田中絹代、司葉子、石原裕次郎…昭和の懐かしき「東京・銀座」を記録した名作映画5選
【新潮社の秘蔵写真】ポーズがすでに粋! 銀座の映画に出演した俳優たち
歴史ある日本一の繁華街
「銀座」とはもともと、江戸時代に置かれた銀貨の鋳造所を指す言葉だった。いまでは日本一の繁華街の地名・東京都中央区銀座だが、当時の銀座役所があった場所には「銀座発祥の地」の石碑が残る。繁華街としての発展は明治以降。それから現在まで、銀座のショーウインドーに映っていたのは、そぞろ歩く人々と日本の発展だった。そんな歴史ある街で生まれたいくつもの物語、映画解説者の稲森浩介氏が「昭和の銀座」を感じられる名作5本を紹介する。
***
水の都、昭和20年代の銀座
〇「銀座化粧」(1951年)
銀座はかつて水の都だった。北に京橋川、南に汐留川。そして東に築地川、西に外堀川と四方を川に囲まれていた。

西銀座のバー「ベラミイ」の女給をしている雪子(田中絹代)は、新富町の長唄師匠の家の2階を借りて幼い息子・春雄と暮らしている。
春雄が築地川(楓川・築地川連絡運河)にかかる新富橋から下をのぞいている。正面には新金橋が見え、お台場の先まで網打ちに行く船が行く。現在は首都高速道路となっている築地川は、昭和35(1960)年から埋め立てが始まる。今では想像もできない、開けたのどかな風景だ。
ある日、雪子は昔の同僚・静江(花井蘭子)から、知り合いの息子・石川(堀雄二)の東京案内を頼まれる。それでは、雪子の案内で、昭和26(1951)年の銀座を巡ってみよう。
三十間掘川跡を歩く
2人は木挽町の旅館を出て三十間掘川跡を歩く。雪子は「埋め立て前は、夜は両側のバーや喫茶店の灯が水にうつってきれい」だったと説明する。三十間掘川は、江戸時代に作られた南北を貫く船入堀だったが、東京空襲の瓦礫処理のために埋め立てられてしまう。
石川が「これが橋の名残ですね」という三原橋の下には、翌年商店街ができる。映画ファンならご存知だろう、平成25(2013)年まで映画館「シネパトス」があったところだ。
銀座四丁目に出る。「ついこの間まで両側に露店が出ていたんですけれども」と雪子。日が暮れるとバーのネオンが灯った。
やがて雪子は素朴な石川に惹かれ、心の中で一緒になることを考える。しかし、妹のように可愛がっている京子(香川京子)に石川を一時預けると、2人は意気投合してたちまち婚約してしまった。
そのことを雪子が静江から聞くのが、築地橋から入舟橋までの道だ。築地橋にはいつものように都電が通過していて、川沿いには貸ボート・釣り船の看板が見える。雪子はいっとき抱いた希望を吹っ切るように、今日も店に通うために橋を渡って行く。
昭和30年代の女優たちと銀座の街
〇「銀座二十四帖」(1955年)
日活が自社制作を再開した翌年、銀座ロケを中心に撮影されたのが本作だ。
花屋のコニイ(三橋達也)は戦災孤児の面倒をみる、界隈では知られた男だった。その店を訪れた和歌子(月岡夢路)が少女時代にモデルになった絵をめぐり、犯罪組織もからんでひと騒動となる。
花屋の店員役は浅丘ルリ子で、デビュー直後のまだ15歳だ。7年後には銀座で石原裕次郎と恋人役を演じる。
その浅丘が和歌子に注文の花を届ける。コニイの店は、旧・三十間堀川と交詢社通りの角あたりだろうか。そこから築地川にかかる采女橋を渡れば、和歌子の実家の料亭だ。
和歌子の姪・雪乃(北原三枝)が、大阪から上京してきた。この頃、八頭身美人という言葉が流行ったが、北原のスタイルの良さに驚く。雪乃は、今は「GINZA SIX」になっている松坂屋店内のショーに出演する。北原が裕次郎と「狂った果実」で初共演するのは翌年だ。
その他にも夜のすずらん通り、万年橋を通る都電、建設中の有楽町そごう、築地警察署など多くの銀座風景が映されていてとても楽しい。
クライマックスは、コニイが銀座の黒幕を追い詰める場面だ。ビルの屋上に出ると、道の向こうに服部時計店、少し離れた所には森永キャラメルの地球儀、そしてすぐ横に鳩居堂の屋上にあったナショナルテレビのネオンが見える。
このビルは旧・三愛ビルの隣あたりだろうと思っていたら、美術監督・中村公彦のインタビューでセットと明かされていた(「東京人」2009年11月号)。この高い技術力をぜひ見てほしい。
昭和の映画は、これはどこで撮ったのだろうと推測する楽しみがあるからやめられない。
銀座映画の決定版
〇「銀座の恋の物語」(1962年)
日活は昭和37(1962)年、調布撮影所に銀座の街のオープンセットを作った。その通称「日活銀座」で、当時のみゆき通りと並木通りを再現している。
