3時間にわたる代替わりの儀式を開催…六代目山口組・竹内照明若頭が参加した「有名ヤクザの盃事」内幕
“異例”の盃事が行われた
「お見えになりましたー!」
ひときわ高い組員の声が、響き渡った。
3月17日、都内台東区の六代目山口組の直系組織・落合金町連合の本部ビル前は、警戒に当たる捜査員やマスコミのカメラマンなど総勢30人余りが早朝から待機するなど物々しい雰囲気に包まれていた。警視庁や地元の浅草署はもとより、神奈川、千葉など関東の県警、愛知、兵庫の県警など日本各地から捜査員が集結し、会館に車が到着するたびに鋭い視線を投げかけていたのだ。
そんななか、午前10時前に冒頭の野太いかけ声に迎えられて、高級車の車列が到着した。先頭の一台から降り立ったのは、六代目山口組竹内照明若頭(66)だ。後続の高級車からは、3月11日付で若頭補佐への登竜門とされる「幹部」に昇格した六代目山口組の中核組織・弘道会の野内正博会長が続いた。
竹内若頭は黒スーツに白ネクタイ、野内幹部はスーツに薄い金のネクタイ姿だった。出迎える幹部組員も同様の金のネクタイ姿だ。二人は厳しい表情のまま会館の中に入っていった。
「この日は六代目山口組の関東の親戚団体・東声会の代目継承盃儀式が行われていたのです。竹内若頭はその後見人として、野内幹部は検分役として出席しました。代目継承盃儀式とは、その名の通り会長の代替わりに伴い行われる儀式です。
この世界には、『若頭が次の組長に就く』という原則があります。しかし、東声会会長に就いたのは弘道会で野内会長の側近として知られている小澤達夫元弘道会若頭補佐です。昨年10月、東声会早野泰会長を兄とする兄舎弟縁組盃を交わし、舎弟として東声会に移籍していました。親戚関係にあるとはいえ、六代目山口組系の人間が他組織の会長に就くことは異例で、しかもその盃儀式が六代目山口組直系組織本部で開かれることは通常あり得ません。その点でも界隈から注目を集めていました」(ヤクザ業界に精通しているジャーナリスト)
竹内若頭、野内幹部が到着した午前10時過ぎから「盃儀式」は始まった。会場となった2階建て本部ビルの1階部分は窓もなく、中の様子をうかがい知ることはできない。午前11時には、「前会長」となった早野東声会会長が幹部組員に見送られながら会館を後にした。代目継承盃儀式は無事、終了したようだ。
関東進出の足掛かりとなるか
前出のジャーナリストが続ける。
「この後、小澤会長と東声会組員らとの間で、『兄舎弟縁組盃儀式』『親子縁組盃儀式』、いわゆる『盃直し儀式』も執り行われたようです。その後、昼12時半からは2階の大広間で食事会が30分程行われました」
午後1時過ぎには竹内若頭と野内幹部が本部を後にし、午後1時半、代目継承盃儀式は滞りなく終了した。
関東の名門団体とされる東声会の会長に六代目山口組系組織の元若頭補佐が就任するという“異例の代替わり”の背景には、山口組と東声会の60年以上にわたる「親戚関係」の歴史がある。前出のジャーナリストが語る。
「他団体といっても、1963年、山口組中興の祖である三代目山口組田岡一雄組長と、町井久之東声会初代会長との間で兄舎弟盃が交わされているのです。東京進出の思惑を持っていたとされる田岡三代目と、当時まだ新興組織で当局にマークされていた東声会が、山口組の縁でそれらをけん制したいという思惑がその背景にはあったといわれました。’05年に司組長の六代目体制が発足してからも両組織の関係は続いています。
時節柄、東声会も組員の減少に悩まされていたという声もあります。今回の代替わりで、東声会としてはその名跡を残し、新しい歴史を刻み始めることができる。また六代目山口組にしても、本格的な関東進出の足掛かりができる。両者の思惑が透けて見える代替わり儀式だったともいえるでしょう」(前出・ジャーナリスト)
その一方で、3月19日に公安委員会が六代目山口組と神戸山口組との特定抗争指定暴力団の指定の期間延長を発表するなど、警察当局は警戒の手を緩めていない。代目継承盃が新たな火種につながらないかーー不気味な緊張状態は、依然として続いているのである。
