小6で死を決意→高校中退&ホスト暮らし→20歳で大麻所持で逮捕…集団行動が決定的に苦手だった男性(27)を孤立させた“母親の蹴り”と“学校の絶望”
「薬をやめたい」「今から死にます」
【写真】1年後に逮捕される19歳の頃、イケメンすぎるキマノーさん。小学生の時のかわいい姿や裁判に出廷した坊主頭、薬物使用中に書いた判読が難しいノートも…
10代から60代まで、日本中の薬物依存に悩む人から相談メッセージが寄せられるXアカウント「キマってるときのノート」。
運営者のキマノーさん(27)は、小さい頃から母親に暴力を振るわれ、小学校になじめず“自殺未遂”を経験。17歳で銃刀法違反で逮捕され、高校を中退し、20歳のときには大麻所持でふたたび逮捕されている。
医師でもカウンセラーでもない、さらに逮捕歴さえある彼になぜ相談が殺到するのか。現在のキマノーさんを作った幼少期の体験、母との険悪な関係や、学校からのドロップアウトについて話を聞いた。

キマノーさん ©文藝春秋 撮影・橋本篤
「母が明らかに僕だけを嫌っているなというのは感じていました」
――どんな家庭で育ったんですか?
キマってるときのノート(以下、キマノー) 東京郊外の生まれで、父は不動産関係の会社員でした。母は有名な大学を出て大企業に就職して、といういわゆるエリートコースを邁進していたんですけど途中でつまずいて、父と結婚してからは専業主婦でした。
2歳上の兄、僕、2歳下の弟という3人兄弟でしたが、母が明らかに僕だけを嫌っているなというのは小さい頃から感じていました。
――なぜでしょう?
キマノー 他の兄弟に比べて気質が父側に似ていて、父方の祖父母に懐くのも気に食わなかったみたいです。あとは周りの子と同じことができない、1カ所にじっとしていられない子どもだったからだと思います。今なら発達障害と言われるのかもしれませんが、当時はよく知られてなかったし病院で診てもらったこともありません。母は口では「子どもは自由にのびのびと育ってほしい」と言いながら実際は逆で、規律を叩きこむために習い事を次々とやらされました。そろばん、スイミング、合気道、あと一番イヤだったのはボーイスカウト。
――ボーイスカウトは典型的な集団行動系ですよね。
キマノー それが本当にイヤでしたね。小さい頃から大勢で遊ぶのが苦手で、公園でみんながドロケイとか、花いちもんめをしてる時に、僕は隅のほうで泥団子の表面をひたすら綺麗に磨き上げていたタイプです。ボーイスカウトでも当然なじめず、林間学校の最中にみんなが広場に集合したセレモニーから1人で全力でダッシュして林へ逃げ込んだこともありました。先生たちに追いかけられてあっけなく捕まり、もちろんあとで母に激怒されました。
――ひとり遊びが好きな子だったんですか?
キマノー 図鑑を読んだりするのは好きだったんですけど、それも気に入らなかったみたいでした。というのも母は父方の祖母と仲が悪く、その祖母がガーデニングが趣味だったので、植物図鑑を読んでいるとイヤな顔をするんです。
――それを母親は“矯正”しようとしていた?
キマノー 母自身は人から言われたことに従って着実にやってきた人だから、僕のことも「繰り返し厳しくしつけていけば直るだろう」と思っていたんだと思います。
母親からの蹴り、うずくまったところへひざ蹴り
――しつけは厳しかったですか?
キマノー ビンタされたり蹴られたりするのはいつもでしたね。3兄弟の中で僕だけに適用される“次男限定ルール”がいくつかあって、たとえば「家の電話をすぐに取るように」と言われてました。
でもある日、リビングで電話が鳴って受話器を取ろうとしたら呼び出し音が切れてしまったんです。後ろでバンという音がして驚いて振り向いたら、母親が立っていた。「ごめんなさい」と言おうとした瞬間、横から蹴りが飛んできました。思わずうずくまったところへ、今度は正面からひざ蹴り。
床に倒れて、呼吸ができずに喘いでいる僕に、「なんで当たり前のことができないの?」と。
――どうしてそんなことを?
キマノー いま考えても、気に入らなかった以外の理由は思いつきませんね。ほかにもお小遣いを使ってはいけないとか、2歳下の弟が失敗したらそれは僕の責任とかルールがあり、それを破ると容赦無く手や足が飛んできた。
母親が「牛乳は毒だから、子どもに飲ませるな」と学校にクレーム
――父親は助けてくれなかった?
