「人間が指す順じゃない」藤井聡太が放った“からくり細工”のような一手…カド番に追い込まれた絶対王者は“鬼のような強さ”を見せつけた〉から続く

 藤井聡太王将に永瀬拓矢九段が挑戦する、第75期ALSOK杯王将戦七番勝負(主催:日本将棋連盟、特別協賛:ALSOK、特別協力:毎日新聞社・スポーツニッポン新聞社)の第7局が、3月25・26日にかけて大阪府高槻市の「関西将棋会館」で行われた。第4局でカド番に立った藤井は、第5、6局を勝ち、ついにタイに戻して最終局へ持ち込んだ。

【画像】現場のプロ棋士が絶句…中継カメラには映らなかった裏側を見る

 永瀬の猛攻を、藤井はからくり細工のような美しい手順で受ける。2日目の午後、勝負はクライマックスへ。棋界の大注目を集めたシリーズは、まもなく決着しようとしていた。(全2回の2回目/前編から読む)


藤井聡太王将(左)に永瀬拓矢九段が挑んだ(写真提供:日本将棋連盟)

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永瀬は最後まで攻めの姿勢を貫いた

 この日、対局のため会館に来ていた藤井の師匠、杉本昌隆八段にも声をかける。永瀬の飛車打ちに「当然の一手ですが、これだけ考えているのは……つらいですね」と、その心情を慮っていた。

 谷川浩司十七世名人も控室に姿を見せた。藤井の指し手について、「指しにくい手順かと思いましたが、藤井さんにとってはそうでもないんですね」と、呆れたような、感心したような口調でつぶやき、「何が永瀬さんの誤算だったんですかね」と首を傾げた。みな藤井優勢との見方に傾いている。

 とはいえ、これは最終局だ。勝ったほうがタイトルを獲得する。第6局のような永瀬の粘りがあるだろうと見守っていた。

 だが、永瀬はなんと桂を跳ねた。これは守りではなく攻めの手だ。「えっ、えっ」と谷川十七世名人が驚く。永瀬は最後まで攻めの姿勢を貫いたのだ。

 だが藤井は冷静だった。竜取りに銀を打ったのが好手。どこに逃げても角で王手竜取りに打つ筋があり、竜の逃げ場がない。あの57手目の3筋の歩突きが、最後の最後まで永瀬を苦しめたのだ。

 杉本八段は「自分が指すと『友達をなくす』と言われそうですが、藤井王将が指すと王道ですね」とつぶやいた。永瀬がつらそうなのは誰の目にも明らかだった。

 永瀬の勝負への姿勢、将棋への情熱に感銘を受け、感情移入していた記者もいた。その一人が「見ているのも辛いですね」と私に話しかけてきた。「将棋は時に、とても、残酷なんですよ」と返すと、彼は「厳しい世界ですね」と呟いた。

すべてを決める「歩頭の桂」

 銀打ちで投了かと思われたが、永瀬は指し続ける。もちろん藤井は容赦などしない。しかも、あの67分の長考以降はすべて10分未満で指している。藤井はあのとき見つけた道筋をただ走っているだけなのかもしれない。

 永瀬が跳ねた桂を藤井がむしり取り、それを中段に打つ。これは詰めろではないが、自玉にそれよりも早い手がないことを見抜いている。

 そして最後は、歩の頭に桂打ち!

 藤井は、初めてのタイトル戦である2020年の棋聖戦第1局も、名人奪取の1局も、すべて「歩頭の桂」で決めてきた。1勝3敗からの3連勝という歴史的な防衛劇も、最後はこの手で決めたのだ。この桂を取れば、角で王手竜取りがかかる。取らねば永瀬玉は寄る。永瀬は1分ほど盤面を眺め、そして静かに頭を下げた。

 89手にて藤井の勝ち。終局時刻は15時34分。消費時間は藤井が5時間28分、永瀬が7時間12分。終局時間が最も遅かったのは第1局の19時36分。本局はシリーズ全体で最も早い終局となった。

終局後のインタビュー

「全体として厳しいシリーズだったと感じています。特に後手番の時に作戦負けからそのまま押し切られる将棋が多かったので、そのあたりは大きな課題だったかなと受け止めています」

 藤井は終局後のインタビューでそう語った。

 対して永瀬は56手目の角成を悔やみ、3筋の歩を突かれた局面で「展望があまり浮かばず、困ったなという感じはしました」と、1日目の時点で苦境を悟っていたことを正直に吐露した。

感想戦でも凄まじい読み筋を…

 高槻駅前「クロスパル高槻」の大盤解説会場に出向いて挨拶した後、再び関西将棋会館の対局室に戻って感想戦が始まった。永瀬が悔やんだのは、やはり56手目の角成。代えて銀をぶつけるべきで、もっと言えばその場面で封じ手にするべきだった、と振り返る。

 やがて、馬と飛車を交換して永瀬の手番となった局面の検討に移る。永瀬は持ち駒を「桂→飛車」の順で打ったが、「飛車→桂」の順はどうだったかが議論された。先に飛車を打てば、本譜の桂合よりも手堅い合駒をされると検討陣は見ていたし、永瀬自身もそれでまずいと思っていた。

