悠仁さま「宮中晩餐会デビュー」でも注目…最上級の「国賓」が宿泊する「迎賓館」に米国大統領だけが“絶対に宿泊しない”理由とは
秋篠宮家の長男・悠仁さまが5月27日、宮中晩餐会デビューを果たした。フィリピンのマルコス・ジュニア大統領夫妻を歓迎したものだが、改めて国賓の来日歓迎行事に注目が集まった。国賓とは、国が最上級のおもてなしで迎える海外の国家元首ら特別な「賓客」、つまり「お客さま」のことだ。この国賓が宿泊するのが、東京・元赤坂の赤坂御用地と隣接する迎賓館。正式名は迎賓館赤坂離宮で、内閣府が管理する国の施設だが、元々は大正天皇のために建設された皇室施設だったもの。この機会に迎賓館と国賓との関係を紐解いてみた。
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米大統領でも国賓ではない時がある
まず賓客にはランクがあり、上から国賓、公賓、公式実務訪問賓客、実務訪問賓客、外務省賓客の5つに分類される。大統領や国王が来日しても、かならず国賓になるわけではなく、来日の目的や意味付けによってランクは異なる。そのため、トランプ米大統領でも国賓は2019年のみで、17年と25年は公式実務訪問賓客の扱いとなっている。

国賓の対象は大統領や国王、国家主席などの「国家元首」であって、「行政の長」である首相は、国賓として扱われることはなく、最上級でも公賓となる。例えばG7サミット(主要7カ国首脳会議)の出席者では、トランプ大統領が初参加した2017年にはドイツから女傑のメルケル首相が参加していたが、実はドイツには日本ではほとんど馴染みのない大統領がいることから、メルケル氏が来日しても国賓とはなったことがない。
またカナダからの参加も毎回、首相だが、実はカナダはイギリス連邦を構成する国のため、国家元首はイギリス国王。やはりG7サミットに参加する首脳であっても、あくまでも首相のため、国賓として処遇されることはないのだ。国賓としての招待は、年間平均で1人。国際儀礼(プロトコール)では原則、夫妻で1組となっており、予算措置の上では、単年度で2組程度招くことができるよう、余裕をもって事前に予算が組まれている。
コロナ禍のためブランクは空いたものの、コロナ後は今回、来日したフィリピンのマルコス・ジュニア大統領は迎賓館に宿泊。一方で2025年3月に来日したブラジルのルラ大統領は帝国ホテルに泊まった。
新型コロナウイルスが日本で初めて確認された20年の春に来日が予定されていた中国の習近平国家主席は、感染拡大防止のためキャンセルとなったが、10年から19年までの10年間に国賓として来日した国家元首は10人。このうち6人は迎賓館に宿泊している。
ところで14年のオバマ大統領はホテルオークラ、19年のトランプ大統領はパレスホテルに泊まったように、そもそも米国大統領は迎賓館に宿泊しない。警察庁OBによると、
「アメリカ大使館が大前提とするのは、まずシークレットサービスが完全に警備を仕切ることができる民間施設であることです。滞在中も肌身離さず『核のフットボール』を所持しているため、通信環境を完全にコントロールする必要もあるからです」
核のボタンは迎賓館に置けない?
