広島テレビ放送

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被爆80年の2025年、広島テレビは読売新聞と共同で、広島にゆかりのある著名人に平和への思いを聞くインタビュー企画を実施します。1回目は、広島出身の元陸上選手で、被爆3世でもある為末大さんです。

■元陸上選手 為末大さん
「おばあちゃんの被爆の体験もそうですし、まだ戦争のにおいがありましたよね。我々の時。」

元陸上選手の為末大さんは、男子400メートルハードルの日本記録保持者です。オリンピックにも、3大会連続で出場しました。

1978年に広島市で生まれ、高校卒業まで地元で過ごしました。幼い頃から『原爆』は身近だったといいます。

■元陸上選手 為末大さん
「まず(原爆)資料館が、ダイレクトでしたよね。体中にケロイドの人形があって、半ばトラウマになりそうなくらいの感じだったんですけど。それもありますし、『はだしのゲン』は、広島のあの当時の小学生は、たぶん全員読んだんじゃないかって思いますよね。図書館にあったので。麦が生えてくるんですよ、絶対に生えないって言われた広島に。それでゲンが、なんとか麦のように生きていくんだっていう描写があるんですけど、それはすごい記憶に残っていますね。」

父方の祖母・久恵さんは被爆者でした。久恵さんから詳しい被爆体験を聞くことは、ありませんでした。

■元陸上選手 為末大さん
「こっち側が…右手だったと思うんですけど、全部ケロイドでしたね。おばあちゃんは。聞けばよかったかもしれないですね。でもやっぱり、言いたくなさそうだったんでしょうね。」

国際大会では、さまざまな国籍の選手と接してきました。その中で感じたのは、相手を『人間』として見ることで、争いを防げるのではないかということです。

■元陸上選手 為末大さん
「本当の最後の最後に、相手が人にも見えなくなるようなことは、防ぐ可能性はあるなと思ったんですよね。だって一緒に横でご飯食べたからとか、負けたときに悲しくて泣いてたとか、ああいうところに、人間らしさっていうのは見えるじゃないですか。」

陸上競技の普及などで、現在も地元・広島と向き合っています。国際社会の中で、被爆地の立ち位置は重要だと訴えます。

■元陸上選手 為末大さん
「現実的に日本は安全保障上、核の傘の下にいたことも、大きいのも間違いない。矛盾をはらんでいると思うんですけど。二枚舌って言われるかもしれないですけど、私は、日本っていう国自体の安全保障の話と、広島が出すべきメッセージっていうのは、ずれていていいと思っていて。広島は都市として「非核」っていうのは、言い続けるべきじゃないかと思うんですけどね。」

被爆地出身のアスリートとして、実現したいことがあるといいます。

■元陸上選手 為末大さん
「国籍と全然関係ないチームが作られるような大会ができないかなっていうのを、いつも思うんですよね。オリンピックの限界は、やっぱり国別対抗システムが非常に強く組み込まれているのが、オリンピックだと思うんで。それを超えられないかなっていうのは、思いとしてありますね。広島と長崎の間を駅伝できないかと思って。被爆100年ですね。そうすると20年後じゃないですか。20年くらい経てばなんとなく、箱根駅伝がすごくなっていったのも、だいたい20年くらいかけた。そういうものだと思えば、できなくないなと思うんですけど。」

為末さんは、祖母が被爆者だと海外の選手に伝えたこともありましたが、当時、被爆の実態を詳しく知っている選手はほとんどいなかったそうです。また、広島と長崎駅伝の構想は、走るのが好きな人たちが世界中から広島に集まって、くじ引きをしてチームを決め、途中の山口・福岡などで地元のものを食べて、宿泊しながら長崎を目指します。為末さんは「広島と長崎間の催しをもっと増やしたい」と話していました。