『虎に翼』寅子が語った「日本国憲法・第14条」生まれるまで尽力した22歳のアメリカ人女性の存在
『虎に翼』で身近なものと感じた「日本国憲法」
5月3日は憲法記念日だ。1946年11月3日に公布された日本国憲法が、1947年5月3日に施行されたことを記念して定められた祝日だ。
今年の憲法記念日は、自民党が主体となって進めようとしている「改憲」(憲法改正)議論で揺れている。高市早苗首相は、2026年2月9日、衆議院議員総選挙の勝利を受けて、「国論を二分する政策」のひとつとして、「憲法改正に向けた挑戦も進めていく」と述べた。また、2026年4月12日の第93回自由民主党大会では、「日本人の手による自主的な憲法改正は党是だ。時は来た」と改憲へ強い意志を表明している。
しかし、高市首相が進める改憲は、まさに国論を二分している。「改憲反対!」「憲法守れ!」「憲法9条は国の宝!」と声を挙げるデモが日本各地で巻き起こっている。憲法記念日を前に共同通信が行った憲法に関する世論調査では、「慎重な政党も含めた幅広い合意形成を優先するべきだ」が73%と、「前向きな政党で条文案の作成作業に入る」の25%を大きく上回る結果となり、9条改正の必要性に関しては賛否が拮抗した数字に。この結果に、ネットでは「どういう人に調査をしているのか、改憲の意味を理解している人がどれだけいるのだろうか」「日本国憲法が世界的にも素晴らしい憲法であることを知らない人が多いのでは」という声も上がっている。
そこで、ドラマ『虎に翼』でも話題になった憲法の一文を作るために尽力した一人の女性について、著書『ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る』(文春新書)などの著書がある小児精神科医でハーバード大学医学部准教授の内田舞さんが寄稿した記事を再編成の上お届けする。
憲法とは、国民の権利・自由を守るために、国がやってはいけないこと
そもそも憲法とは、「国民の権利・自由を守るために、国がやってはいけないこと(またはやるべきこと)について国民が定めた決まり(最高法規)」だ(日本弁護士連合会「憲法って、何だろう?」より)。私たちが日本で生きていく上で必要な基盤だが、日常的に意識することは少ない。
そんな憲法を私たちにも関係する事柄だと教えてくれたのは、まだ記憶に新しい2024年4月から放映されたNHKの朝の連続テレビ小説『虎に翼』だった。焼け野原になった東京で、人々は食べることも難しい中、戦争で、兄と夫を失い、その後父の病死……。死があまりに身近にある中で、弁護士としてのやりがいも失っていた主人公・寅子が新聞紙の中に掲載された「日本国憲法」と遭遇する。
憲法第14条の「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」の一文がナレーションで語られ、画面には、戦後の人々の姿が重なった。橋の下で暮らす老女、米兵相手に生きる糧を求める女性、屋台でふかし芋を売る元甘味屋の夫婦、懸命に街を復興させている労働者、埃にまみれた衣服で必死に新聞をむさぼり読む少女が最後に映し出された。
この場面の放映で、改めて日本国憲法に書かれている事柄の意味を再認識し、今の社会は果たしてこの憲法が目指した未来になっているのだろうかと考えた人も多かったに違いない。
実は、この憲法第14条、男女平等を盛り込んだ日本国憲法の草案を作ったメンバーには、戦前日本に長く暮らした経験を持つ「ベアテ・シロタ・ゴードン」という22歳のウクライナ系アメリカ人女性の存在があった。日本国憲法草案が制作されたのは、終戦から約半年後の1946年2月だったが、当時は世界でも男女平等を憲法に盛り込んでいる国は少なく、異論を唱える声も多かった。しかし、ベアテ氏はその意見に負けなかったと伝えられている。ベアテ氏の存在は、戦後、寅子を始め、多くの女性たちが羽ばたく基盤を作ってくれた存在ともいるのだ。
内田舞さんは、そんなベアテ・シロタ・ゴードン氏に関して幼いころから影響を受けてきたという。
日本国憲法に関して占領軍(GHQ)の都合で勝手に作り上げた憲法である、と解釈をする人がいるが、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を基盤にとした先進的な憲法として、世界的にも高い評価を受けている。今、改憲議論が起こる中で、日本国憲法がどのような背景で作られたのか、ベアテ・シロタ・ゴードン氏の憲法第14条への思いをぜひとも知ってほしい。
