「とりあえずビール!」──居酒屋に入ってまず一言。我々はその店で扱うビールの銘柄を自然と選ぶことになる。飲食店は巨大な試飲の場だ。それだけにテーブルにビールが運ばれてくるまでには、営業マンの熾烈なバトルがある。

■タキシードを着て手紙を持ってきた

そこまでやるのか……。

アサヒビールのスカイツリープロジェクト特命担当部長、実田広之の話を聞きながら、正直そう思った。率直な感想を小路明善社長にぶつけてみた。

「メーカーが川下の飲食店さんまで行って営業活動をすることに、一般の方は驚かれるかもしれません。しかしこれはビール業界全体がやっていることで、アサヒだけがやっているわけではありません。

全体のパイが大きく伸びていれば、たぶんここまではやらないでしょう。しかし、現在のようなマイナストレンドの中では、問題解決型営業で川下に向かわない限り、飲食店さんにアサヒのビールが自然に流れるということはないのです」

アサヒはリーシング(テナント誘致)の段階から東京スカイツリーに深く関わってきた。なぜビール会社がテナント誘致を手伝うのか違和感があるが、全国の飲食店情報を大量に保有しているビール会社がリーシングのみならず、飲食店のコンサルティングから社員教育まで買って出るのが、いまや当たり前なのだ。

東京スカイツリーは東京ソラマチという一大商業施設を抱えている。ソラマチには日本全国から一流の繁盛店ばかりが誘致されており、地方の名店がソラマチに出店するための一切の世話――食材の仕入れ先の紹介から従業員の宿舎の斡旋まで――をビール会社が担ったケースが多い。そこまでやっても自社のビールを扱ってもらえるかどうか、蓋を開けるまでわからないのだという。

アサヒはスカイツリーのオフィシャルパートナーであり本社も至近距離にあるため、リーシングには圧倒的に有利なポジションにいた。しかし、注目度日本一の商業施設になんとか食い込みたいのは、他社とて同じこと。いかにして東武鉄道のコンセプトに合致した飲食店を誘致し、その店で自社のビールを扱ってもらうか。各社の営業マンたちはスカイツリー完成の遙か前から、激烈な店舗誘致合戦を繰り広げていたのである。数あるスカイツリーの飲食店の中で、「夜のマグネット」の役割を果たしているのが「リゴレット ロティサリー アンド ワイン」である。経営するのはHUGE。新丸ビルや六本木ヒルズにも出店する、いま最も旬な飲食チェーンだ。

HUGEのカリスマ社長、新川義弘が吉祥寺に第一号店「カフェリゴレット」をオープンしたのは06年のこと。そのオープニングパーティーに実田の上司、小野藤太郎の姿があった。新川が言う。

「手前味噌になりますが、僕、オープニングパーティーやるとミッキーマウスになってしまうんです。何百人ものお客様と挨拶しなくちゃいけない。吉祥寺のオープンのとき、小野さんはタキシードを着てこられて『気持ちを手紙にしたから読んで』って。手紙には、アサヒビールをよろしくなんて一行も書かれていないんです。男、小野だと思いましたね」

新川と小野は新宿コマの再開発でも絡みがあったが取り扱いには至らず、「カフェリゴレット」のビールもすでに他社に決まっていた。小野は吉祥寺に、文字通り挨拶のためだけに行ったわけだ。それも、とびきり印象的な演出で……。

09年、スカイツリーのリーシングが本格化すると、東武鉄道サイドから「夜のマグネット」すなわち夜間の集客の核となる店として「リゴレット」の名前が挙がった。一方、HUGEは、ちょうど六本木ヒルズに「新(ARATA)」をオープンするタイミングにあった。実田は東武の意向に応えるため、新川と接触するチャンスを求めて「新(ARATA)」のオープニングパーティーの入り口で新川を待ち伏せた。再び、新川の証言。

「実田君が、ガーッとこっちの目を見ながら、グッと手を握ってくるのよ。痛いぐらい。『あんたとやるぞ』みたいなパッションが、グワーッときましたよね」

しかし、新川はつれなかった。今度は実田の証言である。

「社長、一度じっくりお話ししたいですと言ったのですが、『アサヒさん、いままで何のアプローチもなくてさ、まずは物件でご一緒したいよね。そうじゃないなら5年ぐらい来なくていいよ』って(笑)」

