「人生9割はムダでいい」要介護5の直木賞作家・志茂田景樹。20の職を転々とし、86歳で辿り着いた「遠回りの正解」
「人生9割はムダでいい」──。タイパ(タイムパフォーマンス)が叫ばれる現代において、その言葉はあまりに贅沢で、そして残酷に響くかもしれません。かつて奇抜なファッションと自由な言動で時代を彩った直木賞作家・志茂田景樹さんは今、関節リウマチを患い、要介護5の認定を受けてベッドの上で生活しています。しかし、自由を奪われたはずの彼の瞳は、かつてないほど澄んでいます。犬の健康保険セールスから探偵まで、20以上の職を転々とした「遠回り」の末に辿り着いた、86歳の境地。ムダの中にこそ宿る、人生の本質とは。
【写真】「要介護5でも、ペンは置かない」奇抜ファッションでお馴染み志茂田景樹さん86歳の現在(3枚目/全11枚)
フォロワー数42万人。「君たちの存在そのものが可能性」
── 志茂田さんは3月で86歳を迎えられました。今もSNSを毎日更新され、発信がたびたび話題になっています。フォロワー数42万人という数字も驚きですが、どのような想いで投稿を続けられているのでしょうか。
志茂田さん:SNSでいろいろな人の相談に答えていくうちに、フォロワー数が自然と増えていきました。今はとにかく、若い人たちを勇気づけたくて日々つぶやいています。SNSを通して届く相談は年代によって様々ですが、今伝えたいのは「きみたちの存在そのものが可能性のかたまりなんだよ」ということ。だから、やりたいことは全部やってください。たくさん挑戦して、たくさん失敗してほしいんです。
── 志茂田さんの目に、今の若者はどのように映っていますか?
志茂田さん:僕の若い頃と比べて、本当にお行儀が良い。街中で突然、喧嘩を始める人もいないでしょ(笑)。皆さんとてもスマートな人間関係を築いていらっしゃる。きっと自分自身が穏やかに過ごしたいから、周りにもそれを望んでいるんでしょうね。人間関係で揉めたくない。でも、もう少し踏み込んで、本音をぶつけてみてはどうかな、とも思うんです。
── お互いの気持ちをぶつけて、人間関係を作っていくということですか。
志茂田さん:そうです。本音を言うと、最初は仲間外れにされたり、損をしたりすることもあるかもしれない。でも、言い続けることが、やがて本当の信頼関係につながります。お互いの「困った部分」までさらけ出す。そうすると、助け合える仲間が次第にできてきます。スマートでなくていい、嫌われてもいい。本音でぶつかって築いた絆を大事にしてほしいですね。
人生は上り坂と下り坂。どこにいるかが違うだけ
── 岐路に立つことが多い30代、40代に向けてはいかがでしょうか。
志茂田さん:この世代はキャリアや子育てなど、人生が可視化されやすい時期ですよね。「うまくいっている人」と「自信がない人」の差が極端に出ます。でも、人生をもっと長い目で見てほしい。人生は上り坂と下り坂の連続なんです。ずっと同じ道が続くわけではないんです。
── どうしても、今の立ち位置で一喜一憂してしまいます。
志茂田さん:今いる状況が良いか悪いかは、単に「道のどの地点にいるか」という違いだけなんです。今苦しいのは、上り坂の真ん中にいるからかもしれない。坂を上りきった峠の先には、必ず希望が待っています。86年生きてきて言えるのは、どこにいても「まだまだこれから」だということです。
探偵、保険調査員…「フラフラの日々」が宝になった
── かつて「人生9割はムダでいい」というつぶやきが大きな反響を呼びました。
志茂田さん:自分の人生を振り返って、本当にそう思いますよ。僕は6年かけて大学を卒業後、29歳まで20種類以上の職を転々としてフラフラしていました。新聞広告を見て適当に面接に行き、嫌になってその日のうちに辞めたこともあります(笑)。どれも無駄な時間ばかりだったと言えますが、振り返るとそんな日々が楽しかった。
1980年に『黄色い牙』で直木賞をいただきましたが、この作品はフラフラしていた頃に経験した「保険調査員」の仕事がベースになっています。ムダだと思える経験こそが、作家として書くときの血肉になっているんです。
── 犬の健康保険セールスや塾講師、週刊誌記者も経験されたそうですね。
志茂田さん:そうですね、本当にいろんな仕事をして。作家を志してからデビューするまでにも7年かかりました。書いても書いても賞の選考に通らず、「もう書くのを辞めよう」と腐った時期もありましたよ。でも、一度抱いた夢は消えなかった。夢を見失わなければ、自然と夢に近づいていくものです。
── 職を転々とされていたときに、特に印象に残っていることはありますか?
志茂田さん:保険の調査員をしていたときですね。生命保険に加入した方が1年以内に亡くなった場合、そこに事件性がないかを調査員が調べます。故人の家族や関係者、警察に話を聞くのが仕事でした。故人の方の人生や家族との思い出をお聞きしたのですが、誰一人として同じ人生を歩んでいませんでした。どんな方であっても、です。人にはその人だけの生き方や人間関係があり、そのすべてが尊い。無理をして何かを成し遂げなくても、ありのままに生きていれば、十分に豊かな人生だと気づかされましたね。
86年生きてたどり着いた、たったひとつの「後悔」
── これまでの歩みに、後悔されていることはありますか?
志茂田さん:「ムダ」はひとつもないと思っていますが、後悔しているのは「バックボーンをもっとしっかり作ればよかった」ということですね。楽観的に生きてきたぶん、自分の得意なことや強みを「これが自分だ」ときちんと自覚して、確立させることを怠っていたんです。「自分という人間の軸は何か」を突き詰めてこなかった。これは後悔していますね。
── 志茂田さんほどのキャリアがあっても、そう思われるのですね。
志茂田さん:でも、バックボーンを作るのも何歳になってもできると思うので、まだまだあきらめないでいようと思っています。これからが楽しみです。
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要介護5という不自由な体になりながらも、「老いも病も新しいステージ」と笑う志茂田景樹さん。
私たちはいつの間にか、最短距離で正解にたどり着くことばかりを急いでいないでしょうか。あなたがこれまで「ムダだった」と後悔してきた時間や、遠回りだと思っていた経験が、今のあなたを支える一部になっていると感じることはありますか?
86歳の彼が贈る「まだまだこれから」という言葉に、今、何を感じましたか。
取材・文:大夏えい 写真:志茂田景樹

