サッカー経験“ほぼゼロ”からW杯副審へ!! 市役所職員との両立で駆け上がった三原純氏「続けているうちにこういうことに」
北中米ワールドカップ担当審判員に選出された三原純副審が13日、都内でメディア対応を行った。大会中に45歳の誕生日を迎える同氏は自身にとって最初で最後のW杯になる可能性も示しながら「今の日本人審判員としてできることを最大限発揮するのはもちろん、そこで得たものを持ち帰って日本の審判員全員が協力して日本サッカーのレベルを上げていき4年後、8年後のW杯に繋げていく役割を果たしたい」と意気込んだ。
三原氏は2013年にJ2で副審デビューして翌年にJ1副審デビューを果たした。17年からは国際副審として活動しており、23年にU-20ワールドカップを担当すると昨年は北中米W杯アジアプレーオフのイラク対UAEも担当。25年Jリーグ最優秀副審賞にも輝き、荒木友輔主審とともに日本人副審としては2大会ぶりにW杯担当審判員に選出された。
もっとも三原氏は「サッカーのプレーヤーとしての経験はありません。ほぼゼロです」という異質のキャリアの持ち主。小学校と中学校では野球をプレーしていたという。高校では部活に入っていなかったが、ちょうど日本代表が初出場したフランスW杯の開催時期と重なってサッカーと本格的に出会うことになった。
「部活もなくて時間があったため、フランス大会の試合は日本代表の試合だけではなく、たくさんテレビで見た。日本も初出場ということで日本全体がサッカーで非常に熱気が高まっている時期でもあったので、すごくおもしろいスポーツだなと。世界で普及しているのは何か特別な理由があるのかなというふうに野球少年の私は思って、そこからサッカーの試合をたくさん見るようになりました」
その後18歳や19歳ごろから遊びでボールを蹴ってみたものの「そこまで上手くなることもなく、蹴っては全然違う方向に飛んでストレスが溜まる一方だった」と冗談まじりに振り返る。それでもサッカーに関わりたい想いを持っていたといい、大学のサッカーサークルで練習試合や紅白戦の審判を決めるなかで「それだったらできそう」と審判を担当。本屋で競技規則を買うなどしてルールを学びながら審判を務めることにやりがいを感じると、「解釈が分かれる事象は試合の中でたくさん起こって、その都度いろいろな見方がある。どっちが正しい、最適解だろうというのを追求しながら続けているうちにこういうことになってしまった」とアジアトップクラスの副審まで上り詰めた。
現在は2003年から勤務している島根県松江市スポーツ振興課の仕事と両立しながら、Jリーグや国際大会で副審を担当。市役所では通常の職員と同様に、月曜日から金曜日の週5日、午前8時30分から午後5時15分まで勤務。マラソン大会などの運営で街を盛り上げることや、スポーツを通じて松江市への来訪者を増やす地域活性化などに汗を流している。「国内で活動する分には両立もなんとかやっていけるけれど、海外派遣が多くなってくるとどうしても平日も出かけることが多くなる。本当に職場の理解があって活動を続けられている」と同僚や上司への感謝も口にした。
そうした日々を経て臨むサッカー最大の祭典。報道陣から島根県民へのメッセージを訊かれた三原氏は「私が選ばれたニュースをきっかけにサッカーやスポーツ、ひいてはそれを支える審判員とかスタッフといった役割、スポーツ全体を支えている皆さんがいるということに思いを馳せてもらうようなきっかけになれば。その中からスポーツをやってみたいなとか、審判、ボランティアをやってみたいなという人が1人でも2人でも出てきてくれればありがたい。それが私が仕事を続けながら審判員として活動してきた成果の一つと言えるようになる」と力を込め、スポーツ振興課職員の顔も覗かせた。
ともに大会に臨む荒木主審はJFAレフェリーカレッジ7期生の同期。三原氏が5歳年上だが「気心知れた感じでやってきている」と信頼する間柄で、「なるべくリラックスした状態で、いつ割り当てが来ても万全の準備で臨めるように一緒にやっていきたい」と目を細めた。
