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1951年に誕生したフェラーリ342アメリカ クーペは、戦後間もない時代におけるグランツーリスモの理想像を体現した存在である。その最初の1台、シャシーナンバー0130 ALが、オークションの舞台に姿を現す。

【画像】長い間、公の場から姿を消していたフェラーリ342アメリカがオークションに(写真4点)

1950年、裕福であった北米市場を明確に見据えて導入されたフェラーリのアメリカ・シリーズは、戦後初期イタリアン・モータリングの頂点を示すモデル群だった。シリーズの嚆矢となる340アメリカは、当時のF1マシン375と近縁関係にあるランプレディ設計の4.1リッターV12を搭載し、ピニンファリーナ、ヴィニャーレ、トゥーリング、そしてギアといった名門カロッツェリアによるコーチビルドの優雅なボディを纏って登場する。340アメリカは1952年までに製造された台数はわずか23台にとどまり、その希少性は当時から際立っていた。

続いて1951年に発表された342アメリカは、当初から純粋なロードゴーイングGTとして構想されたモデルである。ホイールベースは340より約9インチ延長され、同じ4.1リッターV12は約200馬力へとデチューンされた。フルシンクロ機構を備える4速マニュアルと組み合わされることで、扱いやすさと長距離巡航性能が高められている。それでも全7台に競技車両用の偶数シリアルが与えられたという事実は、このモデルが初期フェラーリのレーシングスピリットと不可分であったことを示す。車名末尾の「AL」はアメリカ・ルンゴを意味し、当時のオーナーにはベルギー国王レオポルド三世、実業家アッティリオ・モンティ、スイスの著名顧客オットー・ヴィルトやジョルジュ・フィリピネッティらが名を連ねた。

今回出品される0130 ALは、その342アメリカの最初に製造された個体であり、またカロッツェリア・ギアがボディを架装した唯一の1台でもある。フェラーリのために36台のみを手掛けたギアにとっても特別な存在と言える。1951年3月にマラネロでシャシー部材が製作され、同年8月に完成したローリングシャシーはトリノへ送られ、ワンオフのクーペボディを与えられた。従来の340アメリカに対する造形とはほぼすべてが異なり、節度ある落ち着きと抑制された優雅さを備える造形へとまとめられている。

ボディは2+2レイアウトのクーペで、ダークブルーとシルバーグレーのツートーン仕上げと考えられている。室内も同様のカラーリングのレザーで統一され、上部がブルー、下部がグレーのダッシュボードが調和を生む。磨き上げられたトリムバンドと、単一のイェーガー製計器に回転計、速度計、距離計、燃料計、水温計、油圧計を集約した独特の計器配置は、当時のギアの工芸的技巧を雄弁に物語る。

完成した0130 ALは、新型342アメリカを世界に示す役割を担った。1951年10月4日から10日まで、パリのグラン・パレで開催されたサロン・ド・ロトモビルにおいてフェラーリのブースに展示され、212エクスポート・トゥーリング・バルケッタや212インター・ヴィニャーレ・クーペと並び注目を集める。続いて10月17日から27日にはロンドンのアールズコートで開催された第36回インターナショナル・モーターショーに登場した。

ロンドンでは、アルヴィス、アストンマーティン、ラゴンダなどを扱い、当時フェラーリ英国正規代理店となったブルックランズのブースに展示される。モータースポーツ誌の記者ジョン・ボルスターはこの車を「また違った美しい車」と評し、スターリング・モスを運転席に座らせたうえで、理想的なドライビングポジションと操作系配置を称賛した。ヒール&トゥに適したペダル配置、小径ウッドリムステアリングの感触。価格は9700ポンドと高価だったが、魅力を疑う余地はなかった。