高市早苗首相

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【全2回(前編/後編)の前編】

「イラン攻撃」によって起こりつつある「令和のオイルショック」という“国難”を前に、高市早苗首相(65)の顔色はさえない。もはや「体調不良」は周囲に隠せない様相を呈しているのだ。まさに“三重苦”にあえぐ高市氏は、はたして日本をどこへ導こうとしているのか。

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【写真を見る】「激ヤセ」が心配される高市首相 以前と比較すると「まるで別人」

 あろうことか「今上(きんじょう)陛下」を「こんじょうへいか」と読み間違えた高市首相の国会答弁が話題となっている。

 今月16日、参院予算委員会で立憲民主党の蓮舫氏(58)から、皇位継承について問われた際、口をすべらせてしまったのだ。

高市早苗首相

 もっとも高市氏の名誉のために付言すると、彼女は読み間違えた直後「あぁ」と声を出し、すぐさま正しい読み方で言い直した。これだけ聞けばささいなミスに思われるが、もはや高市氏は限界で心身共に悲鳴を上げているのではないか。そんな話が永田町ではささやかれているという。

 政治部デスクによれば、

「官邸内では“いずれ体調問題で政権はダメになるのでは”“もう首相は政権内に長くとどまるつもりはない”などの話が出回り始めているのです」

「慢性的な睡眠不足に加えて食が細く……」

 実際、冒頭の国会答弁からさかのぼること4日前の12日、衆院予算委員会に出席した高市氏が、散会後に自席から立ち上がれなくなってしまう一幕があった。

モジタバ・ハメネイ師

 心ここにあらずといった表情の高市氏に、横に座る片山さつき財務相(66)が心配そうに声をかける場面も見られた。

 その場に居合わせた政府関係者によれば、

「この日、高市さんは朝から夕方まで昼の休憩を挟み7時間の集中審議に臨んでいた。相当しんどそうな様子で、顔色も青白く心なしか普段より顔や首回りも細く見えました。テレビ中継ではマイクがしっかり声を拾うので気付かれないと思いますが、答弁が終わりに近づくにつれて、声がかすれて小さくなっていた」

 審議後半では、ある対応が取られた。

「高市さんは腰回りから下を、ひざ掛けのようなもので覆っていた。“寒い”と言って、重い足取りで委員室を退室後、すぐさま首相公邸で医務官の診察を受けたそうです」(同)

 政治ジャーナリストの青山和弘氏によると、

「高市さんは慢性的な睡眠不足に加えて食が細く、周囲から心配されています。特に予算委員会が開かれている間の睡眠時間は、2〜3時間ほどしかなかったそうです。23時過ぎに仮眠に入り、午前2時半には起きて3時くらいから答弁書に赤を入れたりして勉強を始める。その上、朝食はヨーグルトと果物を口にするだけということもあるそうです。ランチタイムも高市さんがどこかへ食事に行くことはなく、定食などが運ばれている様子もない。国会で立ち上がれなくなった日は、睡眠不足と低血糖が重なり、ふらついてしまったと聞いています」

“ストレスで吸う本数が増えた。やめられへん”

 翌日、木原稔官房長官(56)は会見で「風邪の疑いがあった」と説明したが、その影響は小さくない。

 件の予算委員会終了後、高市氏はバーレーンなど中東諸国の駐日大使たちとの面会、在京イスラム諸国外交団との夕食会を控えていた。中東情勢が緊迫する中、重要な外交ミッションをキャンセルしてしまったのだ。

 前出のデスクによると、

「高市首相は性格上、自分からは“無理だ”と言い出さないので、木原官房長官や秘書官が“これはまずい”と判断して休ませた。ある政権幹部は、持病の関節リウマチによる症状が悪化していると聞いたそうです」

 懸念されるのは喫煙の影響だ。表舞台で吸う姿は見せないが、高市氏は若い頃からの愛煙家である。

「高市首相は総裁選後、“ストレスで吸う本数が増えた。やめられへん”と周囲に語るほどのヘビースモーカー。そもそもリウマチは、新薬を服用すれば日常生活を支障なく送れるほど症状が改善されるケースが多いですが、喫煙すれば薬の効果が低下してしまう。医師からは禁煙を勧められているはずですが……。ここ最近は、平日なのに官邸にこもって来客に応対しないことがあったり、昼休みは執務室のソファでずっと横になっている。体調がよくないのではと懸念する声が絶えません」(同)

 持病を抱えて公務に励む以上、突然の体調不良は致し方ないとはいえ、睡眠時間の確保やたばこの本数など、最低限の健康管理さえままならないようでは不安が尽きない。

 言うまでもなく、イラン攻撃で日本は戦後類を見ないほどの“国難”に見舞われている。高市氏の判断が、国民の運命を左右する状況にあるのだ。

側近の提案に聞く耳を持たず

 米国とイスラエルの爆撃で最高指導者を失ったイランは、後継にモジタバ・ハメネイ師(56)を選出して徹底抗戦の構えを崩していない。中東産原油を運ぶタンカーの大動脈であるホルムズ海峡の封鎖を宣言。機雷敷設まで報じられ、世界経済を混乱させている。

 対する米国のドナルド・トランプ大統領(79)は、イラン産原油の9割以上が積み出されるカーグ島を狙う。在日米軍の揚陸部隊を出動させて、事態は長期化の様相を呈している。