「核のフットボール」とは、いわゆる「核ボタン」のこと。核爆弾を発射するためのボタンだ。かつて核戦争のコードネームが「ドロップキック」だったことからフットボールの通称で呼ばれるが、実際にはボタンではなく、米大統領は「ビスケット」と称される核兵器の発射コードを記したカードをボタンの代わりに所持。米軍の将校が「フットボール」と通称されるブリーフケースを持っており、その中に核攻撃を発動するための装置が収められているとされる。
前出の警察庁OBは「こうしたセキュリティの問題から、米国大統領は皇居にも駐日大使公邸にも近いオークラが定宿なのです。トランプ氏が19年5月に来日した際は、オークラが15年から19年の9月までリニューアル工事をしていたため、代替施設として皇居脇のパレスホテルが選ばれたわけです」と解説する。
スペイン国王とコロナ後のブラジル大統領は、過去の来日で何度か泊まっていたため、希望に基づき、ともに帝国ホテルを選択した。昨年5月に来日したオランダ国王がホテルオークラを選択したのも、オランダ側の希望だった。ホテルオークラは米大統領の受け入れ実績に基づく安心感に加え、首都アムステルダムにホテルオークラ・アムステルダムを展開している関係で王室と良好な関係にあるため、選ばれたという。
迎賓館赤坂離宮は、1909(明治42)年に皇太子時代の大正天皇のために建設された東宮御所で、紀州徳川家の江戸中屋敷のあった場所に造成。明治期の本格的な近代洋風建築技術の粋を集めた宮殿建築物だ。
第2次世界大戦からの復興を経て、日本が外交の舞台に本格復帰すると、外国から賓客を迎えるための国の施設へと大規模リニューアルが行われ、1974(昭和49)年に迎賓館へと衣替えが完了し、現在に至っている。ちなみに東宮は皇太子の別称である。
老朽化から2009(平成21)年に大規模改修が施され、文化財として保護するため国宝に指定された。明治維新後の「皇太子邸」つまり東宮御所は赤坂離宮が初代だ。大正天皇の即位後は、旧熊本藩主細川家の江戸中屋敷跡地にあった東京・高輪の高輪御殿が皇太子時代の昭和天皇のために1914(大正3)年、東宮御所に改められ、関東大震災のあった1923(同13)年まで使用された。
1959(昭和34)年、皇太子時代の上皇陛下が、美智子上皇后と結婚されたことを受け、その翌年、赤坂御用地に東宮御所が新設された。上皇陛下は即位後、皇居に新たな御所が完成したため1993(平成5)年に転居。同年、雅子皇后と結婚された皇太子時代の天皇陛下は、臨時に東宮仮御所としていた赤坂御用地の赤坂東邸から近接の東宮御所に転居されている。
いわゆる東宮御所は現在存在せず
令和へのお代替わりに伴い、秋篠宮さまは皇太子を名乗らず皇嗣となられたことで皇太子は不在となり、現在は「東宮御所」と呼ばれる施設は存在せず、この建物には上皇上皇后両陛下が戻られて仙洞御所となっている。上皇陛下が即位した際、皇居内に新たな御所が建設されたのは、昭和天皇が住んでいた御所には香淳皇后が崩御する2000(平成12)年まで大宮仙洞御所として住んでいたためだ。ただし、この建物は老朽化が激しいことから「歴史的建造物として保存すべきものと考えているが、住居としての再生は困難」(宮内庁関係者)とみられている。
また、高輪にあった昭和天皇の東宮御所は1930(昭和5)年から、高松宮妃喜久子さまが亡くなった2004(平成16)年まで高松宮邸として使われており、その後、高輪皇族邸として宮内庁が無人のまま管理。上皇陛下の生前退位に伴って、旧東宮御所を仙洞御所に再整備するため、工事が行われていた2020(令和2)年から22年の間は、仙洞仮御所として上皇上皇后両陛下が住まれた。
三笠宮寛仁親王妃信子さまが長年お住まいだった千鳥ヶ淵近くの宮内庁分庁舎がバリアフリー化の工事に入ったため、2025年からは、この高輪皇族邸を信子さまが仮住まいとして使われている。余談だが、宮内庁分庁舎は旧宮内庁長官公邸が転用されたものだ。
天皇皇后両陛下は5月29日、マルコス・ジュニア比大統領夫妻を御所に招き、別れの挨拶をされた。従来は両陛下が宿泊先を訪ねるのが慣例だったが、より親密に話されるための措置である。
迎賓館の“泊まり心地”はどうだったのか、陛下はお聞きになっただろうか?
朝霞保人(あさか・やすひと)
皇室ジャーナリスト。紙媒体やWEBでロイヤルファミリーの記事などを執筆する。
デイリー新潮編集部