次ページより、内田医師の原稿です。
ベアテ・シロタ・ゴードンという女性
日本国憲法に「男女平等」を加えるために力を注いだのが、当時まだ22歳のウクライナ系アメリカ人女性、ベアテ・シロタ・ゴードンさん(以下敬称略)だったということをご存じでしょうか。
中学生だったころ、父が薦めてくれたのが、『1945年のクリスマスー日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』(柏書房)というベアテ・シロタ・ゴードンの著書でした。その本を読み、私はベアテの存在を知りました。
この著書には驚きがたくさんありました。日本国憲法草案が、彼女を含む25名のアメリカ人によって約1週間で作られたこと、日本に民主主義をもたらしてくれたのが日本人ではなくアメリカ人だったこと、そして日本女性に権利を与えてくれたのがまだ22歳の女性だったことに大きな感銘を受けました。私の記憶に大きく刻まれる1冊となったのです。
ベアテが生まれたのは、1923年(大正12年)。父親のレオ・シロタは、ウクライナのキーフ出身で、オーストリアで活躍する有名なピアニスト。その娘としてウィーンで生まれたのがベアテでした。その後1929年(昭和4年)、父親のレオ・シロタが、ナチスによるユダヤ人排斥が進むヨーロッパから亡命するために、作曲家の山田耕作の招きを受けて、東京藝術大学に就任したことでシロタ家は日本に移住。5歳から15歳の10年間、ベアテは東京で育ちました。
その後、ベアテは1939年に15歳でアメリカの大学に入学。世界では、ナチス・ドイツのポーランド侵攻が始まり、第二次世界大戦がはじまった年でもありました。その後1941年12月、大学在学中に、日本軍が真珠湾を攻撃。アメリカと日本の通信が途絶え、日本にいる両親とも連絡を取ることができなかったといいます。
終戦後の1945年12月25日にアメリカ市民が日本に入国できるようになり、ベアテは日本に戻り、軽井沢で疎開して生き延びていた両親と再会。そして、日米の文化を理解し、日英の言語を使えるベアテは、22歳にして日本国憲法草案作成チームに指名され、日本国憲法に女性と家庭の法律の草案の担当となったのです。
日本の女性たちの姿をよく見ていたベアテ
私が、ベアテの著書を読んだのは、今から約30年前の中学生のころですが、いまだに心に刻まれている印象的な文章があります。
私は、各国の憲法を読みながら、日本の女性が幸せになるには、何が一番大事かを考えた。
それは、昨日からずっと考えていた疑問だった。赤ん坊を背負った女性、男性の後をうつむき加減に歩く女性、親の決めた相手と渋々お見合いをさせられる娘さんの姿が、次々と浮かんで消えた。子どもが生まれないというだけで離婚される日本女性。家庭の中では夫の財布を握っているけれど、法律的には、財産権もない日本女性。『女子供』(おんなこども)とまとめて呼ばれ、子供と成人男子との中間の存在でしかない日本女性。これをなんとかしなければいけない。女性の権利をはっきり掲げなければならない。
私は、抜き書きしたものを整理し、女性の権利に関するものを事柄別に分けた。まず、男女は平等でなくては……。財産権は当然。教育、職業、選挙権に関する平等。これは、独身であっても、妻であっても同じ。妊娠中や子だくさんのお母さんの生活の保護。病院も無料にならないと……。これは子どもにも適用されるべきだ。結婚も、親ではなく自分の意思で決められるように……。
『1945年のクリスマスー日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』(柏書房)
高い能力や優しい人柄、夢や希望があってもなくても、自分の人生を自分で決める権利が与えられていなかった戦前の日本女性の姿を、ベアテは子どもながらにとてもよく見ていたのでしょう。自分の両親と違う夫婦のあり方、家族のあり方をみて、10代のころのベアテは何を感じていたのだろうと聞いてみたくなりました。
今も心に刺さる、ベアテが求めた男女平等の思い
明治憲法(大日本帝国憲法)には入っていなかった男女平等や女性の権利に関しては、憲法の後に作られる民法に入れるだけでいいのでは? という議論もあったそうです。ですが、憲法に入れなければならないと感じた背景をベアテはこのように語っています。
