「ユニホームを汚さんヤツや」 阪神時代の今岡真訪は野村監督から目を付けられて…【大人気連載プレイバック】
【大人気連載プレイバック】
【最初から読む・感性のチカラ】星野監督は講演会でいきなり「おまえはクソ生意気らしいから野村さんと全然あかんかったんやろ!」
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる。
今回は阪神などでプレーしたあの今岡誠(真訪)氏について綴られた元阪神OB会副会長による「阪神タイガース表も裏も」(第16回=2010年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
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■元阪神OB会副会長による「阪神タイガース表も裏も」(第16回=2010年)を再公開
監督が代わって、ここまで生まれ変わる選手も珍しい。今岡(誠=元阪神)は、まさにそう思わせる選手でした。
96年、大型遊撃手として逆指名で阪神に入団。私は、彼が将来のタイガースを背負う選手になると感じていました。ただ、あの時期だけはらしくない姿ばかりが目につきました。そう、野村(克也)監督時代だけは……。
「ユニホームを汚さんヤツや」
野村監督はことあるごとにこう言っていました。私が見ても、守備で自分が捕れない打球だと思うとスタートを切ろうとしないし、一歩目の反応も鈍い。野村監督は就任当初、今岡を遊撃手として起用するつもりでした。だから、今岡を監督室に呼んで話をしていた。聞くところによると、きちんと話は聞くし返事もしていたという。守備に対する意識も少しは変わりましたけど、野村監督は満足しなかった。2人の関係はおかしくなり始めました。
野村監督が退団し、02年に星野監督が就任。今岡の再生に尽力したのが、同監督と阪神にやってきた島野(育夫=故人)ヘッドコーチでした。「中日コーチ時代、阪神と戦うときは今岡が一番怖い打者でした」と話していたように、今岡の才能にも惚れていたんでしょう。試合のある日はアップのときから今岡の動きを見て、「きょうはええな」とか「どないしたんや?」などと毎日、声をかけていました。
そしたら、その年は打つわ打つわで打率3割超え。翌03年には打率.340で首位打者を獲得します。フロントの私から見ると「技術的に何が変わったんかな?」という感じでした。今岡本人も島野コーチの熱意を意気に感じていたのかもしれません。
昨季限りで阪神を退団、ロッテ入りもささやかれている今岡ですが、06年以降は故障もあって力を発揮できませんでした。今岡を支え続けた島野コーチが06年から一軍コーチを外れ、その後ユニホームを脱いだことを考えると、今岡にとって同コーチはとても大きな存在だったのでしょう。
ファーム暮らしが続いた昨年、鳴尾浜で声をかけると今岡は、「頑張ります」と言っていました。本人は今年もタイガースでプレーするつもりだったのかもしれません。でも、ファームでは試合にも出なくなり、練習も中途半端になっていた。私としては復活を目指して死に物狂いで頑張ってほしかった。首脳陣やフロントが、そういう部分で物足りなさを感じたから「戦力外」になったのだと思っています。
今年はもう、今岡も四の五の言っていられないはずです。もしロッテに入ったら、復活した姿を見せてほしいものです。
▽ほんま・まさる 1939(昭和14)年5月1日、愛知県生まれの。中京商高(現中京大中京高)から投手として58年阪神入団。60年には13勝をマーク。66年西鉄(現西武)に移籍し、67年限りで引退。その後、西日本新聞社に記者として入社。14年間勤め、阪神フロント入り。02年に定年退職するまでの21年間、広報、営業担当、広報部長を歴任。2009年まで阪神OB会副会長を務めていた。
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その今岡氏は日刊ゲンダイで連載コラム「感性のチカラ」を執筆。野村克也氏との関係性や、ロッテ移籍の顛末などについて赤裸々に綴られている。関連記事から要チェックだ。