石原裕次郎と浅丘ルリ子が腕を組んで並木通りを歩いていたら、見物客が押し寄せて撮影にならなかっただろう。本作は銀座ロケと「日活銀座」での撮影を組み合わせて作られている。
早朝、次郎(石原裕次郎)が人力車を引いて四丁目交差点を曲がり晴海通りに出る。三愛ビルはまだ建設中だ。築地方面へ向かう裕次郎と並走しているような爽快感があるシーンだ。やがて万年橋を渡ると東劇の前を曲がり采女橋方面へ行く。その辺りが次郎の住まいだ。
次郎は画家志望で、音楽家志望の宮本(ジェリー藤尾)と一緒に住んでいる。洋裁店に勤める恋人のチャコ(浅丘ルリ子)もすぐ近くにいる。当時の銀座は地方出身の若者が下宿し、将来を夢見る場所だったのだ。
やがて2人は婚約するが、チャコは突然行方不明になる。チャコを探す次郎は、銀座松屋の店内アナウンスの声がチャコであることに気づく。放送室には交通事故で記憶を失ったチャコがいた。松屋の特徴である半階の踊り場に、放送室が設置されていたのが分かる。
記憶を取り戻したチャコと裕次郎が、数寄屋橋交差点を歩くシーンがある。よく見ると、通行人が驚いて振り返っているのが分かり面白い。ゲリラ撮影だったのだろう。
「日活銀座」は観る人に理想の銀座を感じてもらうために作られたのかもしれない。裕次郎とルリ子が歩く明るく華やかな銀座。ここはそういう夢の街だったのだ。
女性社員たちの憂鬱
〇「その場所に女ありて」(1962年)
昭和30年代の今でいうキャリア・ウーマンたちの物語。
矢田律子(司葉子)は「西銀広告」の営業部員で、今日も有楽町駅で降り出勤する。会社には、男言葉で話し自分のことを「オレ」という祐子(大塚道子)や、同僚に金を融資する久江(原知佐子)たちがいた。
律子は広告主の新製品コンペで、ライバル会社・大通広告の坂井(宝田明)と出会う。2人は一夜を共にする関係になるが、坂井はコンペに勝つためにある策略を仕掛けていた。
大通は電通をモデルにしている。当時の電通本社(現・銀座電通ビル)は今の外堀通りにあり、「電通通り」と呼ばれていた。
律子は仕事ができるが、軋轢も多い。同僚の男性から「女はいいよ、とっておきの武器があるからな」などと言われる。また広告主からお見合いをしつこく勧められたりと、現代と変わらない男中心の世界が描かれる。
ヘビースモーカーでお酒もよく飲む律子。そして当時のサラリーマンの楽しみ、麻雀も大好きだ。鳥取の名家出身の司は麻雀が全くできないので、宝田がつきっきりで教えたという(宝田明『銀幕に愛をこめて ぼくはゴジラの同期生』筑摩書房)。
そんな律子が、社の屋上で祐子に自分の心のうちを話すシーンがある。勤めてから7年、27歳になった。これからどうなるのか。2人が話す屋上の正面には「塚本総業ビル(現・塚本素山ビルディング)とある。左手には森永キャラメルの地球儀があるので、銀座教会の近くだろうか。
ラストは律子と祐子と久江が数寄屋橋方面へ飲みに行くシーンで終わる。その後ろ姿は、荒野を歩くごとく颯爽として見えた。
昭和30年代の銀座を駆け回るサスペンス
〇「セクシー地帯(ライン)」(1961年)
コールガールの犯罪組織に巻き込まれたサラリーマンが、銀座中を駆け抜けるサスペンス映画で全編ロケ撮影だ。
東洋貿易の社員・吉岡(吉田輝雄)は、服部時計店の前でスリにあい、部長から預かった書類を盗まれる。そのせいで吉岡は部長から大阪転勤を命じられ、社内の恋人・玲子(三条魔子)に相談する。
その時2人が会うのが、築地川・万年橋付近のボート乗り場だ。背後には東京松竹劇場や新橋演舞場のネオンが見える。この頃は銀座の真ん中でボートに乗ってデートができたのだ。
実は玲子はコールガールの犯罪組織から派遣されていた。会社と組織は契約していて、部長もその顧客の1人だ。しかし、組織は秘密を暴露しようとする玲子を殺してしまう。吉岡に容疑がかかり、逃亡生活が始まる。
それを助けるのが、スリの女・真弓(三原葉子)だ。三原は当時、新東宝のグラマー女優として人気があった。本作ではユーモラスなスリを好演している。
組織に追われた2人は銀座中を逃亡するが、やがて捕まりビル内に監禁される。何とか脱出して必死に逃げ、行き止まりの扉を開けると前に川が流れている。銀座と新橋の間を流れている汐留川で、川向こうの古城のような洋館は銀座全線座だ。
銀座全線座は、現在の銀座国際ホテルの場所にあった洋画専門の名画座だった。銀座東急と改称し昭和53(1978)年まで営業していたので、覚えている人も多いだろう。
場末の飲み屋街から場外馬券売り場まで、当時の風俗・風景を記録した貴重な映画でもある。
稲森浩介(いなもり・こうすけ)
映画解説者。出版社勤務時代は映画雑誌などを編集
デイリー新潮編集部
