少し前に人に勧められて田村耕太郎氏の「君は、こんなにワクワクする世界を見ずに死ねるか?」という本を読んだ時に、多分人生でそれまで感じたことが無いほどの、吐き気を催すほどの強烈な反発・欺瞞を感じて、衝動的に「アンチグローバルマッチョ」なるものを宣言して罵倒したのだけれど、自分のこれまでの経験を振り返って何となく自分がそういうことをした意味が分かってきた。

僕はブログを始める前、彼が言うように、それこそ学生時代に英語を一生懸命学んでヨーロッパを半年くらい旅したり、教養を身につけようと古典と言われるような本を沢山読んだり、社会人になってからは昼夜を忘れて仕事に励み勉強して留学を目指していた。それは自分のキャリアアップにはつながり、官僚にもなれたし、転職市場でも年収数千万円クラスのオファーはもらえるようになっていた。でもそれはやっぱり自分の人生ではなくて、組織の歯車の人生なんですよ。グローバルマッチョに生きるにはそれくらい仕事に埋没する必要がある。それが嫌で嫌で、そのラインから何とか抜け出したくて、すがるように僕はブログを始めたんです。

「英語を学べ」「教養を身につけろ」といった田村氏の主張は組織の歯車としての人生を歩むには正しい。ただそれはあくまで歯車としての人生を歩むならだ。それは僕が嫌で嫌で捨てた人生だ。だから彼の主張にあれほど強力に反発したんです。その上でアンチグローバルマッチョなる自分の言葉に責任を取ると、僕が言いたかったのは


○アンチグローバルマッチョとは、組織の歯車としての人生を脱する生き方である
○組織の歯車としての人生を脱したいなら自分のメディアをもて。何にもできないならブログから始めろ
○本気でブログをやれば必ず自分の未来が切り開ける


ということです。もっと端的に言えば

「英語、教養、グローバル」ではなく「ネット、オリジナル、オープン」

ということです。どちらを受け入れるかは皆さん次第ということで。

ではでは今回はこの辺で。

執筆: この記事はうさみのりやさんのブログ『うさみのりやのブログ 〜最近は徐々にミリオタ化〜』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2013年11月13日時点のものです。