「ご結婚4年目あたりから、雅子さまは一生懸命“作り笑い”をされるように」 「人格否定発言」から22年 皇后陛下を追い詰めたものとは何だったのか 「皇室から見捨てられたと感じておられたはず」
この5月1日で、天皇陛下(66)と雅子皇后両陛下(62)は、即位されて丸7年を迎えられた。令和の世の“国民の象徴”としてのお姿がすっかり定着した両陛下。おひとり娘の愛子内親王殿下(24)も交えたご一家の仲睦まじいお姿も度々報じられている。
【写真】スーツをビシッときめて…。2年間の英国留学を終え、帰国した際の雅子さま(1990年、成田空港)
が、今から20年余り前、当時、東宮家だったご一家が危機的状況にあったことをご記憶の向きは少なくないだろう。2003年末、雅子妃殿下(当時)は帯状疱疹の症状を発症されて静養入りし、一時は、長野県は軽井沢にあるご実家・小和田家の別荘で“別居”されるなど、国民の前からお姿を消した。そんな状態が5カ月も続いた2004年5月10日、デンマーク、ポルトガル、スペイン三国のご訪問を前にした記者会見で、皇太子殿下(当時)が雅子妃の容態を問われ、以下のような発言をなされたのである。

〈雅子には依然として体調に波がある状態です。この10年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です〉
夫君であり、将来の天皇である皇太子殿下が、雅子妃のご病状の原因を「皇室の環境」だと公の場ではっきりと口にされたのである。あまりの衝撃に、居並ぶ記者たちは息を呑み、ペンを持つ手が止まったという。俗に言う「人格否定発言」である。

この発言はおおいに物議を醸し、賛同する者、あるいは反発する者双方が議論を戦わすことになった。そして、それはそのまま、新しい時代の皇室のあり方について、国民に強く問いかけることになったのである。
「週刊新潮」では、雅子さまの“ご静養”当時、皇室関係者などに取材し、その深刻なご容体、そして、病気を招いた背景について詳らかにしている。衝撃のご発言から22年を機に当時の記事を振り返り、改めて新時代の皇室の在りようについて考えてみよう。
【前後編の前編】
(「週刊新潮」2004年3月8日号、4月8日号、4月29日号記事を編集の上、再録しました。文中の年齢、肩書などは当時のままです。2004年当時の記事のため、記事中の敬称はすべて平成のものです。文中の「皇太子」は現・天皇陛下、「雅子妃」は現・皇后陛下を差し、同じく文中の「皇后」は現・上皇后陛下のことを指します)
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住民たちは知っている
日本列島は春爛漫。ご成婚以来、毎年愛でられてきた東宮御所の桜も今が盛りと咲き誇っている。だが、今年の雅子さまは桜を観ることもなく、遠く離れた長野県内でご静養中だ。
真っ白な雪を被った山々を望む、標高およそ1000メートルの高原の町。山裾をおりてくる風は刺すように痛い。4月だというのに朝方は氷点下だ。
「この辺りじゃ、木が芽吹くのも6月過ぎなんだよ」
と住人が言うような、いまだ冬枯れた山麓の町に数台の黒塗りの車が現れたのは、(2004年)3月25日の午後。車列はゆっくりと町道を進み、道端に雪の残る別荘地内に入り、細い道を曲がって、カラマツ林の奥に消えていった。
ほどなくして、別荘地の辻々に立入禁止を示す看板が置かれ、屈強な男たちが立った。耳にはイヤホンをつけ、道行く車に鋭い視線を向ける。
「犬を散歩に連れてあの辺を通ったら、私服警官みたいな男の人がたくさんいるので、“何があったんですか”と聞くと“鹿が切れた電線に絡まりまして”なんて言っているんですよ」
と笑うのは近くの町民。「あの別荘地の裏山には熊や猿はいるけど、鹿はほとんどいないんだけどねえ」