 すでに高市首相はイランが行った中東諸国への攻撃を非難する発言を口にしていることもあり、日本のタンカーはホルムズ海峡を通過できない。必要な原油の約9割を中東産に頼る日本にとって死活問題。唯一の救いは、元来イランが“親日国”だといわれていることである。

「第1次トランプ政権で米国とイランが一触即発の事態になった際、当時の安倍晋三首相が首都テヘランに乗り込み仲介を試みました。ロシアや中国と親交が深いイランの最高指導者に、直接リーダーが会えた西側の国は日本だけでした」(前出のデスク)

 かようなホットラインを今回も生かすことはできないのか。実は日本政府内でも、独自の外交を模索する動きはあったという。

 さる官邸関係者が明かす。

「イラン攻撃後、側近から高市首相に“特使をテヘランに派遣して最高指導者に親書を手渡したらどうか”という提案がなされましたが、まったく聞く耳を持たなかったそうです」

 19日の日米首脳会談を前に、トランプ氏の機嫌を損ねるのはよくないと判断したのか。高市氏はイランと没交渉を貫く。日米同盟がある以上、トランプ追従しかすべはない。そう考えているのだろうが、かつての日本は、米国と中東諸国との狭間でうまく立ち回り、石油危機を乗り越えた過去があることをご存じか。

「アメリカが肩代わりしてくれるか」と迫った田中角栄元首相

 トイレットぺーパーなどの買い占めにより狂乱物価の一因となり、高度経済成長を止めた1973年の第1次オイルショック。その引き金は第4次中東戦争だった。米国などが支援するイスラエルと、シリアなどアラブ諸国との争いで、日本は窮地に追い込まれていた。

 当時から中東産の原油に頼ってきた日本は、米国から無理難題を突き付けられることになった。そのメッセンジャー役として、ニクソン政権はヘンリー・キッシンジャー国務長官を東京に送り込んできたのだ。

「来日したキッシンジャーが何を言ってくるのか。それが日本政府としてもハッキリ分からず、官邸内は非常に緊迫した雰囲気だったことを覚えています」

 と振り返るのは、田中角栄元首相の秘書官で、後に旧通産省の事務次官などを歴任した小長啓一氏(95)。会談は通訳を介してサシで行われたという。

「キッシンジャーは“アメリカの立場を考えて中東からの石油輸入を絶ってほしい。中東諸国の味方をするのはやめるべき”と言ってきた。これに答えた田中さんは“石油の大半は中東から仕入れているんだ。買うのをやめろというなら、その分をアメリカが肩代わりしてくれるか”と迫った。さすがにキッシンジャーもOKとは言えず、沈黙が流れたそうです」(同)

 そこで畳みかけるかのごとく、ダミ声が特徴の“角栄節”が炸裂したという。

「田中さんは“日米関係は不変だけれど、こと油に関しては経済を維持するためにアメリカを頼るわけにもいかない。分かってくれ”と毅然と対応した。まだ戦後30年もたっていない頃ですが、当時の田中さんは国益を守るため、米国と対等の立場で交渉にあたっていたということです」(同)

アラブ寄りであることを宣言

 アラブの産油国はOAPEC(アラブ石油輸出国機構)を組織して、親イスラエルの「非友好国」には原油を売らない方針を打ち出していた。

「日本とアラブ諸国が敵対した歴史はありません。三木武夫副総理を筆頭に中東諸国を歴訪する一行に私も参加して、なんとか独自外交で石油を調達するためのルートを切り開こうとしたのです」(小長氏)

 その外交団に通訳として加わったのが、外務省の上級職・アラビストの第一号だった片倉邦雄氏(92)だ。

「田中政権も一枚岩ではなく、大平正芳外相はアラブ寄りの外交に強く反対していた。対して、中曽根康弘通産相は一刻も早く中東の石油を確保しなければいけないと主張し、これに田中さんが乗っかったわけです。キッシンジャー来日後の73年11月22日には、二階堂進官房長官が談話を出しています。イスラエルのアラブ領土占領に遺憾の意を示して、国交断絶まで示唆する踏み込んだ内容でした」

 米国と同盟を結ぶ日本が、初めてアラブ寄りであることを宣言した出来事だった。

「日本は米国と立場が違うと明確に宣言した意味は大きかった。私は産油国であるサウジアラビアのファイサル国王、それに軍事大国だったエジプトのサーダート大統領との会談に通訳として臨みましたが、三木副総理は“パレスチナ問題で日本はアラブ支持の立場を取っている”と伝えた。結果的にファイサル国王は“日本は友好国。必要量を供給します”と言ってくれた。これが転機となって最終的にはOAPECが認めてくれました。73年12月25日の出来事で、われわれはクリスマスプレゼントだと喜び、万歳しましたね」(同)

 日米同盟を維持しながら日本は石油の安定供給を実現した。こうした中東諸国との歴史的なつながりを大事にすべきだとして、前出の小長氏はこう話す。

「あれから半世紀以上がたちますが、いまだ日本は中東の石油に依存して再び米国と中東の間で板挟みになっています。あの当時、田中首相のリーダーシップの下で『友好国』と認めてもらったわけですから、日本独自の外交努力は諦めずに続けるべき。それなのに、今回のイラン攻撃後、日本政府は要人を誰も中東に派遣していませんね。先人が積み重ねてきた友好関係を維持できるよう、イランに対しても独自外交に徹するべきだと思います」

 後編では、高市首相の原油高対策に対する専門家の見解などについて報じる。

「週刊新潮」2026年3月26日号 掲載