「女性の大切なものを犠牲にし…」元TBSアナがトイレの生理用品を見て号泣。働き詰めで「未来を見失った日」
「みんなに当たり前にあるものが自分にはない。しかもそれをラッキーとすら感じている」。TBSのアナウンサーとして『王様のブランチ』や『チューボーですよ!』など数々の人気番組を担当した木村郁美さん。忙しい時期にはレギュラー番組を9本抱え、華やかな世界で大活躍をされていました。しかし、その舞台裏で、木村さんが抱えていた苦悩は、あまりにも大きなものでした。
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誰かが使った枕を裏返して、仮眠をする日々
── 木村さんは1996年にTBSに入社されていますが、当時はいわゆる「女子アナブーム」で、女性アナウンサーといえば華やかなイメージがありました。
木村さん:そう思いますよね。私もそう思っていたのですが、現実は全然、違いました(笑)。入社後は朝の生放送を担当していたので、夜中の1時には家を出て会社に向かう毎日です。新聞や新しいニュースが届くまでの空いた時間で、急いでメイクをして、打ち合わせをしてから生放送が始まります。
収録後は反省会などを経てお昼前に仕事が終わり、そこからしばらく時間があくのですが、夕方からは別のレギュラー番組の収録が何本もあるんです。夜11時まで収録が続くこともありました。
── 働き詰めだったんですね。
木村さん:当時は「働き方」という言葉や概念もなかったですし、私自身も「やれるだけやろう!」というスタンスでした。だから、朝の番組が終わっても家に帰る時間がもったいないので、夕方の収録時間まで会社の仮眠室で寝るんです。
でも、朝が早いので仮眠室にはまだ清掃が入っていない。昨夜、誰かが使っていた形跡のある布団に入って、「枕を裏返せば大丈夫」と自分に言い聞かせて寝ていました。それが当たり前の生活でした。
── 華やかなイメージとはかけ離れていますね。
木村さん:そうなんです。朝の番組が終わって自宅に帰ることもあるのですが、電車通勤なので、放送が終わって駅に向かうと、会社の出入り口や駅の改札で隠れて待っている人がいるんです。生放送なので終わりの時間を読んで、反省会の時間まで全部計算して待っている。数人いることもありますし、同じ人が何度も来ることもありました。わかるんですよ、ずっとついてきてるって。
どんなに逃げてもついてくるので、駅のホームで「あなたがいなくなるまで、私は電車に乗りません!」と叫んで、人ごみの中で振りきったこともあります。それでも自宅までついてきてインターホンを鳴らされたり、卑猥な言葉を言われたり。不快な写真が入った郵便物を送り付けられることもありました。怖い思いをたくさんしましたね。
── 怖い目にも遭っていたんですね。
木村さん:会社の出入り口までは警備員さんが守ってくださるんですけど、そこから先は無理ですよね。アナウンサーといっても会社員なのでマネージャーさんがいるわけでもありません。会社を出たら、自分で対応するしかないんです。
自宅近くの交番に行って事情を説明するのが精一杯でした。私だけ特別に送迎してもらうというわけにもいかないですしね。当時は、そういうものだと思うしかなかったです。華やかな食事会どころか、友達と遊びに行く時間すらありません。時折、知らない人に追いかけられながら帰る。それが日常でした。
とても大変でしたが、それ以上に伝えるやりがいが大きかったし、何より楽しかったんです。だから、仕事に充実感を感じながら、気力で毎日を乗りきっていました。
生理が来ないことを「ラッキー」とすら思っていた
── 当時は過酷な世界だったんですね。
木村さん:そうですね。やはりそんな働き方をしていたので、ずっと体調はよくなかったです。収録が続いて、膀胱炎を何度も繰り返したり、帯状疱疹になったり、謎の蕁麻疹が出たり…。そうこうしているうちに、入社から4年ほど経った頃に生理が来なくなったんです。ストレスなども積み重なっていたように思います。
でもそのときは、「面倒くさくない、ラッキー」くらいの感覚でした。忙しい時期に生理が重なると大変じゃないですか。そもそも忙しすぎて、生理が来ていないことすら忘れていたし、自分の体調と向き合う余裕がまったくなくて。体調不良も見過ごしてしまう状況でした。
── どんなストレスが重なっていたんですか。
木村さん:やりがいがあって大好きな仕事だったからこそ、プレッシャーが大きかったんです。ニュース番組はたくさんのスタッフが関わって作り上げます。その最後に私ひとりが画面に出て視聴者に情報をお届けする。だから、私がミスをすると、チームみんなのそれまでの仕事を台無しにしてしまうわけです。そういう緊張感が常にありました。
また、視聴率が上がるのは大きな喜びですが、下がったときの心の負担も大きい。スタッフが視聴率に一喜一憂するのを見るたびに、ここで失敗はできないというプレッシャーが積み重なっていきました。
当時は「無理です」「できません」がどうしても言えませんでした。どんなに大変な状況でも、「自分が頑張ればどうにかなる」という気持ちが強くて、断るという選択肢が自分の中になくて。やりたいという気持ちと、声をかけてもらえたからには応えなければという気持ちが、いつも勝ってしまうんです。そんな状況がずっと続いていました。
── 体調はその後、どうなったのですか?
木村さん:生理は8か月こないままでした。でもある日、会社のトイレに入ったとき、生理用品入れがふと目に入ったんです。その瞬間、涙が止まらなくなってしまって。「みんなに当たり前にあるものが自分にはない。しかもそれをラッキーとすら感じている」という事実が一気に押し寄せてきました。女性として、とても大切なものを犠牲にしていたということに、初めてちゃんと気づいたんです。それで、ようやく病院に行きました。
先生には「どうしてこんなに長く放っておいたの」と言われました。ピルを処方してもらい、生理がくるようになりました。誰にも相談できなかったし、そんな余裕もなかった。トイレでの涙がなかったら、もっと長く放っておいたと思います。
自分の未来がまったく見えないほど弱り果てた
── 働き方は、どうなったのでしょうか。
木村さん:体調は気にしつつも、やっぱり仕事は楽しくて30歳を過ぎるまで気力で走りきりました。でも、朝の番組をもう一度担当してほしいと言われたとき、漫画のように全身がガタガタと震えて。嬉しくてありがたい反面、「私はいつまでこの働き方を続けるんだろう」「その先に何があるんだろう」って、自分の未来がまったく見えなくなったんです。
気力で乗りきっていたものの、心も体も弱り果てていたのだと思います。「私が頑張ればなんとかなる」と、SOSを誰にも出せませんでした。今、思えばもっとまわりの人に頼ってもよかったですし、自分の気持ちを素直に伝えることが必要だったと思います。
現実と向き合う余裕も、未来を描く道筋もない。そんなときに「今すぐ結婚しよう」と言ってくる人が現れて…。その言葉がとても大きな希望に見えました。
取材・文:大夏えい 写真:木村郁美

