「解決の出口は見えない」いまだに続くエムバペとヴィニシウスの“機能不全”問題 オサスナ戦では「あまりに滑稽な」シーンが話題に…【現地発】
実に見事な、畏怖すら感じさせる光景だ。二人はそこで立ち尽くし、まるでバスを待っているかのようである。エムバペがヴィニの走るべきレーンを占領し、その後ろでヴィニは、どう振る舞えばよいのかも分からぬままエムバペを見つめている。
写真には、真実を語るものもあれば、文脈を削ぎ落とされ、焦点を歪められたがゆえに虚偽を孕むものもある。だが、この写真は真実を突きつけている。そこには、島の一つも買い取れるほどの富を手にした二人の巨星が、ピッチ上のわずか一タイルの面積を奪い合っているという、マドリー攻撃陣が陥っている機能不全の縮図がある。「7番」と「10番」を巡る熱に浮かされたような混迷は、もう2年近くも続いており、いまだに解決の出口は見えない。
二人の間に最高の化学反応が起きるのは、ヴィニのアウトサイドのパスが、エムバペの力強いストライドに呼応する時だ。だが、ブラジル人がエンドライン深くへ侵入しても、事態は好転しない。かつてクリスティアーノ・ロナウドが指摘した通り、フランス人は純粋なストライカーへと再定義されることはなく、ゴール前の狭いゾーンに姿を現すこともないからだ。
彼の思考回路は、今なおカウンターの局面における「9番」であり、静止状態における「ウイング」のままである。敵を振り切るための空間を自ら整え、野性的な決定力でミドルレンジから強烈な一撃を叩き込む――それが彼の本質なのだ。
二人が互いの邪魔をするのは、これが初めてではない。だが、今回の光景はあまりに滑稽であった。なぜなら、二人ともが「静止していた」からだ。時として、いくら咳き込んだところで体調が回復することはない。必要なのは、リビングの壁に自らの肺のレントゲン写真を掲げ、今こそ禁煙すべき時であることを、嫌応なしに思い知らされることなのだ。
マドリーは今、二つの爆発的な才能が生み出す「恒常的な即興」の中に生きている。ヴィニシウスは広大な野を焼き尽くす「火災」であり、エムバペは優位性を糧とする「捕食者」である。
足元にボールを置き、左右を見渡しながら立ち尽くすギュレルの姿は、もはや無意識のメタファーであり、純粋なノスタルジーですらある。この若き才能は二つの太陽を目の当たりにし、どちらの軌道を回るべきかを見失っているのだ。左を見ればヴィニシウス、同じく左にエムバペ、そして右を見れば...誰もが当惑し、立ち竦んでいる。
ブラジル人は、そのプレーが自らの掌中にあると実感するために、幾度もボールに触れる必要がある。対してフランス人は、ファーストタッチが即座に脅威となることを求める。
この二人は異なる言語を操っており、それらが重なった時、神ですら理解不能な混沌が生まれるのだ。本人たちはもちろん、歴代の指揮官たちも同様である。アンチェロッティも、シャビも、そして今のアルベロアも、その回答を見出せていない。
解決策は、両者を切り離すことにあるのかもしれない。エムバペを右へ、ヴィニを左へ据え、中央にゴンサロ、あるいはロドリゴを配置する。あるいは、エンドライン際からの折り返しにただ当たるだけで、ゴールへと流し込める「家具」のような存在を置くべきか。そのボールは今、嘲笑と悲哀を湛えながら、無人のゴール前を通り過ぎている。
