一連の段取りは舞台上でやるので、当然母やスタッフさんもついていなかったわけで……本当にどうやっていたのかしらん。

◆森光子さんの楽屋に遊びに行く!? 後々謝って回る、天衣無縫子役の誕生

 そして、同年9月には芸術座『放浪記』に出演。今では考えられない、9月から12月までのロングラン公演で、子役が4人、クアトロキャストで出演しておりました。

 姉妹で合格し、同じ役をやっていたので、母はなんと4か月間、芸術座に詰めっぱなし! 苦労をかけました。

 しかし、小学1年生なんて人間というより、赤ちゃんポメラニアンみたいなもんです。よくもまぁ3時間の舞台ですとか、外国語のオペラなんかを耐えてじっとしていられたもんだなぁと思います。

 ひとえに姉への負けん気、母のサポートのおかげです。父は? と思いますが、先日実家に帰った際に、当時の勤務先・ラジオたんぱ(現ラジオNikkei)から日比谷に移動して、出来る限り舞台を見てくれていたことが判明。初めて知りました。

 何より、演者さん、スタッフの皆さんの優しさのおかげだったと思います。

◆多めに大目に見てもらった日々

 今でも思い出して「ギャ――ッ!」となるのが、森光子さんの楽屋にしょっちゅう、お邪魔していたという……。今の私がそんな子役見かけたら首根っこつかんで楽屋に戻して、親の管理責任を問うと思います。

 ああ、なんという怖いもの知らずの伸びやかさ。天衣無縫も良いところでした。本当にすみません。わたくし、後に共演した方々に、大人になってから謝って回る羽目になるのですが、当時そんなこと知る由もない。

 大女優・森光子さんは、海よりも広いお心でお許しくださり、スタッフさん達もガキンチョ丸出しの私を温かく見守ってくださり、本当に感謝でいっぱいです。

 当時の私が皆様の支えにより何とかできていた事は疑いようもありません。と言っても今もまったくもって変わっておらず、情けない限りです。

◆あの頃の経験と、大人になった今と

 のびのび自由に過ごさせていただいていたことは大前提として、自分なりに、一生懸命頑張っていたとも思います。空回りながら気を遣っていたし、何より、お芝居が大好きだった。

 芸術座という、今は亡き歴史ある舞台に立てたこと、歴史に残る名優の皆さんとご一緒できたこと、非常に幸運な仕事の始まりだったと思います。

 林芙美子の名前を小学校1年生で知れたこともラッキーでした。当時林芙美子の真似っこをして、俳句だか川柳だかを作って、劇団の先生に披露したことがあります……。以降、20年ほどいじられることになります。クリエイティビティ溢れていた子だこと。

 オペラの時も、イタリアから来日していた演出家さんに、「ワットアニマルドゥーユーライク?」と電車で聞いていたらしく……。屈託のなさがとんでもない。

 英語に対する恐怖心のなさや海外への親しみはこの時に培われたような気がします。

 私ってなんでも糧にしながら生きていくタイプなのですが、このころから変わっていないですね。もうちょっと成長したい、アラフォー。

 久しぶりに思い出しましたけれども、重ね重ね、稽古から本番までついていてくれた、今の私とほぼ同じ年の母、家族、友人や皆様のあたたかな眼差しに感謝です。

 よくやっていたなあ……さぁて、生まれ変わってまたやれるかと聞かれたら……多分、無理です★

<文/宇野なおみ>

【宇野なおみ】
ライター・エッセイスト。TOEIC930点を活かして通訳・翻訳も手掛ける。元子役で、『渡る世間は鬼ばかり』『ホーホケキョ となりの山田くん』などに出演。趣味は漫画含む読書、茶道と歌舞伎鑑賞。よく書き、よく喋る。YouTube「なおみのーと」/Instagram(naomi_1826)/X(@Naomi_Uno)をゆるゆる運営中