オレンジ色に輝くジャケットが、白、えんじ色、そして黒のジャンパーの中で際立っていた。沖縄・久米島での春季キャンプ、ホテル脇の浜辺で東北楽天ゴールデンイーグルスの恒例となっている朝の朝礼でのことだった。そのオレンジのジャケットを着ていたのが、アンドリュー・ジョーンズだった。だが、ジョーンズがカラフルな衣装を身にまとっていなかったとしても、彼の存在感は際立っていたことだろう。

 ジョーンズ以外の外国人選手も参加していたが、彼らはジョーンズのようにメジャーで434本ものホームランや、10年連続ゴールドグラブ賞などという輝かしい実績を残していたわけではない。

 これまで、彼のような実績を持った外国人選手は、日本独特の決まりごとを免除されることが多かった。現に、楽天の新外国人のケビン・ユーキリスは1週間遅れでのキャンプインとなり、彼のトレードマークであるヒゲもそのままでいいという許しを得ている。そのユーキリスでさえも、メジャー通算150本塁打、ゴールドグラブ賞は1回だけである。

 日本に来てから"AJ"という愛称を付けられたジョーンズは、自慢の打撃力を発揮するとともに、すぐに日本の環境にも順応していった。そして球団創設初のリーグ優勝、日本一に貢献。オフに新たに1年契約を結び、今季も楽天でプレイすることになった。

「最初に楽天と契約した時、多くの人が、私が日本を好きになれずに、1カ月もせずに帰ってしまうのではないかと予想していたと思うんです」と、キュラソー出身のジョーンズは語った。

「多くの人は、私が小さな島からやって来て、ここに来るまでどれだけ苦労してきたかを知りません。楽天と契約を交わし日本に来た理由は、チームの優勝に貢献したかったからなんです。私が若くして島を出てアメリカに渡った時、目標はメジャーに昇格し、そこでプレイをし続けることでした。それからずっと野球への熱意は変わっていません。私は野球を愛しているんです。違う国に行ったとしても、野球を続ける目標は変わりません」

 それにしても、これまで日本にやって来た元メジャーリーガーたちは、様々な文化の違いに適応しなければならなかった。例えば、キャンプでの生活もそうだ。メジャーでは、キャンプ中は豪華な家を借り、家族と過ごす。そして高級車で球場に来るというのが普通だった。

 一方で日本は、チーム全員が同じホテルに泊まり、団体で移動するのが普通だ。メジャーを経験した選手であれば、これを受け入れるのは容易なことではない。にもかかわらず、ジョーンズはまったく気にならないという。

「私が日本行きを決断した時、いろいろな違いに順応する覚悟を決めました」とジョーンズは説明した。

「たしかに、たくさんの違いがあります。アメリカでのスプリングトレーニングは、1カ月6000ドル(約62万円)ぐらいの家を借りて、快適な生活をします。ベッドもすごくいいんです。それにくらべ、日本はみんな同じホテルに泊まり、ベッドも全然違います。初めてホテルの部屋に入ったとき、『何だ、この小さいベッドは......』と思ってしまいました。日々の過酷な練習の後、どうやって疲れを取ったらいいのだろうかと......。初めのうちはそういうことに戸惑うかもしれませんが、人生の中にはいろんな選択肢があり、その環境に適応していかなければいけない。これらのこともそのうちのひとつですし、慣れていきながら前に進むしか方法がないんです。ここで野球をすると決め、契約を交わしたのなら、どんなことにでも慣れていかなければならないのです。アメリカでは、練習に行く時は毎日車で通っていました。でも日本では、自転車で球場に行く時もあります。大変どころか、結構気に入っています」

 ジョーンズの、元メジャーリーガーというプライドよりも「チームのために」という思いが最も表れたのが、昨年9月26日の西武戦だろう。2点を追う8回の表、二死満塁でジョーンズに打席が回ってきた。ここでジョーンズは一発を狙いにいくのではなく、コンパクトなスイングで走者一掃のツーベースを放った。結局、これが決勝点となり、楽天が球団創設9年目にして初のリーグ優勝を飾った。

「メジャーにいた時も、自分のためにプレイしたことはありませんでした。目標はいつもチームが勝つことなんです。だから、ホームランを意識したことはありません」とジョーンズは言いながら、逆転の一打を思い出していた。

「実はその前日、同じピッチャーに、逆転の二塁打を打ったのと同じ球種で三振に打ち取られていたのです。だからあの場面は、あのボールでまた攻めてくるとわかっていました。外角低めのいい球だったのですが、よくバットが振れました。幸運にも塁が埋まっていましたし、私も準備ができていました」

 当然、楽天の優勝はジョーンズにとっても、チームにとっても最高の一瞬だったに違いないが、「最高のひと時は、あの西武戦の決勝二塁打だったか?」と聞くと、ジョーンは意外な言葉を口にした。

「実は、いちばんの思い出は、1年間楽しく野球ができたことなんです」と打ち明けたのだった。

「ここ5年間、メジャーではあまり楽しい時間を過ごせませんでした。主に、相手が左投手の時に出るぐらいで、私はそれほど重要な役割を担っていませんでした。でも楽天では、『今日も試合に出られるぞ』と思いながら、毎日球場に来ることができました」

 野球を心から楽しむジョーンズの姿は、すぐに他のチームメイトにも影響を与えた。ヤクルトのウラディミール・バレンティンは2011年から楽天ベンチを見てきたが、ジョーンズが加わった2013年から、楽天が明らかに変化していることに気づいていた。

「ジョーンズが加入したことにより、ムードメーカーとしての役割を担い、星野監督と若い選手の壁をなくした」と言う。そしてこう加えた。

「いいプレイの後、監督の尻を叩いたり、遠慮なくハイタッチをしたりする姿を見ることができた」と、バレンティンはこれまでとは違う楽天ベンチの雰囲気を感じていた。

「彼が加入する前はそんな雰囲気はなかった。若い選手が監督の尻を叩くことなんてもちろんできませんでした。しかし、そこで違う文化を持つ国から大ベテランがやってきて、監督とこのような関係を築き上げた。それによって若い日本人選手たちが、リラックスし、いい雰囲気を作り上げることができたのではないでしょうか」

 ジョーンズは新しい環境に適応しただけでなく、その新天地の空気を入れかえることでチームを優勝に導いたのだった。

ブラッド・レフトン●文 text by Brad Lefton