「誰がコイツ、合格させたん?」歌もダンスも“素人レベル”の元ひきこもり→12年続けたら「人気アイドル」に大変身…35歳・アラフォーアイドル誕生の『驚きのきっかけ』
「私の歌とダンスを見て」「誰がコイツ、合格させたん?」
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かつて、プロデューサーにそう言われた“補欠アイドル”がいる。歌もダンスも未経験、1年間ステージに立てず、CDにも声は入らなかった。しかも元ひきこもり。そんな彼女が、なぜ12年も辞めず、35歳でグループの顔になれたのか?
姫路市のご当地アイドル「KRD8」リーダー・宮脇舞依さんのインタビューをお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)

ご当地アイドル「KRD8」リーダーの宮脇舞依さん。彼女はなぜアイドルに? ©山元茂樹/文藝春秋
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アイドルではなく「漫画家になりたかった」オタ時代
──子供のころからアイドルを目指していたんですか?
宮脇舞依さん(以下、宮脇) いえ、まったく。自分がアイドルになるまで、アイドルを全然知らなかったんです。元は漫画家になりたくて。
──どんな子供時代だったんですか?
宮脇 ごくごく普通の陰キャ、デブ、キモオタでした(笑)。漫画やアニメが好きで、ずっとお家で絵を描いてました。
──どんな漫画が好きだったんですか?
宮脇 最初に買ったのは『魁!!男塾』(宮下あきら/1985〜1991年)です。お父さんの床屋さんについて行ったときに置いてあって、そこに登場する「江田島平八」というキャラに惚れてしまって。
──かなり古い漫画ですよね。友達と話は合いましたか?
宮脇 全然合わなかったです(笑)。だから『カードキャプターさくら』『神風怪盗ジャンヌ』とか、友達が好きな漫画も読んでました。でも少年漫画が一番好きでしたね。
クラスでのポジションは「ほぼ影」
──教室内ではどんな立ち位置だったんですか?
宮脇 ほぼ影、みたいな(笑)。静かに漫画を読んでいました。小学4年生から同じ漫画が好きな友達と一緒に、オリジナル漫画を描いたりして。その友達のお姉ちゃんが同人活動していた影響もあって、当時からどっぷりオタクでした。なので、アイドルは全然興味なかったです。
──現在35歳だと、小学生時代はモーニング娘。の全盛期ですよね。
宮脇 めちゃくちゃ流行ってましたね。でも、私はアニソンとボーカロイドしか知らなくて。アイドルがみんな同じ顔に見えていたんです。普通は「アニメキャラって、同じようなキャラが多くて見分けがつかない」とか言われますよね。私は逆でした。
──3次元の見分けがつかなかった。
宮脇 アニメキャラは髪の毛の色で識別できるけど、アイドルは皆さんだいたい同じ髪色だし。顔が整っている人ばかりなので、集まると見分けがつかなくて。たまにグループに1人だけ明るい髪のギャルっぽい人がいるけど、その人以外はどうやって識別してるんだろう、と。クラスメイトですら覚えるのが難しいのに!みたいな(笑)。
──高校卒業後は進学したんですか?
宮脇 いえ、大学は行かずにそのまま就職したんです。社会の波に飲まれ、そのまま社会不適合者になりました。
──SNSで「就職先でパワハラに遭った」と明かしていますね。
「これが社会なのか。恐ろしい…」
宮脇 飲食店だったんですけど、忙しくてミスしたりすると、上司から普通にトレーで殴られるんですよ。今だったらニュースになりそうですけど……。当時は「私は仕事ができないやつなんだ」と思っていました。セクハラも普通にあって、ボディタッチとか結構多くて。「これが社会なのか。恐ろしい……」と。
──精神的にもつらかったですよね。
宮脇 ある時、朝ご飯を食べているときに涙が止まらなくなっちゃって。お母さんもびっくりして「どうしたの?」と。「仕事に行きたくない」と言ったら、お母さんも困惑していました。その後事情を話したら「二度と行かなくていい」と言ってくれて。2年続かなかったですね。
──最悪な就職先に当たってしまいましたね。
宮脇 そうですね……。それを機に男の人がすごい怖くなっちゃって。仕事を辞めた後は、自宅にひきこもるようになってしまって。両親には心配をかけてしまったな、と。
──家の中で毎日どう過ごしていたんですか?