 だが、藤井はそれでも底歩の合駒をした後、本譜と同じ桂合のルートを辿るつもりだったという。「普通の手順」は、藤井の候補にすら入っていなかったのだ。

「それなら1歩違うので、こっちがよかったですか」と永瀬は嘆きながらも検討を進める。藤井は凄まじい読み筋を次々と披露し、その「1歩の違い」があっても後手に思わしい変化は出てこないことを示した。

 感想戦開始から30分、これで終わりかと思いきや、永瀬が桂を跳ねた変化について「銀をこっちに行く手もあっちに行く手も有力で」と、研究手順を披露しながら笑う。藤井も笑う。声が弾む。棋士室で行われている研究会と何ら変わらない雰囲気だ。

 桐山九段は興味深く見守りつつ時折、質問を投げかけていたが、やがて本来の職務に戻った。記者会見の時間が迫っているため、終わらせなければならないのだ。

 感想戦開始から約50分後、「もうそろそろ」と声をかける。両者は深々とお辞儀をして、長い長い七番勝負が幕を閉じた。

プロ棋士が驚愕した藤井の言葉

「少しでも長く七番勝負を続けられればという気持ちでやっていました。結果として防衛できたことは非常にうれしく思いますし、また幸運でもあったかなと感じています」

 藤井は記者会見で答えた。

 私は記者の方にお願いして、「どこまでが想定だったのか」を聞いてもらった。すると「仕掛けられる手を今まで考えたことがなかった」と驚きの答えが返ってきた。

 ちょっと待て。銀の逃げ方の3択、飛車の逃げ方の3択は、いずれも初見で最善手を選び続けたというのか。それで持ち時間を2時間半も残して完勝したというのか。あり得ない。迷いがない。決断が良すぎる。第6局でも感じていたことが、確信に変わった。このシリーズで、藤井はまた強くなった。

 最後に感想戦についての質問があった。

「感想戦では率直に、読み筋や形勢判断を教えていただいて、いつも勉強になる時間だったと感じています」

 私は会見を最前列で見ていたのだが、ほんの少し藤井の声が弾んでいたように思った。

永瀬は「タイトル戦でVSをやりたい」と…

 早い時間に終わったので、宿をキャンセルして東京への帰路につく。なんと永瀬が終局後にスポニチのライブ動画でファンからの質問に答えるというので、新幹線の車中でイヤホンをして聴いた。

「私は終わったらノーサイドです。基本的に対局というのは盤上でベストを尽くす、それがすべてだと思っているので。終わったら後は建設的な感想戦をするだけです」

 そうだ。最後の2局の感想戦は、タイトル戦ではなくVS(研究会)のそれだった。藤井とのVSを再開するのかという質問には、「タイトル戦でVSをやりたいんですよね。ですので、そちらのほうで精進します」と答えていた。負けた直後に動画出演する精神力も凄いが、この台詞はいかにも永瀬らしい。

彼はまた、必ず藤井の前に立つだろう

 翌朝、藤井のインタビュー中継も見てみる。「印象に残った手は」という質問に、彼は長考した後、「第5局の自陣飛車」を挙げた。

 そうだ。そうだった。第5局、藤井は苦しい表情を浮かべていた。だが終盤、あの自陣飛車が崖っぷちの彼を救った。あの黄金のような手を掴み取ったからこその、1勝3敗からの逆転防衛だった。

 永瀬の戦いぶりは見事だった。必勝戦法とも言われる「藤井の角換わり」を4度も受け、4度とも異なる作戦を見せた。第4局ではほぼノーミスで完勝した。先手番で驚異の勝率を誇る藤井が、先手番なのに一度も形勢を良くすることなく敗れる姿を見たのはいつ以来だったろうか? 盤上を常に支配していたのは永瀬だった。

 彼はまた、必ず藤井の前に立つだろう。

 この3日後、鳥取県で行われた第51期棋王戦コナミグループ杯五番勝負第5局で、藤井は増田康宏八段に勝利し、棋王を防衛した。棋王戦1勝2敗、王将戦1勝3敗という「Wカド番」の窮地から、5連勝という怒涛の巻き返しで逆転防衛を果たしたのだ。この劇的な結末は、どんなシナリオライターでも描くことはできないだろう。

藤井聡太はどこまで強くなるのか

 この5局には、ある共通点がある。すべて永瀬と増田が先に仕掛けて、藤井がそれを受け止め、あるいは反撃に転じるという展開だった。相手の攻めを正面から受け切って勝つ、まさに「横綱相撲」である。改めて棋譜を見返し、2人の大棋士の面影を重ねた。

 王将戦第1局、独自の6二金型から2二玉と入城した布陣。第5局、相掛かりから「4三銀・5三銀・3二金・5二金」の布陣。これらは木村義雄十四世名人が得意とした形である。特に後者の雁木は「木村不敗の陣立」と謳われた。

 さらに、窮地の藤井を救った「自陣飛車の受け」。これは大山康晴十五世名人の十八番である。偉大なレジェンドの布陣や技を現代に蘇らせる藤井聡太は、一体どこまで強くなるのだろうか。

(勝又 清和)