キマノー 父はだんだん家に帰ってこなくなってましたね。別の女の人と暮らしていて、子どものことは母に任せきりでした。当時の母はオーガニックや無添加にハマって、父の月収が23万円なのに食費だけで18万も使ったりしてたと後で聞きました。
アレルギーではなかったんですけど、牛乳も飲み続けると喘息の症状が出ることがあるからと小学校の管理栄養士さんに「牛乳は毒だから、子どもに飲ませるな」とクレームを入れたので、クラスで僕だけ給食の時間も牛乳は無しでしたね。
――学校生活はどうでしたか?
キマノー 集団行動自体がダメなので、やっぱりなじめませんでした。会話のテンポやノリがよくわからないんですよね。周りがモンスターハンターの話で盛り上がってる時に、うちはゲーム禁止だったからよくわからないんだけど会話に入りたい気持ちだけはあって。それで誰かが「あのカニのやつ強いよな」みたいなことを言った時に、図鑑で見た知識を思い出して「知ってる? カニってクモの仲間らしいよ」と割って入ったんです。
――どうなったんでしょう。
キマノー 「お前といるとしらけるわ」と総スカンでした(笑)。そういう子だったので、よくいじめられてました。同じクラスのリーダーっぽい場を盛り上げるのがうまい男子に「野糞」とか「マンコーニ伯爵」とか変なあだ名をつけられたり、クラスの女子と付き合っていると噂を流されたり。
――先生は助けてくれないんですか?
キマノー 先生も昔っぽいタイプで、「お前そんなんじゃやっていけないぞ。とにかく頑張ってうまくやれ」っていうばかりでした。僕もうまくやりたい気持ちはあるんですけど、どうしたらみんなと同じようにできるかは教えてくれない。先生になる人は自然に集団になじめた人なんだろうなぁと今なら思いますけど、当時は「大人は助けてくれないんだ」って絶望してましたね。
――友達はいたんですか?
キマノー 男子の集団には入れてもらえなかったんですけど、小4くらいからは何人か話せる女の子の友達ができました。休み時間にほとんどの男子が外でサッカーしてるなか、僕は教室に残って女の子としゃべってたり。
でも小6の時の担任は昔気質で男らしくない僕が気に食わなかったみたいで、スポーツ嫌いでずっとおしゃべりしてる僕は目をつけられてました。でも教室を追い出されてもサッカーには入れてもらえないし、仕方ないので休み時間は花壇に腰かけてぼーっとしてました。
――勉強は苦手ではなさそうですけど。
キマノー たしかに勉強は割と得意だったんですけど、宿題とか課題が絶望的にできなかったですね。頭ではやらなくちゃとわかっているのに、手をつけられない。それで提出できないからまた先生に嫌われる、という。
――家でも学校でも居場所がないですね……。
キマノー それが息苦しくなると、自転車に乗ってひたすら遠くまで走ったりしてました。母は学生時代にトライアスロンをしてた時期があって、僕が自転車に乗ることには目くじら立てなかったので、逃げるようにどこまでも走ってました。完全に「ここではないどこか」系の子でしたね。
小6で「死のう」と決意して書き込んだ「いままでありがとうございました」
――安心できる場所はなかったんでしょうか?
キマノー 唯一の居場所といえるのはネットのコミュニティだけでした。父が買ってきたパソコンでオンラインゲームを始めて、10歳を過ぎた頃からはFC2でブログを書いて仲良くなった人と見せあったり。当時のネット掲示板は、今よりずっとオタク系とか腐女子の人ばっかりで、自作の文章や夢小説を書いてる人が多くて、自分でも「洒落にならない怖い話」を真似してホラー短編小説を書いたりしてました。
――それで気は晴れた?
キマノー 全然無理でしたね。家は息苦しいし、学校も女友達が数人いるとはいえずっと浮いてましたし。それで小6の時に「ベランダから飛び降りて死のう」と決めました。それでネットで仲良くしてた人たちに最後の挨拶をしようと思って、掲示板に「いままでありがとうございました」と書き込んだんです。
〈「今度持ってきてやろうか?」高校を中退して歌舞伎町でホストになった男性(27)が、ずっと断っていた大麻の誘いに「やる」と答えた“あっけない理由”〉へ続く
(遠山 怜)
