・ブラン(マンチェスター・ユナイテッド)
アレックス・ファーガソンはマンチェスター・ユナイテッドの歴史の中で最も偉大な監督であったが、あらゆるタイトルを掻き集める中で時折混乱もあった。ヤープ・スタムの後釜として獲得したローラン・ブランもそれだ。
スタムは自伝の内容が問題となって喧嘩別れしたと言われているが、後にファーガソンはそれを否定。スタムがややスピードを落としていると主張した。
では大ベテランでスピードもない35歳のブランを獲得したのは何だったのか。彼は紛れもない名選手であったが、マンチェスター・ユナイテッドは偉大なキャリアの中の黒歴史である。
トーマス・ブロリン(リーズ、クリスタル・パレス)
スピードがあり、大胆不敵。ジャンフランコ・ゾラやティノ・アスプリージャらとともにパルマで活躍したスウェーデンの名選手ブロリンは、まさに世界最高クラスの若手選手だった。
26歳でリーズにやってきた彼は、94年に負った深刻な負傷の影響で評価に応えられるプレーが出来ず。ペースを崩した彼は古巣パルマへのローン移籍でも輝きを放てなかった。
98年に加入したクリスタル・パレスでも鳴かず飛ばずとなり、体型もどんどん太くなっていき…結局29歳という若さで現役を離れることとなった。
パトリック・クライファート(ニューカッスル)
アヤックスで育ったクライファートは、1995年に18歳でUEFAチャンピオンズリーグを制覇。その後ミランを経てバルセロナへと移籍し、カンプ・ノウでなかなかの成功を収めた。
しかし結局チームメイトとの軋轢やお酒や性的活動の問題でバルセロナを離れることになったと言われている。そういう場合、おおよそ向かう場所はニューカッスル・ユナイテッドであった。リー・ボウヤーとキーロン・ダイアーがピッチ上で殴り合った、寛容なニューカッスルにだ。
大物の到着に湧いたニューカッスルであったが、この1シーズンで6ゴールのみと期待を裏切った。そしてクラブは後にマイケル・オーウェンを獲得している。