歴史・文化・奇妙な場所・知られざる人物などを紹介する「好奇心をくすぐる話題」を扱う英語サイトのAmusing Planetにて、創設者兼編集者であるカウシク・パトワリ氏が粗末な1ドル偽札を作り続けた男「エメリッヒ・ユットナー」についての記事を投稿しています。

Emerich Juettner: The One Dollar Counterfeiter | Amusing Planet

https://www.amusingplanet.com/2026/05/emerich-juettner-one-dollar.html



偽札作りというと、精巧な印刷技術を持つ犯罪組織や、銀行員さえだます名人を想像しがちなもの。しかし、エメリッヒ・ユットナーはまったく違いました。ニューヨークの古びたアパートに1人で暮らす年老いた移民で、安物の手動印刷機を使い、1ドル札の偽札を細々と作っていたとのこと。しかも、その出来はひどいものでした。

それでもユットナーは、1938年ごろから1948年に逮捕されるまで、約10年にわたって偽札作りを続けました。逮捕されたころには、彼はちょっとした有名人になっており、後にシークレットサービスの事件番号「880」にちなんだ映画「Mister 880」で広く知られることになります。

ユットナーは1876年、オーストリア=ハンガリー帝国に生まれ、のちにアメリカへ移住しました。若いころは額縁に金箔(きんぱく)などを施す職人として働き、結婚後はニューヨークのアッパー・イースト・サイドで建物の管理人をしていました。住み込みの仕事だったため、家族とともに建物の地下室で家賃を払わずに暮らすことができました。

しかし1937年に妻が亡くなると、60歳のユットナーは1人になりました。その後は中古の手押し車を引いて街を歩き、捨てられた品物を拾って売る廃品回収で生活します。とはいえ収入は不安定で、食べるにも困るような状態でした。

そこでユットナーは、若いころに身につけた金属彫刻の技術と、少しかじっていた写真の知識を組み合わせ、1ドル札の偽造を始めました。本物の1ドル札を撮影し、その画像を亜鉛版に移し、細部を手で彫り足すという方法です。



ただし、できあがった偽札はかなり粗雑でした。紙もインクも本物とは違い、印刷はぼやけ、線は甘く、ときにはつづりの間違いまでありました。銀行員や店員がじっくり見れば、すぐ偽物だと分かるような代物です。

それでもユットナーには勝算がありました。

それは「ほとんどの人は1ドル札を丁寧に確認しない」というもの。20ドル札なら光に透かしたり手触りを確かめたりする人もいますが、忙しい店で受け取った使い古しの1ドル札を、わざわざ調べる人はほとんどいません。ユットナーはその無関心を利用しました。

彼は偽札を大量にばらまくこともしませんでした。食堂、バー、屋台、小さな店などで、1枚ずつ慎重に使ったのです。大金を得ようとせず、ただ生活費を少し補う程度だったため、捜査は難航したとのこと。

シークレットサービスは、ニューヨークで粗悪な1ドル偽札が出回っていることを把握し、事件番号880の捜査を開始しました。警告ポスターを大量に配り、偽札を使った人々を追跡して聞き込みも行いましたが、ユットナーは仲間を作らず、大きな取引もせず、少しずつ偽札を使っていたため、犯人はなかなか見つかりませんでした。

転機は1948年1月でした。アッパー・ウエスト・サイドの空き地で遊んでいた少年たちが、雪の中から亜鉛版と「変な1ドル札」を見つけたのです。後に、その近くのアパートで火事があり、消防士が部屋いっぱいのがらくたを窓から外へ投げ出していたことが分かりました。そこに混じっていた偽造道具が、少年たちに発見されたというわけです。

逮捕されたユットナーは、取り調べであっさり犯行を認めました。9年から10年ほど偽札を作っていたこと、そして「同じ相手に2枚以上渡したことはないので、誰も1ドルより多くは損していない」と語ったとされています。



通常なら偽札犯に同情は集まりません。しかし、ユットナーは暴力的な犯罪者でも、大金を狙う詐欺師でもありませんでした。貧しい老人が、粗末な1ドル札を1枚ずつ作って生き延びていたという話は、世間の関心と同情を集めました。

裁判でユットナーは罪を認め、懲役1年と1日の判決を受けましたが、4カ月で仮釈放されました。罰金はわずか1ドルでした。判決が軽かったのは、彼に強欲さがほとんどなかったためだと考えられています。

釈放後、ユットナーの物語はさらに広まり、1950年には映画「Mister 880」として公開されました。皮肉なことに、ユットナーは偽札作りよりも、この映画化によって多くの金を得ることになります。

その後、ユットナーは普通の生活に戻り、晩年をロングアイランド郊外で過ごしました。1955年、79歳で亡くなった彼は、粗末すぎる偽札を作りながら10年も捕まらなかった男として、人々の記憶に残ることになりました。