宮脇 何してたんだろう……、私。本当に当時の記憶がなくて。ずっと家にいると、時間感覚がバグるんです。朝なのか夜なのかもわからない。下界を知らない。シャバの空気がわからない。
浦島太郎状態で、気づいたら2年ぐらい経っていて。体感、そんなに経っていたと思っていなかったんですけど……。
ある時、ふと「まわりの子はみんな大学を卒業して就職しているのに、自分は何やってるんだ」と気づいて、アルバイトの面接を受けることにしたんです。ただ、声が特徴的なアニメ声なので、ふざけてると思われて、40社くらい落とされました。
──せっかく自分から動き出したのにつらいですね。そこからなぜアイドルになろうと?
アイドルよりも「なりたいもの」があったけど…
宮脇 ようやくアルバイトが見つかったんですが、休みの日にボランティアを始めたんです。とにかく自分が社会に溶け込めていなさすぎて「何か社会の役に立たないと生きていく価値がない」と思っていたんです。自己肯定感がどん底で……。
それで視覚障がい者向けに新聞を代読するボランティアをしていたら、たまたま姫路の商工会議所が、ボランティアでアイドルや「語り部」を募集するオーディションをやるらしい、と知ったんです。
──「語り部」とは?
宮脇 2014年放送のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」にあやかって、観光客向けに歴史の語り部を作ろう、と。私、語り部になりたくて、オーディションに紙芝居を作っていったんです。
──アイドルではなく「語り部」志望だった。
宮脇 そうです。そしたら100人以上の応募者のうち、語り部志望は2人しかいなくて。しかも紙芝居を作って行ったのは私だけだったので、飛び道具っぽい感じで受かったんですね。「これで語り部ができる」と思っていたのに、気づいたらアイドルになっていたんですよ(笑)。
──語り部は……?
宮脇 語り部、なんか消えてました(笑)。最初、事務局からは「補欠です」と言われたんですよ。「語り部にも補欠ってあるのかな?」と思ってたんです。でも、いつの間にかアイドルのほうが盛り上がって、語り部は自然消滅してしまい……。またしても、ここにも私の居場所はないのか、と。
元々人前で歌ったことなんかないし、ダンスもラジオ体操くらいしかやったことがない。オーディションでは水樹奈々さんのアニソンを歌ったんですけど、恐ろしく音痴だったらしく……。案の定、「ひどい」と言われました。
──補欠って、野球部のベンチのようなものですか?
宮脇 そうです。みんなボランティアなので、学校や仕事で来られないメンバーの代わりに立つポジションです。だから補欠の人は、全員分の歌とダンスを覚えなきゃいけないんですよ。メンバー13人中、ステージに上がれるのは8人だけ。だから、私、1年間全然ステージに上がれなくて。
「誰がコイツ、合格させたん?」
──それが2016年にはKRD8のリーダーになり、現在も唯一の1期生として12年アイドルを続けています。どうやってそこまで上り詰めたんですか。
宮脇 バカにされていたのが悔しかったんです。他の子はみんなアイドルになりたくて入ってきている子ばかりなので、そもそもビジュアルがいいし、歌えて踊れて、愛嬌もある。
かたや、私は自分磨きもせず、歌も歌えず、ダンスもできず、ひきこもりで人間が怖くてコミュニケーションが取れない。だから、いつまでたっても馴染めないし、ファンもまったくつかなくて。
プロデューサーからも「一番最初に辞めそう」って言われたんですよ。「誰がコイツ、合格させたん?」って。それがすごく悔しくて。
それで「許さん、見返してやる」「最後まで残ってやる」と思ったんです。
本格的にアイドル活動をしようと、アルバイトを退職したんです。ただ、苦労して見つけたバイトを辞めることに、両親は大反対でした。
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ついには家を追い出される事態に⋯それでも彼女が「夢」をあきらめなかった理由とは?
〈「普通に働きなさい」叔父・陣内智則から心配され、両親から家を追い出されたけど…「誰からも期待されなかった」彼女が35歳までアイドルを続けられた理由〉へ続く
(市岡 ひかり)