物件とは店舗物件の紹介である。元グローバルダイニングの社員だった新川は、当時からキリンビールとのつながりが深かった。05年に新川が独立した際には、後に登場するキリンビールの島田新一が「新丸ビルでやりませんか」と、速攻で物件話を持ちかけている。さらに言えば、「新(ARATA)」の後にオープンした横浜の「ザ リゴレット オーシャンクラブ」はサントリーの紹介物件。新川とアサヒの縁は、それまで皆無だったのである。取りつく島がない。

実田は一計を案じた。オーシャンクラブのオープニングに、新川と面識のある小野に出向いてもらうことにしたのだ。小野は再び新川に手紙を渡し、再び鮮烈な印象を残した。新川が言う。

「小野さん、スマートですよね。翌朝のメールっていうのはよくあるんだけど、なにしろ1日に250通以上も来るでしょう。でも、手紙はしっかりと机の上に残っているわけですよ」

その後新川は、東武鉄道のプレゼンテーションルームに招かれて東武のプロジェクトリーダーと小野、そして実田からスカイツリーの模型を前に、正式に出店の打診を受ける。押上という立地が「リゴレット」のイメージとかけ離れていたため、当初、新川に出店の意思はなかった。しかし、実田が出店場所の候補として指さした区画に、新川は目を疑った。そこはソラマチのビルの中ではなく、スカイツリーの直下に位置し、デッキに面した最上のスペースだったのである(現在リゴレットがあるソラマチの2階)。

「いやあ、その瞬間にどれだけ僕に期待してくれているかがよくわかりました。実田君がまた、僕の手をギュッと握ってこう言うんです。『社長、ここに社長の城をつくりましょう』って」

さて、このストーリにはもうひとりの主人公がいる。市場開発支社の荻野元治である。荻野はスカイツリー担当ではなく、HUGEの担当だった。しかしアサヒはHUGEとまったく縁がなかったのは先述の通り。HUGEに白羽の矢が立った瞬間、荻野へのプレッシャーが突如として高まった。実田が言う。

「死んだ気になってHUGEに顔を売れ、店舗を回れと荻野に言いましたね」

実田は、荻野の新人研修の指導役だった。気心の知れた荻野にクロージングまでのシナリオを書かせ、進捗を尋ねる電話をかけまくった。荻野が言う。

「まだ一滴も買ってもらったことがないのに、ワインでもスピリッツでも何でもいいから、とにかくHUGEさんに何か入れろと実田さんが毎日のように……」

10年、実田はHUGEがメキシカンの店「ムーチョ」を丸の内にオープンするという情報をキャッチする。そして荻野は、実田がかけてくる猛烈なプレッシャーに必死で耐えながら、アサヒが扱っているテキーラ「クエルボ」を「ムーチョ」に入れることに成功する。その顛末が涙ぐましい。荻野が言う。

「新川社長がムーチョの開店前にメキシコを視察なさったとき、ヤルダグラスという細長いグラスをえらく気に入られたそうで、あれをなんとか調達できないかとおっしゃったのです」

荻野の動きは早かった。関連企業のネットワークを駆使してヤルダグラスの輸入に道筋をつけた。費用はむろんHUGEが支払ったが、新川に大きくアピールする「お役立ち」だった。新川が言う。

「荻野さんのスピード感がすばらしい。そして、めちゃくちゃに熱い。そりゃ嬉しいですよね。だって、僕らの夢を実現してくれるんですから」

新川がスカイツリーへの出店を決断し、ビールをアサヒにすると確約するまでには、これ以外にも無数のエピソードがある。荻野によれば、ヤルダグラスの件など「小さなジャブ」のひとつにすぎない。

そして迎えた5月22日。東京スカイツリー、オープンの日である。

「初日にみんなで一緒に飲んだビールはうまかったねぇ。実田君なんて、子供みたいに目をウルウルさせてね」(新川)

「そのために仕事をしてきたんですもん。新川さんと抱擁しましたね」(実田)

アサヒは実田らの奮闘で新川の「リゴレット」をはじめ、スカイツリーの飲食店の実に7割の取り扱いを押さえることに成功した。その波及効果は絶大なものがあると実田は言う。だからこそ、

そこまでやるのか!

(文中敬称略)

※すべて雑誌掲載当時

(ノンフィクション・ライター 山田清機=文 的野弘路=写真)