私は、女性の権利を具体的に憲法に書いてあれば、民法でも無視することができないはずだと考えた。官僚になるのは、大半が男性であるだろうし、その男性たちは、保守的であることがわかっていたからだ。
『1945年のクリスマスー日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』(柏書房)
さらにこんな記述もあります。
軍国主義時代の日本で育った私は、心配だったのだ。日本民族の付和雷同的性格と、自分から決して意見を言い出そうとしない引っ込み思案的な性格、しかも過激なリーダーに魅力を感じる英雄待望的な一面は、昭和の誤った歴史を生み出した根源的なもののように思う。日本が本当に民主主義国家になれるのかという点で不安を持っていた。だからこそ、憲法に掲げておけば安心といった気持ちから、女性や子どもの権利を饒舌に書いたのだった。
『1945年のクリスマスー日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』(柏書房)
今回、約30年ぶりに再度ベアテの本を読み返してみて、今にも通じる日本の描写で、ハッとさせられました。
ベアテは日本に長く暮らす中で感じた、優しい日本人の中にある「付和雷同的性格と、自分から決して意見を言い出そうとしない引っ込み思案的な性格」が気になったのでしょう。日本人が「自ら権利を勝ち取る」といったプロセスを歩むには、物凄く長い時間がかかってしまうと感じたに違いありません。だからこそ、なかなか変えることのできない憲法、司法上は何よりも上の法である日本国憲法に、女性の権利を入れようと提案をしてくれた。これは結果として本当によかったと思います。
ベアテが作った草案によって、私や1945年以降に日本で暮らす何億人もの女性に権利があると思うと、当時22歳だったベアテの肩にかかっていた責任は想像できません。私は彼女への感謝の気持ちでいっぱいになるのです。
ベアテを通して、今思うこと
ナチス勢力拡大により、ユダヤ人がヨーロッパから排除されることで、ウクライナ人の家族が最終的に日本に亡命したこと。第二次世界大戦でユダヤ人の大虐殺があり、そのような最悪な人権侵害を受けた民族のユダヤ人、またウクライナ人の子だったベアテが、日本の中で権利をもたかった女性に権利を与えてくれたこと、ベアテ自身が人権について強い意志を持って考えるようになったきっかけも、きっと彼女自身の生い立ちや時代に戦争に翻弄され続けた歴史が背景にあるのではないかと思うのです。
2022年2月24日から4年経った今もまだ、ロシアに翻弄されるウクライナの姿を見て、そんなベアテの生き様が改めて私の胸に響きます。
そして、ウクライナだけでなく、その後のイスラエル・ガザ情勢からの米国・イスラエルによるイラン攻撃への止まらない戦争の流れ……。世界は強いものが強引に制する世界へと時代を逆行する気配が色濃くなっています。そして、そこには必ず被害を受ける市民、迫害される人が存在します。
ベアテのおかげで男女平等という「人権」を得た私は一体何ができるだろうとずっと考えています。戦争がもたらすものについて、私たちは考え続けなければ、と思うのです。
また、ベアテが私たちに与えてくれた「男女平等」にもまだまだ課題は残っています。どんなに権利が与えられていても、2025年の日本のジェンダーギャップ指数148ヵ国中118位で、G7の中で最低順位を更新し続けています。もちろん、ジェンダーギャップ指数が男女平等を示すすべてではありませんし、次回発表される指数は、高市首相が誕生したことでランキングは上昇することでしょう。
しかし一方で、女性が首相という立場に就いたとしても、それだけで女性の生きやすさや権利の実質が大きく変わるわけではない現実も見えてきます。たとえば、選択的夫婦別姓の議論に代表されるように、女性が自らの名前を保持する権利といった、長年議論されてきた基本的な課題においても、必ずしも前進がみられているとは言えず、むしろ後退している側面すらあります。女性であるリーダーが誕生したこと自体は重要な一歩であり、象徴的な意味を持ちますが、そのリーダーの価値観や政策が、家父長的な構造の中で形成・維持されてきた現実も無視できません。形式的な「前進」と実質的な平等のあいだには、なお距離があるのではないかと感じます。
ベアテから与えられた女性の権利を自分自身がしっかり使うこと、そして日本の女性の権利がちゃんと尊重されるように活動できる社会を作ることが、ベアテへの一番の感謝になるのではないかと思うのです。