副審として試合の割り当てを受けることになれば、日本人審判員としては3大会ぶりの快挙になる。三原氏は「年齢的に私は次の4年後というのはほぼチャンスはないだろうというふうに今のところは思っている。荒木がレフェリーをして、それを支える副審として一緒にピッチに立つことを目標としてまずは取り組んでいきたい」と意気込み、「これからも(日本人審判員が)信頼してアポイントを受け続けることができるように、これまで先輩方が取り組んでこられたことをしっかりと次の世代に引き継いでいくことを意識して取り組んでいきたい」と決意した。
(取材・文 加藤直岐)
もっとも三原氏は「サッカーのプレーヤーとしての経験はありません。ほぼゼロです」という異質のキャリアの持ち主。小学校と中学校では野球をプレーしていたという。高校では部活に入っていなかったが、ちょうど日本代表が初出場したフランスW杯の開催時期と重なってサッカーと本格的に出会うことになった。
「部活もなくて時間があったため、フランス大会の試合は日本代表の試合だけではなく、たくさんテレビで見た。日本も初出場ということで日本全体がサッカーで非常に熱気が高まっている時期でもあったので、すごくおもしろいスポーツだなと。世界で普及しているのは何か特別な理由があるのかなというふうに野球少年の私は思って、そこからサッカーの試合をたくさん見るようになりました」
その後18歳や19歳ごろから遊びでボールを蹴ってみたものの「そこまで上手くなることもなく、蹴っては全然違う方向に飛んでストレスが溜まる一方だった」と冗談まじりに振り返る。それでもサッカーに関わりたい想いを持っていたといい、大学のサッカーサークルで練習試合や紅白戦の審判を決めるなかで「それだったらできそう」と審判を担当。本屋で競技規則を買うなどしてルールを学びながら審判を務めることにやりがいを感じると、「解釈が分かれる事象は試合の中でたくさん起こって、その都度いろいろな見方がある。どっちが正しい、最適解だろうというのを追求しながら続けているうちにこういうことになってしまった」とアジアトップクラスの副審まで上り詰めた。
現在は2003年から勤務している島根県松江市スポーツ振興課の仕事と両立しながら、Jリーグや国際大会で副審を担当。市役所では通常の職員と同様に、月曜日から金曜日の週5日、午前8時30分から午後5時15分まで勤務。マラソン大会などの運営で街を盛り上げることや、スポーツを通じて松江市への来訪者を増やす地域活性化などに汗を流している。「国内で活動する分には両立もなんとかやっていけるけれど、海外派遣が多くなってくるとどうしても平日も出かけることが多くなる。本当に職場の理解があって活動を続けられている」と同僚や上司への感謝も口にした。
そうした日々を経て臨むサッカー最大の祭典。報道陣から島根県民へのメッセージを訊かれた三原氏は「私が選ばれたニュースをきっかけにサッカーやスポーツ、ひいてはそれを支える審判員とかスタッフといった役割、スポーツ全体を支えている皆さんがいるということに思いを馳せてもらうようなきっかけになれば。その中からスポーツをやってみたいなとか、審判、ボランティアをやってみたいなという人が1人でも2人でも出てきてくれればありがたい。それが私が仕事を続けながら審判員として活動してきた成果の一つと言えるようになる」と力を込め、スポーツ振興課職員の顔も覗かせた。
ともに大会に臨む荒木主審はJFAレフェリーカレッジ7期生の同期。三原氏が5歳年上だが「気心知れた感じでやってきている」と信頼する間柄で、「なるべくリラックスした状態で、いつ割り当てが来ても万全の準備で臨めるように一緒にやっていきたい」と目を細めた。
副審として試合の割り当てを受けることになれば、日本人審判員としては3大会ぶりの快挙になる。三原氏は「年齢的に私は次の4年後というのはほぼチャンスはないだろうというふうに今のところは思っている。荒木がレフェリーをして、それを支える副審として一緒にピッチに立つことを目標としてまずは取り組んでいきたい」と意気込み、「これからも(日本人審判員が)信頼してアポイントを受け続けることができるように、これまで先輩方が取り組んでこられたことをしっかりと次の世代に引き継いでいくことを意識して取り組んでいきたい」と決意した。
(取材・文 加藤直岐)