名前は伏せられていてもどなたがいらっしゃるのか、住人たちはとっくに知っていた。
異例中の異例の宿泊
敷地およそ300坪の別荘でご一緒なのは、愛子さまと雅子さまの母親の小和田優美子さん(66)だ。途中から、オランダから駆けつけてきた国際司法裁判所判事で父親の小和田恒氏(71)も加わり、3月29日までは皇太子も滞在されていた。
皇太子ご一家と小和田夫妻が、水入らずの時をお過ごしになったわけだが、
「皇太子が妃殿下のご両親とご一緒に泊まるのは、異例中の異例」
というのは、元宮内庁職員である。
「天皇陛下が皇后さまの実家の正田家に泊まったことはありません。昨年(2003年)9月に雅子さまと愛子さまが、目黒の小和田家に里帰りした時、夕食に皇太子も加わりましたが、あれでさえ前例のないことなのです」
恒常的にストレスを抱え…
そもそも雅子さまが昨年(2003年)12月から、公務を休まれるようになったのは、帯状疱疹に罹ったのがその理由だった。
「この病気は極度の疲労と体力の低下によって発症します」
とは、都内の皮膚科医院の院長である。
「罹るのは、ほとんどお年寄りや免疫力の落ちている人で、健康な体の方であれば、疱疹が広がることはまずありません。雅子さまは恒常的にストレスを抱え、疲労を蓄積していたと推察できます」
ご成婚から11年。雅子さまがこれまで蓄積してきたストレスは、われわれの想像を絶するものだったに違いない。
さる精神科医は言う。
「雅子さまは結婚4年目あたりから、顔や体はこわばっているのに、一生懸命に作り笑いをなさるようになりました。頑張りすぎです」
別の精神科医も続ける。
「雅子さまはかつては全身で笑っていた。しかし、最近は顔の一部だけを動かしているように見えます。笑顔の硬さは心の硬さに結びつきます。雅子さまのストレスは皇室という閉ざされた空間に置かれたことによるものでしょう。子供ができないことで、今のような状態になるのであれば、愛子さまが生まれる前にそうなっていたはず。今はむしろ“男の子を産むためだけに生きているのか”と悩み、生きる目標を見出せないでいることへのストレスだと思います」
「3人目を強く希望したい」
昨年(2003年)12月、宮内庁の湯浅利夫長官は、秋篠宮夫妻について、
「皇室の繁栄を考えると、3人目を強く希望したい」
と発言したが、
「雅子さまを深く傷つけましたね。男子誕生というとてつもない重圧を感じると同時に、見捨てられたとも感じたでしょう」(さる皇室関係者)
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この軽井沢ご滞在時、女官や宮内庁職員は外部の施設に寝泊まりし、時々、健康状態を確認するために別荘を訪ねる程度であった。
そればかりか、皇太子殿下(当時)も前述の3月だけでなく、4月にも同地を訪れたが、計9日間の日程のうち、別荘に滞在されたのは2日間のみ。その余は地元のホテルにお泊りになったという。
その間、雅子さまは、近辺を母親や愛子さまと3人でバードウォッチングしながら散歩したり、気分の良い時には別荘地内でドライブをされることもあったが、外に出ることはなかった。食事の材料の買い出しは母親がし、料理はご自分たちで作られていたそうだ。
後に「週刊新潮」2007年1月4日・11日号は、さる皇室ジャーナリストによる衝撃的な証言を伝えている。
「軽井沢の小和田家の別荘で静養されていた時には、(雅子さまが)別荘の外にまで聞こえる大きな声で叫んでおられることもありました」
まさにこの軽井沢滞在時は、雅子さまのご病状が最も危機に瀕していた時期であったのだ。そして、その背景にあったのは前述の「お世継ぎ問題」だけではない。他にも、愛子さまの養育と、美智子さまとの“感情のズレ”に関わる“ストレス”が――。その詳細は【後編】で記す。
デイリー新潮編集部
